挑戦について

 平成十二年に放送が始まったNHKテレビ番組『プロジェクト]〜挑戦者たち』は今各方面で大きな反響を呼んでいる。この番組は有名人の業績を紹介するものではなく、名は知られなくとも、敗戦で疲れ果てた日本の再建に立ち上がった若者たち、オイル・ショックによる産業崩壊の中で夢をあきらめなかったビジネスマンたちの雄雄しく挑戦している姿が物語られている。

 最近出版されたプロジェクト]のリーダーたちの語っている言葉には体験からくる含蓄があって我々に生きてゆく勇気を与えてくれる。  奇跡の心臓手術に挑んだ須磨久善氏は自らの体験を語っている。

「どんな仕事でも、原点がすごく大事です。原点がはっきりしていれば、どんなにつらいことがあっての、そこからもう一度やりなおそうと、気持ちを立て直せるじゃないですか。」「生きているということはつらいことですから、そのつらさが限界点に達したときに、何か自分のよりどころになるものにしがみつかないといけなくなる。自分は何のためにに生きているのか、何のためにこの仕事をやっているのか、などと考えるわけです。そのときに、「あの時は自分はこう思ったから、今この仕事をしているのだという原点がはっきりしていれば、そこからもう一度やり直そうと、気持ちを立て直せるじゃないですか。(今井彰『プロジェクト] ザ・マン』)日本放送出版協会」二十ページ引用」 毒語心経に「宝所は近くに在り、更に一歩を進めよ」というのがある。これは『法華経化城喩品』にある比喩物語から来ている語である。これは次のような物語である。

一人の道案内人が、おおぜいの人を連れて珍しい宝物を探しに出かけた。しかし道は遠く、険悪だった為、人々は途中で疲れきってしまった。「我々はもうクタクタだ。もうこれ以上一歩も進むことはできない。しかも前途はとても遠い。なんだかもう空恐ろしい思いがする。今のうちに引き返そうではないか。」と皆言い始めた。そこで道案内人が一計を立て、方便として、途中に大きな城を作り皆を休息させた。ところが皆はやがてその城の中の生活にすっかり満足しきって、さらにかの珍宝を取りに行こうという気を起こさなくなった。これではならぬと思った案内人は、そろそろ疲れも取れた様子なので、その城をなくし、そして皆に次のように伝えたという話である。『さあ皆さん、珍宝のある場所はもうすぐそこですよ。先ほどの城は本当のものではありません。実は休息のために作った幻の城です。』このようにして再び人々を目的の宝所に向かわせたと。

ここでいう宝所は彼岸のこと、極楽のことである。案内人は釈尊のこと、珍宝を得ようと進んでいる人々は法を求めて精進している人々をさしているのである。釈尊は人々に悟りを求めて精進しているがなかなか容易でなく途中であきらめようとするのを見て、方便を用いて説かれたのである。宝所はもうすぐ目の前にある。もう一頑張りだぞと。しかも珍宝は各人が生まれながらにして持っているのである。近くにあるとはこれくらい近いものはない。このことを説いているのである。

厳冬 断崖絶壁の黒四ダム輸送作戦に挑んだ黒四ダム・聡監督中村精氏は語っている。「まあ無我ですね。」と。中村精氏は入社以来三十年、ダム一筋に生きてきた筋金入りのダム屋だった。「大まむし」の異名は、どんな困難でも一度食らいついたら完成するまで離れないという執念とその鋭い眼光から名付けられていた。現在九十二歳の中村は、その時の気持ちをこう語っている。「できるとかできないとか、結果は一切考えなかった。何が何でもやるとか、そういう気負いも悲壮感もなかった。ただやる。ダムを作る。考えたのはそれだけです。まあ無我ですね。あとは真っ白です。突撃です。」昭和三十八年五月、七年の工期を守ってダムは完成した。その時、工事中決して笑い顔を見せなかった。「大まむし」中村は、満面の笑みを浮かべ、部下や作業員一人一人に酒を注ぎ、深々と頭を下げて回った。(今井彰「プロジェクトXリーダーたちの言葉」文芸春秋刊九十八ページ引用)

 「百尺竿頭進一歩」という公案がある。(無門関第四十六則)百尺竿頭とは高い竿のてっぺんで悟りの境地のことです。なかなかこの境地に至ることは容易ではなく極め難いところです。ある程度のところで腰をすえてしまい、これに陶酔してしまいます。百尺竿頭に上ることは容易ではありませんが更に一歩進めることはなお難しいことです。プロジェクトに挑戦した実録は我々に多くのことを教えてくれるのである。元正眼寺老師の梶浦逸外師はよく口癖のように「窮して変じ、変じて通ずる」といっておられた。どの道も、道一筋に真面目に努力していると、鉄の壁につきあたって動きもにじりもならなくなる。その時「しめた!」と思って勇気百倍と真剣に命がけの努力を続けていると、必ず妙用という不思議な働きが出てくる。窮した時は「しめた!」と思って努力して、窮して返事、変じて通ずることを繰り返して実行していけば、それがすなわち禅の正念相続となり、雲門の『日日これ好日」となるのである。(谷耕編「逸外老師随聞記」より)もうだめだと思ったときがチャンスなのである。