この禅語は中国、宋時代の禅僧虚堂(きどう)禅師)(一一八五 〜 一二六五)の「虚
堂録」にある語です。虚堂禅師は大応国師の師であり、臨済宗の代表的な禅師の一人です。
 両手で水を掬(すく)うと、あの月さえもただちに私の掌の中に入って自分と一緒にな
る。月は月であり、花は花であり、私は私である。自分と花とは別物でありながら一つで
ある。この句は広く人々に親しまれているものの一つで、よく床の間の軸物に見られる絵
の境地です。美しい自然と人間の一体の姿の世界がそこにあります。
 わたしたちが物を見たり聞いたり、事を行うときは、見るものと見られるもの、聞くものと
聞かれるもの、行うものと行われるものとが一体になるとき、そこに禅の世界があるので
す。自然と一体になる境地、それは花鳥風月の世界です。それを日常生活のなかで体験す
るのが禅です。その心をこのような美しい自然の姿で表現したのがこの禅語です。
    わたしの心 花鳥風月
     歌うも舞うも 法(のり)の声

 

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