「頼」について

兼好法師は『よろずの事は頼むべからず。』と徒然草第二百十一段で次のように述べている。 「愚かなる人は、深く物を頼むゆえに、恨み怒ることあり。勢ひあるとて頼むべからず。こはき者まず滅ぶ。財おおしとてたのむべからず。時の間に失ひやすし。才ありとて頼むべからず。孔子も時にあはず。徳ありとて頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅を愛くるすみやかなり。奴従へりとて頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。奴をも頼むべからず。信ある事少なし。」

色々のことで、このごろ考えさせれることは、何事も人のせいではないということである。例えば、私の後継者のことであるが、永年、自分の息子に跡継ぎとなることを期待していた。しかし、彼が自動車メーカーのトヨタに就職し結婚することとなって以来、私の跡継ぎとなること、すなわち僧侶となることを明確に拒否するようになった。ショックであった。これは本人の意思に待つところであり、いたし方の無い事であると思ったが、なかなか思いきれないところであった。息子に期待していたことが、自分の意思に反することになり、腹の立つところであったが、息子には自分の選んだ道を歩むのがベストであると思うのだがなかなかおもいきれないところであった。息子に大きな期待を寄せていた自分が誤りであると気がつくのは時間がかかるところであった。

なんでも人のせいと考え勝ちなのは、愚かな人のさが(性)である。当然に親の後継者となるものだと思い込んでいた自分が愚かであると思ったのは前にも述べたように求心、人に 求める心が強かったことである。求めるのは自分自身でなければならないのではないか。愚かなる人は、深く物を頼むゆえに、恨み怒ることありと。相手に求めるところが大きければ大きいほど失望は大きいのではないか。物事には縁というものがあり、期せずして成るものであり、求めずしてなるものはなるのである。臨済禅師は『臨済録』の中で次のように説いておられる。  「お前たちには立派なひとりの本来の自己がある。この上に何を求めようとするのか。お前たち、自らの上に取って返してみよ、古人はここを、「演若達多が自分の頭が無いと騒いで町を探しまわったが、落ち着いてみれば自分の頭はちゃんとあったのだ。」といっている。お前たちが大安心の生活に入りたいと思うならば、ああこう計らいをしてはならぬ。」

 この演若達多は、鏡に映る自分の美貌を楽しんでいたが、突然じかに顔を見ようとしたが、見えないので、鏡中の影は悪魔の仕業であると早合点し、怖れて町中を走り回ったという故事。自己を見失った喩えである。日常茶飯事のことでこのような例は非常に多い。夫婦が自分の妻夫に対しぶつけている不満は相手に対して大きな期待を寄せ続けるからこそ自分ではなく相手のせいだとおもいこむからではないだろうか。人が離婚しようと思うのもここからくるのではないか。時ならず自分も思うことしばしばである。 兼好法師は更に続けて次のように言っている。

 身をも人をも頼まざれば、是なるときは喜び、非なるときは恨みず。左右広ければさはらず。前後遠ければ塞がらず、せばきときはひしげくだく。心を用いること少しきにして 厳しきときは、物にさかひ争いて破る。ゆるくしてやはらかなるときは、一毛も損ぜず。 何事も自然体で行けというのである。自分も他人も順調なときは喜び、逆境にあるときは恨む。心のもち方に余裕と柔軟さがないと、いつも他人と摩擦が起きて身を失う。ゆったりと寛大にしておおらかに生きればよいのだと。なにかに頼るということは、自分自身が偏狭にして、いつも自分の期待がままならぬ為不快なのだ。兼好法師はよきたとえをのべている。身体を動かすにも、左右が広ければ物にさえぎられない。前後がはなれていればものにさえぎられない。逆にまわりが狭いときは、身体がおしつぶされる。そのように、心の用い方に方に余裕と柔軟さがないときは、人と摩擦を起こして身を損なうゆったりとしておおらかに生きるときは、毛一筋ほども損なうことがないのだ。

 だから兼好法師は人との約束は頼りにしてはならない。やくそくしてはならぬという。将来、自分の後継者となることなど決して頼りにしてはならない。裏切られることなどあり得ないのに、自分勝手に思い込んでいる。余裕をもって行きたいものである。何事も自分の思うようにはならないものである。どんなに思っていたって相手の心は変わるとおもってよい。自分の後継者のことのみならず、人の世の縁談もあくまでも縁のものである。人間の計らいなど知れたものである。もっと自分自身の身の程のことをよくみつめ自分の頭の上の蝿を払うことが大事だと思うのである。余裕をもってやることだ。自分を頼らず、人を頼らず、自然にあるがままであればよいのではないのかと。