何も全体を見なくても、一隅を見れば四隅がわかる。一部、片鱗(へんりん)を見ただ
けで全体のことがわかる。これが禅僧の眼力(がんりき)です。これは挙一明三(こいつ
みょうさん)であると圓語禅師は「碧厳録」第一則のなかで説いています。つまり重箱の
ように四角なものの一隅を見ただけで、あとの三隅がどのようなものであるかを見抜く力
です。俗にいう「一を聞いて十を知る」といわれるものです。

 
ちょっとして言葉、片言隻句のなかにそれのすべてが分かるという。人の心の奥底を見
抜くような禅の眼力を説いています。碧厳録第一則には
 「山を隔てて煙を見て、早く是れ火なることを知り、牆(かき)を隔(へだ)てて角を見て、
便(すなわ)ち是牛なるをことを知る」

と。山の向こうに煙がたったら、ただちに、これが火であることを知り、垣根の向こうに
二本の角が動いたら、ただちに、そこに牛がいることを察知する。
これが禅機であると説かれているのです。
 変動の激しい今日の時代、私たちはただ流行を追っているのではなく、その流行の本体
である潮の流れの方向が何処へ行くのかをすばやく読みとって、それに乗って行かなくて
は、落ちこぼれてしまいます。これが禅の教えです。

    一つを聞いて 十を知る
        禅機働らく 人となれ


 

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