ある朝、グレゴール・ザムザが悪い夢から目を覚ますと・・・『自分がベッドの中で一匹の巨大な虫に変わっているのを知った!!』無数のかぼそい足が目の前でうごめいている・・・。 ザムザの身にいったい何が起きたのか?そのとき、家族は・・・?物語はどんな結末を迎えるのか? |
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今、何故F.カフカの「変身」なのか? 演出 堀江辰男 ◆時代がカフカを呼び戻したのか 書かれたのは、1912年第一次対戦前夜、そして自分が読んだのは1960年の頃、その年日本は日米安保条約改定反対運動が全国的にうねっていた。自分もその中にあった。当時の文系の学生にとって読むべき物として、マルクスの著作やサルトルとやカミユなどの実存主義文学があった。その実存主義の系譜の中に、カフカの作品があり、「変身」に出会う。友人達と議論した思い出はあるものの、奇怪な作品としてあまり現実味のある作品として捉えていなかったと思う。その年齢の頃は、乱読時代であって、じっくり考えたり想像力を膨らませるより、もう次の作品へ向かっていた。 それが何故、今「変身」が気になってきたのか。学生当時の未熟さもさることながら、時代が「変身」を多様に想像させ、考えさせるように変化してきたのではあるまいか。 冒頭の「ある朝、グレーゴール・ザムザが、ある気がかりな夢からさめると自分が寝床の中で、一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」(高橋義孝訳、新潮社文庫)からだけでもいろんなことを想像させる。 ある日突然、ナチスは、ユダヤ人に強制的に星のマークを胸に着けさせられる。 ある日突然、いじめの標的にされ「バイキン」呼ばわりされる、等々。 ある日突然、起こりうる不安・恐怖。その時、私たちは、どのように心を決め生きていくのだろうか。虫になったグレーゴールの孤独そして死。虫なったグレゴールを見つめる家族、はじめはグレーゴールと認識して行動するが、その異型化した虫の醜悪さにより、グレゴールではなく「物」と認識して見捨てる。 ある時、新聞に長期入院しているおばあちゃんの言葉が載っていた。年老いた自分の姿が醜く成っているのではないか。その為、一人の人格を持った人として医師や看護師に扱われなくなるのではないか。この恐怖のため、自分が一番輝いていた若い頃の写真をベット飾ったという。その結果、扱いが変わったかどうか覚えていないが、この不安はすごく伝わってきた。したがって、「変身」は老人問題を扱った寓話だという人もいるかも知れない。グレゴールが息を引き取ると、父親のザムザは言う。「助かった。ありがたい」と。随分酷いようにとれるが、長い間、年寄りの看護をしてきた人も同じ気持ちを持つこともあるに違いない。 ◆イメージを自由に 「変身」の舞台、例えばこのようにどうか自由に想像し、解釈して頂ければ幸いです。ロールシャッハ・テスト(*紙にインクを垂らして、二つ折りにして広げ、現れた不規則な図形に対して、イメージを語る。心理検査の一種)を見るようにイメージし解釈して下さい。 舞台表現に、正解が一つではなく多様にあるように、観客の皆さんの感想も多様でいいのではないでしょうか。 終わろうとして、急に思い出し震えました。アウシュビッツ強制収容所の入口の門の上に「働けば、自由になる」との言葉が掲げられていた。グレーゴールの最後の言葉は、「自由に・・・自由に・・・」であった。そもそもグレゴールの変身は、家族のために死に物狂いで働いていたグレゴールの「自由への逃走」であったのかも知れない。 かくの如く、改めて自由にどうぞ。 |