==私とスペースシャトル==
スペースシャトルとの交信を追い続けた記録
掲載したカードは交信証及び受信証等
1983年の初夏頃だったろうか、営業途中の車の中で聞いたNHKラジオの海外トピックスがそもそもの始まりだった。
それは、スペースシャトルに搭乗するアマチュア無線家が宇宙から電波を発信して地球上のアマチュア無線家と交信するミッションだった。
その番組の中でスペースシャトルから送信される周波数のみが公表された。
これからが大変で、日本アマチュア無線連盟に問い合わせてもこの件はまったく知らない、わからない、聞いていない。
その頃はまだまわりでパソコンを持っている人間は零、パソ通もない、文明の利器は電話と無線とラジオとTVくらい。後は専門雑誌と新聞などから情報を収集。
冬の凍える日、無線設備一式を屋上に運び上げて予定時刻に待機。寒いのに、なぜ屋上かといえば
当時はまだ衛星を追いかけるアンテナシステムなど持っていなかったので、TVアンテナと同じ位の大きさの
八木アンテナを子どもに持たせ、スペースシャトルが見えたらその方向にアンテナを向ける為だった。
この時は運良くスケジュール通りスペースシャトルが通過。
夕闇直前のやや天頂を雲間から滑るように、強烈に明るい豆電球のように、矢のように通過していった。
この時は見えて当たり前、予定通りに通過して当たり前と思っていたが後になって
スペースシャトルを含め人工衛星はほとんど見えない事、軌道が変化するため予定はしばしば変わってしまう事がわかってきた。
交信は出来なかったが、まず第一回目としてはかなり観測状況は良好だったといえる。
その後、辞書片手に受信証の申請。受信録音テープの送付。
受信証の到着後の大騒動。ただし、この時の受信証は少々いわくつきで、公式には日本上空通過時には電波は出なかったらしい。
下がその時送られてきた受信証と添付されていた手紙。1983.11.
1985年始め、スペースシャトルとの交信を希望するアマチュア無線局を募集しているのを察知。すぐに申請にかかる。この時の応募は私が所属するボーイスカウト沼津地区ハムクラブで申請した。この時はJN1WTK黒崎氏に軌道の情報など非常にお世話になった。
1985.STS−51
1986年にスペースシャトル内で行われた宇宙科学実験に協力した時の証書。
私のコールサイン「JA2BGX」が左側本文中と右下に記載されている。
1986.1 STS-61C
スペースシャトルに搭乗の宇宙飛行士と直接に音声で始めて交信できた記念のミッション。
1992.3 STS−45
日本人宇宙飛行士毛利さんが搭乗したミッション。音声交信は沖縄のNASDA指定グループが成功。私はPKT(無線のパソコン通信みたいなもの)で交信に成功。
1992.9 STS−47
1993年10月、2回目の音声交信に成功。電波状態がかなり良かったので送信出力を下げて呼びかけたところ支障がなかったので、家内JH2GECにも以降のオービットでトライさせたところみごとに成功。
1993.10/18 STS−58
上の記事は1993年10月25日09:00+頃家内JH2GECが
スペースシャトル「コロンビア」と交信した時の新聞記事。
たぶん、日本では女性がスペースシャトルと交信出来たのは初めて。
アンテナは下の写真のもの。
送信出力は10W(最近の車に搭載している無線機の出力よりも小さい)
但し、自分の耳とテクニックが良いことと、正確な軌道の情報が不可欠。
このミッションでは衛星通信設備を持っていない一般的なアマチュア無線の設備で運用しているローカル局(出力10W)にも薦め、
何度かアドバイスしながら厳しい状況ながら音声交信に成功した。
スペースシャトルとの交信に使ったアンテナ
アンテナのポールは中古建材屋から探してきた激安の足場鋼管を使用。
こんなアンテナでもけっこう交信できる。
受信だけならホイップ(最もシンプルな)アンテナでも可能。