私の研究会に集まる棋士や院生たちの碁を見ていて、時に怒り、時に喜ぶ。これは私の生きがいでもありますが、この少年・少女たちがすばらしい手を打ってくれた時の喜びは何にたとえようもありません。 三歳の童子でも導師である、ということばがあります。年齢だけで人にものを教えるわけにいきません。教えるためには努力と勉強の積み重ねが必要です。 ある時、私はすばらしい手にぶつかりました。導師のような手です。あんまり嬉しくてプロの高段者に、その場面を再現してどう打つかと聞いたほどです。その高段者、依田紀基七段も気づくまでずいぶん時間がかかりました。 このような時、芸の深さ、恐ろしさをつくづくと教えられます。 |