第72回公演「ゴジラ」(第28回三島市民演劇祭参加)
2010年2月14日(日)三島市民文化会館にて
「私はゴジラを愛してしまいました。それは、人間の男性一人に答える愛がツバキの花ひとつ分の愛で事足りるとしたら、ゴジラに答える愛は、一本のツバキの木に咲き乱れる無数の花よりも沢山の愛が必要だったからでしょう。」
「あなたの背中には・・・」
「えっ?」
「まぶしい程に輝く純白の羽があるんじゃありませんか?」
「フフフ・・・そうかもしれませんね」
天使を夢見る一人の少女と人類の暴挙で生まれた怪獣ゴジラの悲しくてせつない純愛物語

ゴジラを生きる
〜それは純粋な心をとりもどすことかもしれない
    演出 堀江辰男

 作品「ゴジラ」を舞台化する過程、つまりメイキングの話しですが、役者はまずはその人物の生きてきた歴史や性格などをイメージしてキャラクターの造形化に取り組むことになります。そして稽古が進むに従って、その役=人物を演ずるというよりその人物を生きはじめて来るようになります。ですから演じる人物は登場人物と同化して、心の底から悲しみや喜びを感じ、本当に涙が溢れてくることもある。もちろんのこと演ずる者は、感情におもむくままに流されていいわけはありませんが、人間が人間である以上登場人物の気持ちが本当に感じて欲しいと常々思っています。
 さて、ゴジラを演ずる役者にとっても、ゴジラとの同化はあるのでしょうか。現実にはゴジラなる怪獣は存在しないし、存在すると仮定しても人間に話しかけたり、ましてや心を動かすことありえないでしょう。ご承知の通り、そもそも舞台上の物語や人物などの行動はすべて嘘、虚構です。にもかかわらずあたかも現実以上の人間の生き様に触れることが出来ます(となるように演出は努力しているのです)。ちょっと話しが横道にそれました。怪獣ゴジラそのものとの同化、それはないでしょう。しかし作者が創り上げたゴジラは嘘っことではあるが、魂が吹き込まれと、人間と同じようにしゃべり、恋をし、悩みます。ゴジラに限らず、ロボットだって、猫だって何でも登場人物になって、人間のように行動する物語はたくさんあり、皆さんも読んだり、観たことがあると思います。ですから、演じる者は、当然ゴジラの気持ちが分かってくるし、同化もし、喜び、苦しみも感じてくるにちがいありません。
 しかし、この心の動きは、矛盾するようですがゴジラの心そのもではありません。ゴジラの登場で起こる様々な無理解、衝突は人間世界そのものを映し出しているのです。未だ解消されない皮膚の色、信条・信仰その他様々な社会的差別を想像することも出来るでしょう。もちろんお客様は、そんな面倒なことを考えないで、ゴジラと人間とのラブストーリーをゆったりと楽しんで頂ければいいのです。そしてある時、「あっ!」と思い出していただければいいなあと思っています。
 ただ演出や役者という者は、稽古過程で、現実の問題に向かい合い、背負い込みながら心の動きや身振り動作を探り膨らませていくものなのです。この作業により、嘘である物語も、リアリティを持ち、魅力的になりお客様と心の振るえを共有できると信じて、稽古に向かっています。
 終わりに、演出は、初めこの作品のどんな所に心を止めたかちょっと披露します。現実の生身人間同士では照れてしまって語ることが出来ない言葉も、相手がゴジラであることによって真っ直ぐな気持ちを交流出来ることにありました。人間の純粋な心は、障害がある時にこそ、姿を見せるのかも知れません。真面目である、ことが時に揶揄されてしまって、多くの人が本音が語られなくなってしまったように感じるこの頃、ゴジラとの恋の物語を通して、私たち現代人の心を少しばかりでも浄化し純化してくれるならばとは入れ込みすぎでしょうか。