二年前の2月11日。その日の日記に書き添えた一文。  一文っていうよりは、ちょっとしたメモ書きみたいなものだ。だけど──二年経った 今でも、わたしはちゃんと憶えていた。それこそ一字一句しっかりと。  でも、当たり前ではある。なにせこれは、忘れないようにと書き留めたようなものな のだから。 =============================================================================    Fate/stay night サイドストーリー   『 Cherry Blossom 』                            〜 遠坂 凛 〜                          Written by けもりん =============================================================================   「うーん」  向かった姿見に映し出されているわたしは、複雑な表情をしている。『慣れないこと はするもんじゃないかも』だなんていう苦笑と、ちょっとした新発見に喜んでみたりす る笑みと。  似合って──はいると思う。これは案外イケるかもしれないとまでも。  塞翁が馬というか、棚から牡丹餅というか。どっちも間違った使い方のような気もす るけど、他に思いつく表現がないから良しとしよう。この一年、日本語を使う機会自体 めっきり減ってしまったんだから、仕方ないっていえば仕方ない。  でもまあ、やっぱり気恥ずかしい。こんなに大人っぽくなるだなんて、実は自分でも 思っていなかったんだし。これじゃあまるで、わたしがわたしじゃないみたいだ。   「まったく。あいつときたら」  溜息とともに不満を漏らす。なんの恨みがあってこんなことをさせるのかと、責任転 嫁をしてみた。本人が聞いたら、『なんでそれが俺のせいなんだ?』なんて間の抜けた こと言ってくれるんだろう。  けれど、それに文句は言えない。あいつがそういう奴だってのは十分にわかってるん だし、今回ばっかりは確かにあいつに責任は全くないのだ。本当にわたしが勝手にやっ ていることなんだから。  ことに及んだ理由は簡単──激烈に単純。どうしてそんなことをしようと思ったの か、自分で自分を疑いたくなるぐらいにバカな思いつき。  効果の程だって、怪しいってどころじゃない。きっと無駄だろうと、頭では理解して る。そういうところで人を見る奴じゃないなんてのも、わかってることだ。意図がバレ たら、『そんなところを好きになったわけじゃないぞ』とかなんとかって言って、逆に 怒るかもしれない。ちょっとばかり都合の良い予想をさせてもらえば、『遠坂らしくな い』って言ってもらえるかもしれないけど。   「ま、その心配はないか」  鏡の中のわたしを、ニヤリと楽しげな笑みに変えてみる。  そう。その点については、心配ない。気づくような奴とも思えない。だからこそ効果 を期待出来ないのだし。  問題があるとすれば、桜の方だ。あの娘は気づくかも──というよりも多分気づく。 でも、そっちはそれで良い。有利な状況にいるのは桜なんだし、笑って許すぐらいの余 裕はあるだろう。それに、だ。   「……背水の陣です──って、自分で言ってるようなものだもんね……」  足下に向かって落ちる重たい息を、はぁと吐き出した。むしろちょっとした優越感を 持たれてしまうかもしれないと思うと、心にズシリと来る。  確かにそうなのだ。これは、わたしらしくない。じゃあどういうのが『わたしらし い』なのかっていうと、やっぱり『わたしらしくあろうとするわたし』が、わたしらし いのだろう。自分でもそう思って行動してきたんだし、あいつだってそこに異論は挟む まい。  それを捨てようとしてるんだから、これは苦肉の策以外のなにものでもないのだ。悪 足掻きをしているのが見え見えでもあるんだし、逆の立場だったら自分らしさをかなぐ り捨ててまでだなんて思って、卑下しちゃうかもしれない。まさに背水の陣だ。   「往生際の悪さも、“らしさ”だけどね。──なりふり構わないあたりも」  戦況は果てしなく悪い。光明をほとんど見いだせないのが実情だ。あいつの天秤はと っくに傾いている上に、こっちは遠距離と来ている。  良く見積もっても、2:8で不利。それでいて、新しく打つ手も思いつかない。すっ かりジリ貧に陥っている。もっともそれは今に始まったことではなくて、既に二年前か ら後手後手に回っているのだけど。   (まさかねぇ……)  あのときだって、本当に夢にも思ってなかった。最強のつもりでいた戦力が時代遅れ だったとは、全く知らなかった。まさか相手がとっくに同じものを投入してただなん て、考えもしなかった。起死回生を狙って最後の最後まで温存した、わたしだけのとっ ておきの思い出のつもりだったのだし。   「ああもうっ。やめやめ」  自分で士気を落とすようなことをしてどうすんのよ──とばかりに、頭をブンブンと 振った。これから戦いに行こうっていうのにダメじゃない──とも自分に言い聞かせ る。  白旗を揚げるつもりなんて更々ないんだし、完膚無きまで叩きのめされるまで戦おう とも、二年前に決めたんじゃないか。なら、やれることは全部やらなくては。   「大丈夫」  だから、鏡の中の自分にも言い聞かせた。   「契約、でしょ?」  正確な戦況なんて、今更知ったところでどうしようもない。   「わたしが勝つんだって、決まってるんだから」  それよりも今わたしに必要なのは、戦意高揚のためのプロパガンダ。   「男だったら二言はないわよね」  そのビラに書く格好の材料を、幸いわたしは持っている。   「言ったんだからね。あのとき」  その台詞を一字一句忘れてなかったことは、洗った髪を乾かす間に日記で確かめた。   「あんたが忘れてたって、わたしが忘れてないんだから」  神風を望むものだということは、十二分に承知しているけど。   「『………ああ。協力するからには、きっと遠坂を勝たせる。約束だ』    ──って」  神風だって、吹かないとは限らないんだから。   「──っと」  心配事を追いやったところで、せっかく整えた髪が乱れてしまっていることに気がつ いた。──ああ、さっき頭を振り回してしまったせいだ。   「それにしても面倒だなぁ。7日間これだと思うと気が重いわね」  ぶつくさと言いながら、手にしていたブラシを再び当てて梳かす。この調子だと走っ たりはしない方が良さそうだ──などとも考える。  目に付いたところを一通り梳かし終わった後で、わたしもバカだよな──なんて思い つつ軽く身体を捻った。他に変なところがないかを確かめる。──うん。どうやら大丈 夫みたいだ。見慣れない姿であるってこと以外は。   「うーん」  それにしても、やっぱりなんとも気恥ずかしい。どうも調子が狂う。   「まあ、ね」  けれど仕方ない。トレードマークの二本がないくらい、我慢しなくては。   「────よし。ま、こんなんでオッケーかな」  見切りをつけて、誰がするわけでもない同意を求めた。あんまりじっくりと確かめな かったのは、これ以上姿見に向かっていると、思わずいつもの髪型に直してしまいたく なりそうだからでもある。  クルリと、でも髪が乱れない程度の勢いで身を翻す。──と、流された空気に混じる 慣れない香りが、ふっとわたしの鼻腔をくすぐった。なかなかに良い香りだ。   (うん。良い趣味、してるじゃない)  安っぽい香水みたいなのだったら嫌だなぁとの心配は、杞憂だったようだ。さすがに それは許せないと考えていたのだけど、これなら普段から使うのも悪くない。帰る前に 銘柄を見ていこうか。向こうで売ってるかはわからないけど、探すだけはしてみよう。 きっと、きっとこれが──あいつ好みの香りなんだから。  さて。そろそろ行こう。思いのほか、時間を食ってしまった。まあ、髪まで洗うつも りはしてなかったんだから、当然といえば当然か。伸ばし続けてることもあって、随分 と乾きにくくもあるんだし。  でも、おかげで武器が一つ増えた。大したものじゃないかもしれないけど、ないより は遙かにマシだろう。使えるものはなんでも使うし、出来ることはなんでもやるんだ。 なりふり構わずに。バンザイアタックだって、真似だって。  だって、わたしにだって義務がある。そう。勝とうとしなきゃならない義務が。なに せ、契約してしまったんだから。  ──この戦いは、勝たせて貰うんだと。                                    Fin. ==============================================================================                     Fate/stay night は TYPE-MOONの著作です。                けもりん は TYPE-MOON とは一切関わりはありません。                        Fate/stay night 本編より一部引用。               OHP第一回人気投票投稿SSに投稿したものに一部修正。 ============================================================================== -----------------------------------------------------------------------------  けもりん   URL http://www2.tokai.or.jp/kemo/   mailto kemorine@tokai.or.jp  無断での転載はご遠慮くださいませ〜。……念のため。(笑