望む、望まない


 自由に。
 父のように、自由でありたかった。


 私の両親、マックスとルドヴィカは、およそ夫婦らしくなかった。
 愛を語らうところなど見たこともなかったし、想像もできなかった。
 幼心に、無理もないと思っていた。
 母ルドヴィカは、気難しい人だった。権力欲が強く、姉たち……特にハプスブルク皇太后となったゾフィーと自分を……正しくは夫と比べて、ただ不運を嘆いていた。
 父のよいところを見ようとしなかった。旅行に出ていって、なかなか戻ってこないのは、母のせいに違いないと思っていた。自分を嫌い、不平不満ばかり吐く妻の傍にいたいと思うはずがない。
 私は子供の頃から父が大好きだった。父は私をとても可愛がってくれた。

「シシィ、シシィ。こっちだよ……っ」
「待って、パパぁ」
 私の一番好きなことは、日が暮れるまで、草原を駆けずり回ること。父と二人で。
「お、少し足が速くなったかな?」
「掴まえたっ!」
 父の足を捕らえる。緑の原に二人、倒れ込む。父が笑う。私も笑う。
「はは、まいったなぁ」
「まいったか」
 私は父を掴む手に力を入れた。
「痛っ、痛いよ、シシィ。まいった」
 手が小さいから、抓ったようなものだった。
  ごめんなさい、と口の中で言って手を離す。父は目を細めて、私の頭を撫でた。
「ねぇ……お願いがあるの」
「なんだい」
「もう何処へもいかないで。傍にいて、パパ」
「……」
「それじゃあ、一緒に連れて行って」
「駄目だよ。母さんが怒るからね……」
 この時ばかりは、父は望む返事をくれない。

 もっと父に一緒にいたかったのに、母のせいでできなかった。
 母は好きではなかった。姉ヘレネばかり大事にしていたから。そのせいで、私を好きでいてくれた父と会えなかったから。
 父はハンサムだったし、知識も行動力もあった。何より優しかった。あんなに立派な人を愛せなかったのは、権力に執着したからだ。貴きハプスブルクの姫であったという誇りが、血縁に狂王と呼ばれるものを持つ格下のハンガリー公爵の后という地位を納得させなかった。
 不幸な結婚をした二人。
 私は、あんな結婚はしたくないと思っていた。
 何の不満もない人と、愛のある結婚をしたかった。好きな人にずっと傍にいて欲しかった。
 ……それは叶った。半分だけ。姉のそれを奪う形で。

 皇帝の別荘のあるバート・イシュル。
 姉ヘレネのお見合いについて来たのは、遠方に行けるからという理由だった。
 父は遠くに旅に出たきり、三月も戻っていない。この頃、父は家に戻ることが前にもまして少なくなっていた。だから私は常に寂しかったし、退屈していた。
 ホテルの中庭で行われた、ティーパーティ。私は焼き菓子を口に運びながら、姉の夫となる人を観察した。
 姉の見合い相手は子供の時に会ったきりの従兄、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフだ。彼は優しくて誠実そうな人だった。
「まるでもぎたての果実のようだ……」
 その人の口から、そんな言葉が漏れた。一目惚れだろうか?
 姉さんは愛されて結婚する。誰にも邪魔されることのない一番上の地位を得る。少し羨ましいと思った。
  一瞬だけ。
 その真剣な瞳が、差し伸べられた手が、自分に向けられていると知るまでの、刹那。
「え、私!? 間違えでしょう?」
「君がいい」
 微笑んで、私の瞳をじっと見つめる若き皇帝。私の全てが高揚した。
「でも、姉さんはおしとやかで……ええと」
「君がいい」
「……」
「今夜の舞踏会。最後のダンスを、私と踊ってはくれないか」
 最後のダンスは、婚約者と踊るもの。つまり、この申し出を受けることは……。
 伯母の頬が引きつっている。姉は三年間の花嫁修業が、修行が、と青い顔で呟いている。母は。
「うちの娘に変わりないわ」
 目の前の手をとっていいと言っている。
「はい、喜んで!」
 私はお菓子を置いて、フランツの手をとった。


 その夜、皇帝の別荘で催された舞踏会。宴も酣になったころ、二人で庭に抜け出した。木の陰に隠れるようにして、約束の言葉も交わした。
「シシィ、僕の妻にならないか」
「自由に生きられるのならば……」
 頷きつつ、言う。
 結婚することは決めていたけれど、 自由を手放す気はなかった。手放す理由なんて、ないと思っていた。
 オーストリアで一番偉い夫が私を愛しているから、私は自由でいられる。そのはずだった。
 大好きな人と馬を駆って、世界中を旅をする。夢だった。叶うと思っていた。
 自由はない……悲しげな瞳で呟く未来の夫の言葉は、聞き間違えだと思った。だから聞こえないふりをした。そのほうが都合がよかったから。

「これを君に。婚約の記念だよ」
 フランツが大粒の金剛石のネックレスを差し出した。
 見た瞬間、私に似合うと思った。欲しいと思った。
「そんな、勿体ない」
 口ではそう言いながらも、目は光放つ透明な輝きに釘付けだった。
 最高の婚約者は、首筋に顔を近づけ、耳元で囁いた。
「つけてあげる。きっと似合う」
「とても重いわ……」
 首に灯った輝きを見る。そっと金の鎖に触れる。
 絡みとられるのは嫌。だけど手離したくもない。
 不思議な、重さ、冷たさ、輝きが、凝縮されて胸にあった。
「そろそろ、戻ろうか?」
「あ、はい……」
 舞踏会に戻った私たちは、皆の前で最後のダンスを踊った。

『お前はオーストリア皇帝を愛していない』
 頭の中に響く声があった。私は、そんなことはない、と否定した。愛していないのでは、彼の手をとる理由がない。胸を飾る金剛石の意味がない。大好きな父と離れてまで、姉を踏みつけにしてまで、この道を進む理由がない。
 未来の義母の不満げな表情も、披露宴の時の父の何か言いたげな瞳も無視した。見ていないと自分に言い聞かせた。
 私は、フランツに愛されたから、愛したから、ハプスブルク家に嫁いだ。
 彼がオーストリアの皇帝だから、ではない。断じてない。


 母のようにはありたくない。
 だから。
 権力なんて、望んでいない。 望んではいけない。


 うーん、なんだろ、これは……。序盤ダイジェスト???
 実はこれ随分前に書いてあったんだよね。えーと、観た勢いで?
 何で皇帝夫妻が夜のボートな関係になっちゃうのか書きたかったはず。でも、あっさり挫折して放置してあった。ミューな二次創作はやっぱ無理かと思ったんだよねぇ。けどまあ、サイゴン一本だけじゃ寂しいじゃんってことで、発掘&無理やり復旧。まだこっちのほうがわかる人いそうなのに(汗)。
 あー、シシィはエレクトラコンプレックスかもねぇって憶測な話です。父にはやたらこだわってたけど、母にはあんまりこだわってなかったしさ。因みに権力欲は結構あるように思います。ハンガリーのこととか、保身のために息子見捨てるところとか。権力欲というより自己顕示欲か。めちゃエゴイスティック。そして、そんなところが好きだーv

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