良寛が山田杜皐へ宛てた手紙


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
<原文><解釈>災難に逢ったら、それから逃げ出そうとせずに、
災難に直面するがいい。
死ぬ時がきたら、ジタバタせずに死ぬ覚悟をするがいい。
これこそ災難をのがれる妙法なのだ。
<出典>江戸、良寛(りょうかん)(1758―1831)
の俳人、山田杜皋(とこう)にあてた手紙。『良寛全集』出典解説
<解説> 良寛の住んでいた地方に大きな地震があったらしい。
家がつぶれ、何人かの死者もでた。安否を気遣う便りがあったのであろう。
それに対する良寛の返事には良寛らしい思いやりと人生観があふれている。 
良寛は「地震はまことに大変に候。
野僧(自分のこと)、草庵は何事もなく、親類中死人もなく、めでたく存じ候」
と簡潔に状況報告をし、こうした災難に逢った人もいるのに自分が生きながらえ、
「かかる憂き目を見るがわびしい」と嘆く。
いかにも良寛らしい思いやりを述べているのだが、
この後に上の見出し文が続く。
 いかにも禅僧らしい考え方だし、仏教の基本的な人生への対処の姿勢なのだが、
実は、誤解を招きやすい。
災難に逢ったら逢ったで、死ぬときがきたらそれなりにジタバタするな、
あきらめて何もするな、流れに任せろ、というのは無気力きわまる。
事態の改善をはかろうという前向きの努力もない、投げやりの生き方である。
良寛のように終日、子どもと鞠(まり)をついて遊んでいた人間ならそれでもよかろうが、
忙しく生きている現代のわれわれには肯(うべな)いがたい、
という反論が聞こえてきそうな気がする。 
似たような思想と表現だが、現代の禅僧で「食えなんだら食うな」と言った方がいる。
これも現実に誤解を招いたのであって、ある人はこれは差別発言だと言った。
金があって食える者は食え、貧乏な者は食わずに死ね、とは何ごとであるか。
かつて「貧乏人は麦を食え」と言った総理大臣がいたが、
万人が望むなら米を食べられるようにするのが政治ではないか。
食えなかったら食うな、とはそれに比すべき暴言であって、
食える人と、食えない人の存在を認める差別的な思想である。
少なくとも、人を救うべき僧侶の口からでる言葉ではない、というのである。 
こうした受け取り方には根本的な誤解がある。
災難に逢うときには災難に逢え、死ぬときには死ね、食えなかったら食うな、
などと説くのは、
仏教で重視する「今を最大限に生きる」ことを説くものである。
「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はいまだ来たらず」
(『中部経典(ちゅうぶきょうてん)』)というのと同じことである。災難に逢い、
死に面している「今」を生きることの中には過去が読み込まれ、
未来への対処が織り込まれているのであって、
災難を避け、乗り越える努力を精いっぱいしてきたことが前提にある。
病気になったら医者にかかり、養生し、
生きるための手だてを充分につくさなければならない。
食えるための方策と努力を最大限に考えるのは当然のことなのである。 
そのうえで、「今」の現実の問題として、死や災難が私のうえに襲ってきている。
これは良い悪いの問題ではない。いやおうなしの現実のことがらである。
このときに「ああしておけばよかった」と
過去を振り返って愚痴を言ってもしかたがないし、
「こうなってくれないかな」といたずらに未来を夢みても無益であろう。
この現実、この「今」を自分が生き抜かなければならないのだし、
その覚悟をみずからにせよ、と言っているのである。
施設とか、政策とか、政治とか、そうした社会的な問題として論じているのではない。
苦しい状況におかれた「私」がどのような心構えで進んでいったらいいのか、
という生き方論なのである。
そのためには、自分のおかれた現状を「あるがままに」見、
その事実を一度は受け取り、ひらき直り、そのうえでさらなる努力を続けよ。
ここからかえって前向きの積極的な生き方が展開していく、というのである。
(奈良康明)仏教名言辞典 東京書籍