ボーイスカウトジャンボリーと
特設アマチュア無線局





1964.7−8

第11回世界ジャンボリー
ギリシャのマラトンで開催された 第11回世界ジャンボリーに日本派遣隊の一員として参加。
同大会の特設無線局 SV1SV を運用し、ヨーロッパ各国のアマチュア無線家と交信した。当時はまだ海外旅行は自由化されていなくて渡航理由も親善目的の派遣となっていた。さらに為替レートは固定で1ドル=360円だった。



第一回日本ジャンボリー以来各種行事に参加。

1966.8
第4回日本ジャンボリー
JA1EFO土方氏の尽力により初めてアマチュア無線局が設置された。
この時は単にクラブ局の移動で出力も10ワット。アンテナも竹竿につけたダブレットアンテナだった。



1970.8
第5回日本ジャンボリー
プレ世界ジャンボリーとしての位置づけのジャンボリー。
コールサインは個人に割り当てられる文字配列だが、下の免許状を見てわかるようにクラブ局形式の特設局で
  野原の真っ只中のテントの中で驚くなかれ最大出力500wの固定局(移動局ではない)だった。

また、この特設局の免許人はご覧のように日本ボーイスカウトアマチュア無線クラブである。






  
1971.8
第13回世界ジャンボリー
静岡県朝霧高原で開催されたこの世界ジャンボリーに開設された特設局はボーイスカウトにとっても日本のアマチュア無線界にとっても記念すべき局となった。
まず、それまでいっさい許可されていなかった運用者本人の自国の無線従事者免許証のみで、外国人の日本国内での無線局の運用がこの時のこのジャンボリーに参加している者に限り認められた事。
これは当時の現行の法律の枠を超えていたので、この部分の期限付き改定は官報で公告された。

次に、日本国内で「 8 J 」の付くコールサインが初めて交付されたことである。
さらに、この後に続く文字がたった二文字「 W J 」だけであった。30年ちかくたった今現在でも特設局の二文字の局は国内では他には無いと思う。
免許人は当然前年と同じ日本ボーイスカウトアマチュア無線クラブであった。
一般のアマチュア無線家の間ではこれらの免許人は日本アマチュア無線連盟と思っている方がかなり多いが、先の免許状をご覧になってもお判りのように免許人は日本ボーイスカウトアマチュア無線クラブである。以後の全てのボーイスカウトのジャンボリー、ベンチャー、アグーナリーなどの大会に開設された特設局も同様である。





ボーイスカウトの全国機関紙「スカウティング」の表紙になった。
右端の赤いキャップが私。




最初のページへ戻る