大灯国師の語です。
 水の中には波の原因となるようなものは何ら見当たらないのに、波はたしかに水から起
こってくる。波と水とはもともと同じなのだと歌っています。
 これは国師が金剛経の中の一節「応無所住而生其心(おうむしょじゅうじしょうごしん)」
と題して詠まれた一句です。
応に住する所無くして而(しか)もその心を生ずるという世界は、どんな所にあっても的
確に対応して働く心の世界です。水というものは流動していて止まることがありません。
一ヶ所にとどまらずどのような状況にあっても、それに応じてさまざまな働きをするのが
禅の心です。このように水はあらゆる状況のもとでさまざまな波となりますが、水である
ことには全く変わりがありません。水と波の関係は水と氷の関係と同じです。
社会生活にあっても人間は同じく親であり子です。夫であり妻です。たとえ役割はそれぞ
れ異なっていても、もともとすべては水が姿を変えるのと同じく、その都度、的確な働き
をするのが禅の働きです。
 どのような状況におかれても、変化自在、自由自在、水の流るるままに生きるのが禅者
の生き方です。水は高きより低きに流れます。水は何処までも拡がってゆきます。水は時
として洪水となり、恵みの水ともなります。行雲流水(こううんりゅうすい)意のままに
生きる生き方がそこにあります。
       地獄極楽 外にはないぞ
            この世の中は 万華鏡

 

戻る