2000.9.27 三苫海岸
僕の好きな場所に三苫海岸がある。
福岡県にあり、僕が大学時代に何度か行った事のある場所。
この海岸そのものが好きとい言う訳ではなく、神社を横切った道から突然見えるこの海岸が好き。
生け垣と塀の間の細い道を降りた所に海が見える。
急な海との出会いに何度心を奪われた事か。
「あっ海。」
初めて出会った時の感想。
2000.10.17 ゴミ箱
最近、駅の燃えるゴミの方のゴミ箱に平気な顔で手を入れ雑誌や新聞を取る人が増えている。
ホームレスの人が週刊誌を集めて売っているのは知っていたが、若者も全く当たり前の様にやっている。
何かがおかしい。
ゴミ箱ではなく雑誌回収ボックスとなっているのだろうか。
ホームレスが売っている雑誌を買う気にもなれない。
それはゴミ箱からのものだから。
いくら安くても僕は店で買う事にしている。
気分的に。
2000.10.26 眼
眼が疲れている。
先週、富士山を見続けた一週間と違い生活を占めているものが全て近い。
この極端な変化が僕の眼を疲れさせる。
明日から空を眺めよう。
2000.11.9 コーヒー
コーヒーの美味しい時期がやってきた。
一年中飲んでいるはずなのだが、やっぱり寒い時期に飲むホットコーヒーは格別。
肌が痛くなるぐらい寒い風が吹いている日の夜、外で唯一明かりのある自動販売機でホットコーヒーを買って手袋をしたまま飲む。
うーん幸せ。
息は一段と白く、自動販売機の明かりに照らされる。
澄んだ空気と共に。
2000.11.23 卵とレバー
卵とレバーどっちも嫌いではないが状況によってあんなに好みが出るものも珍しい。
まずは卵。
生卵を飲む事もできる。
温泉卵。
これもまたうまい。
しかし、ゆで卵のあの黄身があまり好きではない。
味は全く美味しいと思うのだが、あの乾燥加減が気に入らない。
食べると水分をすごく必要とする。
口の中が乾いていき、苦しくなる。
これと同じなのがレバー。
生のレバーを食べて感動した日もあった。
こりゃうまいと。
しかし焼いたレバーはやっぱり乾いていた。
卵ほどの乾燥ではないが、うまいとは言えなかった。
だ液が出る器官がおかしいのか。
噛む数が少なすぎるのか。
乾燥よさらば。
2000.12.4 稲妻
稲妻って嫌いですか?
僕は大好きです。
夏の夜などに雷雲と共にやってきて「ピカッ・・・・・ゴロゴロゴロ」。
あの光ったあとにどのくらいの地響きが来るかも楽しみだったりして・・・・・。
変ですか。
稲妻の形もひかれます。
雷雲が空を覆って、全体が光る雷ってありますがあれではなくギザギザの稲妻です。
右の空から下に少し降りた稲妻が左の空に上っていった時は感動しました。
ドラゴンボールのオープニングであった様な風景。
まあわかる人だけで。
実際、雨の日の夜に雷が鳴り出すと部屋の電気を消して窓を開けます。
そして雷を何時間も待ったりします。
雨が強かったりすると窓が開けられないので残念だけど、少しの隙間からでも見ようとしたりもする。
実家の窓から見える近くの球場のライトに落ちた時はすごかった。
稲妻に少し遅れてのあの地響きの大きさ。
地震みたいなゆったりとしたものじゃなく、爆弾を落とされたかの様な「やられたー」って感じの揺れ。
鳥肌モノですね。
2001.1.13 100円ショップ
生活を助けてくれるお店であるが、衝動買いも簡単に引き起こすお店でもある。
最近いろいろな所にできてとても便利になった。
1つ100円。
でも消費税があるからちょっとだけ払う時にがっかりもしたりする。
税込み100円にはならないのだろうか。
僕はいつもチャーハンの素やレトルトのカレーなどを買う。
レジで何やら熱くなっているおばちゃんがいた。
偽お金持ちみたいな格好で。
「ここのところが色落ちしてたのよ・・・・・。」
スカーフか何かを買ったらしく、色落ちがあったの事。
しっかりと確認をしないで買った責任もあるだろうし、確かに売った責任もある。
店員はそんな熱いおばちゃんの言っている事を痛くも痒くもない様な口調で、
「はい、お取り替えですね。」と。
おばちゃんがこの店まで出向き文句を言う労力の中には100円以上のものがあり、その熱量はもっと高い。
おばちゃん、熱いぜ!!
2001.1.14 言葉
街で耳にした言葉が気になった。
「おっ!奇遇ですねぇ。」
サラリーマンの会話だった。
意味としては何の疑問も持たないくらいにすっと入ってくるのだが、使っている人を見たのが初めてだった。
自分が同じ状況で人と会った時、使うだろうか?
いや、まず使わないだろう。
使える様な人間にはまだなっていないなぁ。
2001.1.25 米研ぎ
東急ハンズに行って僕は言葉を失った。
「米研ぎブラシ」
なんじゃこりゃあ。
米をブラシで研ぐたぁどういうこったぃ。
とても汚い気がしたのは僕だけか。
2度目に使うブラシにはとても汚いものが着いていそうな気がした。
手で研げばいいんじゃないのかねぇ。
米研ぎブラシが家庭に一つずつある様な時代が来たら僕の負けです。
2001.2.14 筋肉痛
日頃の運動量を上回ると筋肉痛になる。
日々の単調な生活の中で感情という心の筋肉は鈍っていた。
多くの懐かしい友達に会い、僕の心は大きく運動した。
あっという間に時間は戻りいつもと変わらない時間を過ごし心は解放された。
しかし急な運動は身体に良くない。
そう、筋肉痛になってしまったのだ、心の。
歳なのか筋肉痛が一日遅い。
2001.2.21 方向音痴
新宿で小田急線に乗ると東の端なので当然の様に同じ方向に発車する。
しかし何度も僕は「あれっ?逆だ。」と言う事になる。
進行方向に向かって立っているはずがバックを始める。
これは地元の静岡でも起こる事。
特に静岡駅に着く電車がどっちに向かっているかがわからない。
僕はいつも反対側を見て電車を待っていると逆から電車が到着する。
頭の中では「この電車に乗ったら逆に行ってしまうのではないか。」と不安を抱きつつ。
遺伝かしら。
2001.4.3 試験問題
先日、第47回小売商検定試験を受けた。
その試験の選択問題の中に写真の問題があった。
ちょっとやってみたがすごく簡単。
これでいいのか小売商って感じ。
第3問
次のア〜オに最も関係の深いものを、下の語群から選んで、答案用紙の所定欄にその番号をマークしなさい。
ア レンズの口径と焦点距離の比で表される
イ 写される風景などの明るさに応じてカメラが自動的にシャッター速度や絞りなどを調整する
ウ 被写体が暗い場合、シャッターが開くのに同調して瞬間的に発光して被写体を照明する
エ 13×17mmの画面を10枚撮影できるフィルムを使用するカメラ
オ ブローニーフィルムを使用して56×56mmの正方形の画面を12枚写すことのできるカメラ
[語群]
1.ハーフサイズ 2.AE(AUTO EXPOSURE) 3.ストロボ 4.Fナンバー 5.110(ワンテン) 6.6×6cmサイズカメラ 7.24mmAPSカメラ
第5問
次の文中の[ ]の部分に、下記の語群のうち最も適当なものを選んで、答案用紙の所定欄にその番号をマークしなさい。
1 ガラスあるいはゼラチンなどに色素を混入したもので、レンズを通過する光のうち不必要な光を通過させないようにするものを[ア]という。
2 三脚を使用する場合、[イ」を用いれば、離れたところからフレキシブルなワイヤーでシャッターを切ることができる。
3 現像処理されたフィルムから拡大プリントを作るために[ウ]が使用される。
4 露光したフィルムあるいは印画紙の画像を増幅して目で見えるようにする処理剤を[エ]という。
5 フィルムからプリントを作るときに使用する[オ]を印画紙といい、これには白黒用とカラー用がある。
[語群]
1.化学薬品 2.フィルター 3.絞り 4.ケーブルレリーズ 5.定着液 6.引伸機 7.プロジェクター 8.感光材料 9.照明 10.現像液
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆さんは解けますか?
[[解答]]
第3問 ア−4 イ−2 ウ−3 エ−5 オ−6
第5問 ア−2 イ−4 ウ−6 エ−10 オ−8
2001.4.16 新鮮
近くのスーパーで大根の半分に切ったやつを山の下の方から無理して出している主婦を見かけた。
最近のスーパーってどれも新しいものが並んでいる気がするのだが、違うのだろうか。
それとも癖で下の方からとか後ろの方からとかを選んでしまうのだろうか。
ちょっとしたものを後ろからとったり下からとったりはするが、大根のしかも半分に切ってある大きな山に挑むとは・・・・・。
2001.7.19 夏といえば
僕の中で夏と言えば思い出すものがいくつかある。
思い出すと言っても頭の中に残ったイメージ。
故郷の空にピンクに染まった入道雲。
暑いのにたくさん歩いて写真を撮った日。
エアコンのかかった車の中で聞いたサザンとBonnie Pink。
ハイコントラストな影と強い日差し。
夕立の後の匂い。
2001.11.30 僕にとっての写真
最近デジタルで撮ることが多くなってきて考えた。
僕にとって写真てなんだろう。
銀塩のフィルムだけが写真じゃないということは僕の中にはある。
デジタルだけが写真ということは絶対にない。
人それぞれ考えるといろいろな結論に達することだろうが僕の中では写真は時を切り取るもの。
デジタルだってフィルムだって時を止めて記録するもの。
残すためにはどれで残せばいいのか、どれで残すことが良いのか。
その答えが僕の中でのフィルムとデジタルの使い分けの線かな。
2002.6.25 不便の楽しみ
大人になって気がついたことがある。
「便利過ぎやしないか?」
この言葉だけでは全てが片付く訳じゃないけど、便利とか手軽とかそんなものが多すぎて今まで気がつかなかった事がある。
携帯やインターネットが普及して、誰とでも手軽に連絡が取れるのが当たり前の今日だが、そう言えば手紙を書いていた頃や自宅の電話をかけていたときもそれなりに楽しかった。
直筆の文字に表れる個性や感情、自宅にかけるときの緊張。
パソコンで打っている方が書くよりもはるかに早いから言いたいことを確実に言えるような気はするけど味がない。
そうこの場合「味」がないような気がしたんだ。
無味無臭の文字。
伝える側に文章の力があって、受け取る側にも理解能力があればそんなことは簡単に解決してしまうのだけど、誰もがそうあるわけではないまま簡単な方法を使っている。
能力のある人に限って手紙をくれたりもする。
このままで良いわけではないけど、時代はきっと直接ではなく間接にこの問題をクリアしていくような気がする。
もう一つ思ったのは車。
車があって便利な分、運転する人・乗る人・寝る人、様々な種類が存在する。
当たり前だと思う人もいるだろうけど免許を取る前とか友達が誰も免許を取っていないときとか自転車で集合したり駅で待ち合わせとかしなかった?
みんなで自転車をこいで目的地に向かったりするのって平等な状況で風を切って走るのが楽しかった。
僕が地元の高校の前を通ったとき、高校生が自転車で集まっていた。
「あの頃って楽しかったなあ。」
歳って意味じゃなくって何で今、車乗ってるんだろうって。
でも僕が自転車に乗っても友達が自転車で遊びに行ってくれる訳じゃない。
そんなことを理解してくれる友達っているけど、いつもは無理だね。
たまにはそんな不便なのも良いかなぁ。
突然そんなことを思った日だった。
2002.9.18 休日を楽しくする
午前中に散髪をすませ、さっぱりとした気持ちで雑貨屋へ向かう。
店の中にある無色透明のグラスを一通り見て、気に入ったものを一つだけ買う。
近くのドラッグストアーでperrier(発泡水)を買う。
そしてそれらを持って海へと向かう。
空は快晴。
秋晴れと言った感じ。
人気のない波打ち際に座り、波の音と潮の香りを楽しむ。
頭の中が空っぽになったところでperrierとグラスを取り出し注ぐ。
波の音と似た音でperrierの炭酸がはじける。
青い空とエメラルドグリーンの海、透明にカットされたグラスとはじける透明の水。
爽快。
自分が思い描いた爽快な景色を計画し実行する。
それが少し変であっても。
こうして僕の休日は素晴らしいものとなった。
2002.11.3 入院してみて
左足のアキレス腱を切ってしまい、手術、入院となった。
手術をした当日の痛みこそあったが、耐えられないのが時間の余り方。
ただの暇をもてあましているだけだったらいいのだが、動きが不自由な上に何かをしたいと思ったものが手元にない。
今、足りないものは音楽と会話。
好きな音楽を好きな景色を見ながら聞きたい。
会話だって看護師さんとできるのだが、やっぱり心の知れた友と話がしたい。
ゆっくりだらだらと。
こんな時こそ気が付くもの、それが人間。
不自由になってやっと自由だったことに気が付く。
自由って満喫している時ほど自由なことに気が付かない。
そのためのリセットと思えば嬉しいことなのかも知れない。
アキレス腱を切ったことだってそこを切る前より強くしてやろうなんて思ったら、人生の楽しみだって増えたのかも知れない。
2002.11.5 お見舞い
友が見舞いに来てくれた。
一週間に一度会えるはずの友なのに、まだ一週間もたっていないのになぜか心が躍る。
帰ってからも心のどこかが暖かいまま僕の中にあった。
入院という環境が寂しさをあじあわせていたのか。
付きっきりの看病も必要ないから一人だけの時間が必要以上に多い。
気が付かないうちに相当な寂しさがあったようだ。
見舞いに来てくれた友や心配してくれた人に感謝です。
これもまた日常の中に消えていってしまうのか。
忘れないように、ここに記します。
2003.6.6 写真って
写真って何だろうとふと思った。
時間を切り取るもの。
空間を切り取るもの。
その場の状況や景色を撮った時のままの状態にとどめておくもの。
好きなものを好きと思った時、どうしても撮りたくなるもの。
僕の中には切り取るものとしてと、とどめておくものとして、好きなものを残しておきたいというものとしての写真がある。
何かを切り取る時、心の中に四角い枠で囲まれた感動の額が現れる。
その場の状況に感動はしているのだがシャッターを切った時はまたちょっと違った状況にある。
感動をどうしても四角の中に納めてとっておきたいという欲求に駆られる。
心の中に熱くなった自分を閉じ込め冷静な自分が冷静な指でシャッターを切る。
心のままの熱い自分が写真を撮っていた頃もあったがそのころの写真はその場の状況に飲み込まれていて後から人に伝えるだけの力を秘めていない。
冷静な中の熱い自分が良しとしたその写真には後から見てもその時の熱い心が読んでとれる。
もう一つその場の状況をとどめておく写真は風景写真や自然の中で撮った写真がそうだ。
撮っている時はやはり感動の中に冷静さを持ちシャッターを切る。
しかし出来上がった写真には一つ目に述べたような写真を目の前にして感動している自分ではなく、写真の中に入り込み自分の背中にも空気や温度を感じその場にいる状態になる。
感動をもう一度味わえるのだから撮らずにはいられない。
好きなものを好きだと思って撮るものは後から見ても感情は伝わってくるのだが写真として成り立っているものは多くない。
熱い心の中が冷静さを通り越しシャッターを切るので枠の中に収まりきれないものがある。
それば自分だけにわかるものであって表現というものとしてはほど遠い。
これが現時点での自分の写真。
明日には違っているかも知れないし、ずっと変わらないものかも知れない。