これは江戸時代の禅僧、至道無難(しどうぶなん)禅師(一六〇三 〜 一六七六)の
歌です。「至道無難禅師法語」の中にあります。
 禅師の数多い歌の中でも最も多くの人に知られた法語の一つです。生きたままで死人に
なりきる。そのうえで思う存分に生きる。なんと楽しい生き方だろうか。何も思わずに何
もかもできるのが佛なのだとの境地です。
 どうしても何か善いことをしようとすると、善いことと悪いこととの分別の心が働き、
結局の処、何もできなくなってしまうのです。このような善悪をこえた無分別の心が禅の
心です。もし無心になっていれば世界はこの心の中に包まれるのです。そのためには死に
きることだと説く。生きたまま死ぬというのは、生死を超えた世界に入ることです。
 ここでいう「死ぬ」というのは、その時、その場のことになり切ることです。そのもの
と一つになって外のことを考えず、生きろということです。社長は社長らしく、社員は社
員らしく、夫は夫らしく、妻は妻らしく、当り前になすべきことをする生き方です。
 また、仕事をするときは一生懸命に仕事をし、遊ぶときは徹底して遊ぶことです。
    一度死んだら もう死にやせんぞ
      死んだ気になれば 何でもできる

 

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