トラフィック編 1


国道292号線 志賀草津道路

作者が日本で一番好きな道である。
文字どおり志賀高原と草津温泉を結ぶ標高差1000mを越える日本有数の山岳道路。スキー場へのアプローチ道路であるのと同時に夏も涼しく景色も素晴らしい。
志賀草津道路は日本道路公団管轄の有料道路だったころの名前。白根区間(草津天狗山)、横手区間(熊ノ湯)、志賀区間(上林)の3つに分かれそれぞれに料金所ゲートがあった。いまでは無料開放されているが料金所跡地はチェーン脱着所あるいは除雪基地として道幅がそこだけ広くなっているので分かる。
白根区間
草津温泉と万座温泉口を結ぶ区間。冬季は、一部を除き閉鎖される。草津温泉から一気に標高2100mの白根火山まで登る。何カ所か展望台がありダイナミックにわき上がる雲や、草津温泉の街並みが遠望できる。途中、殺生河原(火山ガス噴出地)や白根山湯釜、弓池(噴火口に水がたまった池)など火山活動が間近で見られる。日本ロマンチック街道の一部となっている。それにしてもよくこんな所に道をつくったなあとつくづく感心させられる。
横手区間
万座温泉口と熊ノ湯を結ぶ区間だが冬季は積雪の為、全区間閉鎖となってしまう。このため横手山スキー場の初心者迂回コースや志賀万座スキーツアーコースとしての別の顔を持つ。万座温泉口から渋峠までは標高2000mの稜線を走る天国に一番近い道。渋峠は群馬県と長野県の県境。ここからのぞきまでは横手山の西側急斜面を走るため落石・雪崩防止シェルターが連続し、のぞきから熊ノ湯まではヘアピンカーブの連続する急坂道。である。
志賀区間
長野オリンピックを機に改良工事がなされた、というより全く別の道のようである。以前は急カーブと最大傾斜10%が続くひとたび雪が降れば登りも下りもドライバー泣かせの難路であった(雪道で2回、観光バスが関係する事故を目撃している。)がループ橋などでカーブ、斜度共に緩くなり道幅も広く整備された。冬季は志賀高原への唯一のルートとなる。野生の猿がよく出没するが人間をなめているので注意が必要。


関越自動車道 関越トンネル 写真とMap

悪夢のような一夜のお話をしましょう。
それは1991年2月に上越国際へ2泊3日でグループ10人でスキーに行った帰りのことです。車は3台、作者の車はスタッドレスを履いて出かけました。当時、神奈川に住んでいました。
ちょうど帰る日に冬季国体の開会式が近くでありました。私達が滞在していたホテルに秋篠宮両殿下がお泊まりになるということで一目見ようと長い時間、玄関前で待っていました。両殿下の姿はばっちり見ることが出来たのですが現地を出発したのが日も傾いた午後4時でした。小雪が降ってきました。
最寄りの塩沢石打ICから関越道に入りすぐに塩沢石打SAからチェーン規制がかかりました。SAからしばらくは順調だったのですが、湯沢ICの2キロ手前で渋滞の最後尾に付きました。多少の渋滞は覚悟していましたので何も驚かなかったのですがやがて雪の降りが吹雪に変わってきました。
ところが渋滞は遅々として進まず湯沢ICで日が暮れてしまいました。
湯沢ICを過ぎると雪はますます強くなってきましたが、いっこうに渋滞は進みません。1分間に数10メートルというペースです。トラブルを起こす車も出始めました。途中バッテリー上がりの車が路肩に泊まっていたのでケーブルをつないでエンジンを掛けてあげました。
湯沢ICの先は渋滞の先頭である関越トンネル直前まで休憩施設はありません。独身女性もメンバーにいたので夜も更けてきたことから自宅へ電話しようにも当時は誰も携帯電話を持っていませんでしたので連絡も出来ません。
一番困ったのはトイレです。男性はガードレールを乗り越えて高速道路のちょっと外で済ましていましたが女性はそうはいきません。ようやく関越トンネルまで2キロの看板を通過した頃からトンネル方向へ吹雪の中、路肩を歩き始める人が出始めました。トイレと公衆電話を目指して歩いているようでした。

そもそも渋滞の原因は、関越トンネルのチェーン規制にあります。
上り線トンネルの手前には土樽パーキングエリア(旧チェーンベース CB)があります。
トンネルは全長11キロもあり中には雪が積もっていませんのでチェーンが切れて事故を起こす可能性があります。このため強制的に全部の車両をチェーンベースに入れてチェーンを外させます。
この日は関越トンネルの迂回路である国道17号線三国峠も大雪で通行止めになったと後で知ったのですが短時間にスキー帰りの車が本線に殺到し、折からの吹雪でこんな大渋滞になってしまったようでした。

ようやく土樽PAに到着しました。ここまで出発から7時間。スキー場から走った距離はわずか30キロ弱です。
トンネルを抜けて群馬県に入っても雪は止まずチェーン規制は渋川伊香保ICまで続いていました。
結局高速の本線上に11時間。自宅に帰着した頃には夜が明けてしまいました。この間何も口にすることはなく空腹にただただ耐えたのでした。もちろん勤めに影響が出たのは言うまでもありません。

その後、作者は静岡に引っ越しましたので車で上越方面に冬出かけたことはありません。
聞くところによると今では関越トンネルのチェーン規制の際、スタッドレスタイヤの車はチェーンベースへの強制停車は無くなったそうで多少は改善されているようです。それでも渋滞の名所に変わりはないのでしょう。