中国、唐時代の禅僧趙州禅師(七七八 〜 八九七)の「趙州録」にある語です。十八歳
で悟りを開かれ、四十年余の修業の後、六十歳にして再び諸国に修行の旅に出て百二十歳
で世を去られたという方です。生涯を通しての修行の体験から無我の境地を説いています。
執着心が強いのが人間の心情です。我欲です。これを除かない限り、悟りは得られません。
世間体を考える心が先だっていたのでは真理を追求できません。相手の立場を認め、すぐ
れた意見に耳を傾ける謙虚な態度が大切です。これが禅の説く無心の心なのです。
孔子も説いているように、「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」と同じ、道を求める者
の、ひたむきな謙虚な生き方です。
どんな人でも すぐれた方には
頭を下げて教わろう