「よお、牧島。お前、明日暇かよ?」  三学期の始業式が終わった教室。受験に向けた最後の追い込みも残りわずかになってい る時期に似つかわしくないフ抜けた問いかけが、机の上に開いた参考書と向かい合ってい た俺の頭に降ってきた。  「あ?」  頭を上げながら、なにをバカなことをと、あからさまな不満を乗せて返事をする。  入試日まで、あと一カ月と少し。ちょっとでも時間が欲しい状況でなければ、ホームル ームまでのわずかな時間にまで参考書を開いたりなどしない。そんなことは、見ればわか りそうな物だ。  それなのにフザけた口を叩いているのは、同じクラスの新山だった。──確か、道内の 中堅私立校に推薦が決まったとか言って、冬休み前にはしゃいでいたはずだ。  「明日だよ、明日。初詣に行かねぇか?」  「……あのな」  ヘラヘラと緊張感のない顔に向けて、俺は憮然としたまま答えた。  なにも今日の新山の顔が特別緩んでるわけではないと思う。多少の冬休みボケはあるの かもしれないが、それにしたても冷静に見れば気分をどうこうするほどではないだろう。  だが、元々いけ好かない奴だと感じているせいか、新山の態度がやけに気に障った。  自分の受験が終わってるからといって、まだこれからで気が立っている俺を誘うとは、 なんと無思慮なことか。  (──アイツじゃあるまいし)  その無遠慮さから一人の男を連想してしまうあたりが、俺が新山を好ましく思えない理 由の大半だった。新山にとっては迷惑なことかもしれないが、ヘラヘラとしたニヤケ面の 雰囲気も同じだ。  そんなこともあって、クラスメートとはいえ友人とは呼べるほど親交があるわけではな い。迷惑を考えずに気安く声をかけられるような間柄ではないはずだ。  「と、そうか。オマエはまだだったけ。……あー女子がさ、マックス呼べないかっ   て言ってんだよ」  にもかかわらず、新山は馴れ馴れしい口調で続ける。  あれだけそっけない態度をとったのに、意に介す素振りは一切ない。厚かましい──あ るいは「白々しい」か──にもほどがある。  そもそも女子がどうこうっていうのは、どうして俺が行かないといけない理由になるの だろうか。この手の話は初めてなわけではないが、どこからどう見ても新山の思惑でしか ない。それに俺が付き合う義理があるというのだろうか。なにを言われようが行く気にな どなるわけがない。  ところが──  「いい加減にし──」  「……小町ちゃん、来るってよ?」 厳しい口調で突き放そうとした俺の耳に、新山の抑えた声が吹き込まれた。まったくもっ て意外な言葉に、思わず言葉が止まる。  「ゆ・き・む・ら・さ・ん」  反応してしまった俺の様子を見て取って、新山がもう一度囁く。ご丁寧にも細切れにし た名字で。  「な……」  目を見開いた俺を、新山は満足そうに見た。  知られていることは、意外でもなんでもなかった。自分ではそんなつもりはないものの、 誰彼に限らず「見てればわかる」と言われている。「気づかないのは小町ちゃんぐらいだ よねー」とさえ、言われたことがあるぐらいだ。  だから、俺が驚いたのは雪村さんが来ること自体にだった。  「疑ってるだろ。ホントだぜ? なぁー、小町ちゃんっ?」  まさかと言いかけたところに、新山が教室のちょうど反対側向かって声をかけた。そち らを追った俺の目に、誰でもない雪村さんの姿が映る。本来ならばあるはずのない姿だが、 クラスの誰かに用事でもあったのか先程から声を聞くことができていた。  「ちょ……」  「明日、よろしくぅ!」  「9時だよね? わかってるから大丈夫ー!」  慌てて止めようとする俺を尻目に、新山は言葉を続けた。その調子に合わせるように、 雪村さんからも軽い返事が返ってくる。  「だってさ」  振り返った新山が、話を俺に戻す。  「……わかった」  目の前に示された決定的な証拠に、俺はぐうの音もでなかった。新山の口から次の言葉 が出る前に、同意を示す答えを口にする。  雪村さんをこれ以上俺のための餌にされるのが心苦しかった──というのは言い訳で、 これを「降って湧いた最後のチャンス」だと思ってしまっている自分が間違いなくいる。  ──俺もあんな風に、軽く話せたら良いのに。  さっきのようなシーン見て、そう思ったことは少なくない。俺が雪村さんと話したのは、 三年間を数えても両手で足りるくらいしかないのだ。それも、ぶつかってしまって謝った りという程度。会話と言えるほどのことはしていない。一度も同じクラスになったことが ないのだから仕方ないと言えばそれまでだが、だからといって諦めがつくようなことでは ない。  それに──上手く二人とも桜坂学園に合格したとして──ただ出身校が同じというだけ では、どれほど近づくことができるのか怪しいものだ。  もちろん雪村さんのことだから、話しかければ笑顔で応えてくれるだろう。けれど用事 もないのにというのには、どうも乗り気になれない。爺ちゃんからも、男たるものみだり に想いを寄せる相手に話しかけるのは良くないと言われている。  だから本当に、これは思いもかけないチャンスだ。一緒に出かけるのであれば、話しか けてもなんの不自然もないだろう。  「お。来てくれるか?」  「ああ。明日、9時だな?」  「駅にな」  まんまと作戦に乗せられたなとは思った。かといって見逃す手はない。確認をしてきた 新山に、俺は参加の意思を改めて伝えた。  「わかった」  ただ、いまいち信じられないという思いもある。あの雪村さんがこの時期にとは、なか なか考えにくい。彼女が受験にかける思いが学年の誰よりも強いことを、俺は良く思い知 っているのだ。  あと一ヶ月余り。残された時間は決して多くない。神頼みにしても、少しでも濃いご利 益をと、元日に行っても良さそうなものだ。  「牧島も案外話せるじゃん。見直したぜ。……小町ちゃん、晴れ着だと良いな」  それなのにどういうことだろうか──と思っている俺に面白くもない軽口を言い残すと、 手をヒラヒラとさせながら新山は去っていった。  「……バカなこと言うな。風邪でもひいたらどうするんだ」  その背中に、届くはずのない呟きを向ける。  そして、横目でチラリと雪村さんの声が聞こえてくる方を見る。どんな用事なのだろう。 雪村さんは、まだ女子の一人と話していた。  (……ごめん──だよな)  その姿を確認して、心の中で謝った。  勝負は、あっちに行ってからだ。それを変えるつもりはない。今は、その準備だけだ。  けれどその準備は、謝るべきことなのだと思う。叶うと信じている雪村さんの真っ白な 想いを疑うのと、同じなのだから。  そうして──やってきた先生に促された彼女の声が消えるまで、俺は役に立つはずのな い参考書と向かいあうのだった。 =============================================================================   それは舞い散る桜のように サイドストーリー 『 I Wish (仮)』                         牧島 麦兵衛                         Written by けもりん =============================================================================                                 ────次の日。  「あ、おはよ〜。マックスくん」  手袋の中にあってなお凍えた手で駅舎のドアを横に引くと、中にたまっていた一団から、 早速俺を呼ぶ声が上がった。見ると、一人の女子が中途半端に上げた手を軽く左右に振っ ている。その声で気がついた他のメンバーも、めいめい声をかけてきた。  その中に雪村さんの姿がないことに気がついて、俺は後ろを振り返った。が、珍しくも ない白に囲まれたそこにも、見つけることはできない。腕時計に目をやると、集合時間ま ではドアを閉めるぐらいの時間しか残されていなかった。  遅れているだけだろう──そう考えて、駅舎内から暖かな空気を逃がし続けているドア を閉めた。雪村さんがと思うと意外なことではあるが、かといってドタキャンはもっと雪 村さんらしくない──と思う。  もし雪村さんのことが新山から聞いただけであれば、騙されたかと疑いたくなっただろ う。しかし確かに昨日、雪村さんが今日のことを話すのを聞いている。  「おはよう。今日はよろしく」  声をかけられた一団に近づいて、当たり障りのなさそうな挨拶をする。  人数は俺を含めて九人。そういえば誰がくるのかを聞いてなかったが、半分よりも女子 が一人多い。昨日の新山の言葉のように、中には着物姿の娘もいる。  ただ、あまり面識のなかった面々だった。どちらかといえば、学校の中で良く言えば目 立って──悪く言えばマセて──いるグループの集まりのようだ。男子も女子も、同じク ラスのヤツを除けば顔と名前がなんとか一致する程度でしかない。  「あとは──小町ちゃんか」  俺が輪に加わったのを確認して、新山がこれ見よがしに言った。どうやら、他のメンバ ーはそろっているらしい。今ここにいる顔触れからすると、たしかにそのようだ。  「どうしたんだろうね〜」  女子の中の一人から声が上がる。視線で無言の圧力をかけると、新山は「さあ」という 感じの顔を作った。どうやら、新山の方でも把握をしていないらしい。  「ま、あと10分はあるか。ダメなら連絡してくれるだろうしな」  ポケットから出した携帯電話──持ってるのはクラスで何人かだ──を開いた新山が言 ったのは、列車の時間だろう。九時というのが一時間に一本の普通電車に合わせた集合時 間なのは、この駅を使っていれば自然に思いつく。もちろん雪村さんもわかっているはず だ。  それに、新山が携帯電話の番号を教えてあるようだ。俺には教えてないのに──という のが気掛かりではあるが、ひとまず雪村さんが来ることにはなっているのは確からしい。  それにしても、しっかりと余裕を持たせて集合時間を設定しているあたり、携帯電話な んてチャラチャラしたものを持っているわりには案外と気の回る奴だ。  「ねぇねぇ、マックスくんっ。なにをお願いする?」  「あ〜っ。私も聞きたい〜」  「わたしもわたしも〜」  少しは新山のことを見直しても良いかもしれない──と思っていると、さっきの女子が 話しかけてきたのに続いて、同じように馴れ馴れしい声が次々に上がった。  「受験、だよな?」  そこへ、新山がもう一人の男子と一緒に割って入ってくる。強引な印象がありありだが、 まあそういうことなのだろう。二人が呼びたがったのがこの女子たちで、女子たちが呼び たかったのが俺というわけだ。  「……ああ」  良い迷惑だと言わんばかに、新山の言葉に同意する。  それを聞いた女子たちは、口々に「大変だね〜」だとか「頑張ってね」などと言ってく れた。しかし、ならば始めから誘おうとしないでもらいたいものだ。それほどの気も利か せられないで、どうして相手の好意を期待できるだろうか。  それに、ほぼ初対面での「マックスくん」は、あまりに馴れ馴れしくはないだろうか。 たとえ、それが学年中に浸透しきった呼び名であっても、だ。  こんな、相手に対して真面目に向き合っていると思えない態度では、わざとらしい化粧 がなければ可愛いかもしれないと思えるぐらいの容姿をしていても、反感しか覚えること ができない。  しかも雪村さんが彼女たちのグループであるとは到底思えない。思えないし、事実学校 で一緒にいるところを見かけることだってほとんどない。となれば、雪村さんを誘ったの は彼女たちなのだと容易に想像がつく。それも、俺を連れ出したいがために。いくらなん でも、男子からの誘いに雪村さんは乗らないだろう。  「ねぇねぇ、どこ受けるの〜?」  「──切符、買ってきておいた方が良いか?」  気分を更に悪くする言葉を無視して、新山に問いかける。  そんなところまで踏み込まれるいわれはない。第一、今更それを聞いてどうするという のだろう。気を引きたいのであれば、あらかじめ聞くなり調べるなりして然るべきではな いだろうか。  「おう。そうだな、忘れてた。他はみんな買ってあるから、マックスも行ってこい   よ」  これ幸いとばかり、新山が俺を促す。利害が一致するだろう──とは思っていたが、そ れ以上に好都合らしい。こちらとしても、できるだけ雪村さんを待てるように、少しでも 準備は整えておきたいところでもある。  (雪村さんの分も──いや、さすがに図々しいか)  ──そうすればもっとギリギリまで待てるし、もしかしたら話す機会もできるかもしれ ない。  ふと脳裏に浮かんだそんな考えは、すぐに打ち消した。  もう少し親しければ不自然ではないとも思えるが、今の関係では気味悪がられるだけだ ろう。それも完全な善意からならばともかく、下心が混ざっているのでは言い訳のしよう もない。  残念がる女子たちに背を向けて二歩三歩と進んでから、後ろのポケットに突っ込んであ った財布を引き抜いた。  確か240円だったよな──と考えながら、小銭入を覗き込む。  ちょうど見つけた三枚のギザギザ付きの銀色を、指を挿し入れてつまみだした。そのう ち一枚には、穴が空いている。  「ごっめーんっ!!」  そのすぐにあと。背後に大きな声が響いた。──雪村さんだ。  着物ではない。が、制服姿しか見たことのない俺にとっては、普段着に身を包んだ彼女 の姿は十分にドキっとするものだった。真っ赤なダッフルコートについた真っ白なぽんぽ んが、彼女の可愛らしさと純真さを象徴しているようにさえ思えてしまう。  (──っと!?)  雪村さんに意識のほぼ全てを奪われていた俺の指が滑る。私服姿に動揺して、指に余計 な力が入っていたのかもしれない。  慌てて空中で受け止めようとするも、真ん中に挟まれていた一枚が手の間を擦り抜けて 足元で鳴った。そして、さっきまで俺がいた方──には雪村さんが走ってきている──へ と転がっていった。  ──このままだと雪村さんに拾われる。  それを瞬時にマズイと判断して、慌てて落ちた硬貨を追いかけた。拾われてしまったら、 話をしなくてはいけないのだ。  なにも話をしたくないわけではない。むしろ、できれば話したい。けれど心の準備がで きていないどころか、見慣れない雪村さんを見てしまった衝撃で、今までにないくらいに 無防備になってしまっている。こんな状態で話なんかしたら、どんなボロが出てしまうか わからない。  しかし、俺のとった行動は逆効果でしかなかった。あまり大きく動き過ぎたのがいけな かったのか、こちらを向いた雪村さんが硬貨に気づいてしゃがみこんだ。歩幅にして、大 きく五つほどの距離だ。  まるでスローモーションのように、銀色の筋が手袋を外した雪村さんの白い手に収まっ ていく。その間にも、惰力が俺と雪村さんの距離を二歩あまり詰める。──残り、三歩。  「牧島くん?」  足元というにはやや遠い場所で、雪村さんが僕を見上げた。そして誰か──いや、僕だ ──を呼ぶ。その表情は、いつも飛びっきりだと思っている笑顔だった。  「え──あ、ああ。牧島です。よろしく」  瞬間的にオーバーヒートしそうな思考を必死になだめて、呼びかけられた名前が正しい ことを告げた。頬が赤くなるのはどうしようもないにしても、言い訳のためには態度くら いは冷静にしておく必要がある。  「一組の牧島くんだよね? 知ってるよ〜」  立ち上がった雪村さんが、そう言いながら一歩こちらに寄る。  ──俺のことを知っていてくれた。  その事実を知って、胸のあたりにゾワゾワとしたものが集まってきた。それに突き動か されて、身体が飛び跳ねたがる。「サッカー部の」ではなく、同じ学年の一人としてだと いうことが、余計にぞわぞわを増やしてくれていた。  けれど、態度に出すわけにはいかない。もちろん欲求のままに飛び跳ねるのもダメだ。 そんなことをすれば、雪村さんの目にはあからさまな好意に映ってしまうだろう。  そして、それは避けなければならない。  雪村さんにとって今が大切な時期だということは、良くわかってる。心を乱すようなこ とをしてはいけない。相手の足を引っ張ることで自分の隣におこうとすることは、あって はならないのだ。  それは男として卑怯なことだ。たとえそのつもりがないとしても、結果的になってしま ったときの言い訳はできないだろう。まして一生懸命な雪村さんが相手であれば、なおさ らに。もっとも、どれだけ乱してくれるものなのかは、わからないけれども。  だが、だからこそ勝負はあちらに行ってからと決めていた。あのニヤケ面と、公平に争 えるようになってからと。  「今日はよろしく──じゃなくって」  ぺこりと頭を下げかけた雪村さんが、はたと気づいたように顔を上げる。  「うまいなぁ、牧島くん」とでも言いた気に下がる目許は、今までに見たことのない表 情だった。身体の中のゾワゾワが、また大きくなったような気がした。  「これこれ。これ、牧島くん?」  そこまで言われて、俺は雪村さんの手にフリフリと揺らされいる五十円玉を意識に捉え た。  (ぁ──)  ようやく初めの「牧島くん?」の意味にも気づくと、ゾワゾワがとたんに焦りと恥ずか しさに変わり始めた。雪村さんは名前を聞いたわけではなくて、落とし主を聞いただけだ ったのだ。  「あ、ありが……とう」  ──ともかく早く受け取らなくては。  その考えだけに支配されて、「はい」と差し出されるがままに銀色の硬貨に手を伸ばす。  が、それも大きな失敗だった。小さな方から数えた方が早い大きさの硬貨を手に触れず に受け取には、少なくとも二人ともの意識が必要だった。そして今回は、恐らく二人とも に欠けていたのだ。  (ぅ……ぁ──)  しまった──と思ったときには、すでに遅かった。触れてしまった雪村さんの手から、 次々に温かさが染み込んでくる。  しかも、振り払うようにして手を引っ込めてみても、状況は変わらない。握り込んだ手 のひらにある五十円玉は、落としたときよりも明らかに高い温度を持っていた。それは間 違いなく雪村さんの手によるものだ。  目の前──慌てていたせいで最後の一歩も残していなかった──で、雪村さんが俺をキ ョトンと見上げる。その瞳に俺の急な動きに対する疑問が見えてはいるが、その事実を認 識するだけで精一杯だ。とても説明ができるとは思えない。まして理由を言うことなしに では。  「はいはい、お二人さん。アツアツなのはわかったから、早く切符買ってきてくれ   よな。ぼちぼちマズイぜ?」  固まっていた俺を突き崩したのは、笑いを堪えた新山の声だった。同時に肩がポンと叩 かれる。  「ちょ待っ──」  「え〜? なになに? そう見えるの〜?」  ハッとして否定しようとする俺。それは言って良いことではない。冗談であっても、悪 すぎる冗談だ。ところが、その声に雪村さんの明るい声が重なった。  「──え?」  意外な反応に驚いて、雪村さんを見る。肩と並ぶような位置にあった横顔を、ちょうど 見下ろす格好になった。  「付き合ってるみたい──だって。ごめんね、牧島くん。こんなのと、って思われ   て」  こちらを向いて言いながら、雪村さんがペロリと舌を出す。その表情は、あっけらかん としていた。  「えっ。いや、その……」  「きっと私なんかより、ず〜っと可愛い彼女さんいるんだよね? 格好良いし、い   つも目立ってるし。良いな〜、彼女さん。私なんかじゃ、全然釣り合わないよね。   ごめんね、馴れ馴れしかったかな。いつもの癖で、つい調子に乗っちゃった。私   の悪いところだよね」  「べ、別にそんなことは……」  反応しきれなかった俺は、ただ喘ぐだけだった。それでも、誤解だけは解かねばとの想 いで、なんとかそれだけは言葉にする。  「そう? そう言ってくれると嬉しいな。今日はせっかく一緒に行くのに、朝から   気まずいのは嫌だもんね。こんなうるさい女の子だけど、今日だけだと思って相   手をしてやっていただけますとー」  「こ、こちらこそ。雪村さん」  わかってくれたのか、くれないのか。一気に捲し立てるように喋った雪村さんがペコリ ンとしたお辞儀につられるように、俺も頭を下げた。──思わず、彼女を呼んでしまいな がら。  「えっ?」  「あ……」  しまったと思ったのは、またもや遅すぎた。不思議そうな顔をした雪村さんが、顔を上 げてこちらを見る。  「お、同じ学年の人ぐらいはわかるって。雪村さんも俺の名前わかったんだし、さ」  しどろもどろになりながらも答えることができたのは、今度の言い訳があらかじめ考え ていた答えに含まれていたからだった。『いつかは』と思って考えたのは結構前になるが、 言っていること自体は不自然じゃない──と思う。さっきのことをアドリブで入れられた のも上出来だ。  「そっか。そうだよね。なんか困ってるみたいだったし、私のこと知らないのかな   ーって思ってたから驚いちゃった。だってほら、牧島くんて有名人だもん。サッ   カー部頑張ってるし。私のお友達にも、気にかけてる人が一杯いるんだよ?」  「ゆ、雪村さんだって──め、目立ってるから」  とはいえ、用意ができていたのは初めのやりとりだけ。さらにアドリブを続けようとし た口から「かわいい」という言葉が出そうになるのを、俺は慌てて押しとどめた。その代 わりに出たのは、誉めているかどうか微妙な言葉だった。  「あははー。私、騒がしいって良く言われるもんね。でも、このペカペカとした賑   やかさだけが取り柄だから、我慢してやってくださいませませ。もうちょっとで   卒業だしね。──あと少しすれば、穏やかな日常が帰ってくるから」  「あ……」  その返事を聞いて、俺は絶句した。  気分を害したかもしれないというのは、もちろん気にかかった。けれど、俺の目を醒ま させたのは、むしろ最後の言葉。  『──あと少しすれば、穏やかな日常が帰ってくるから』  そのフレーズが、危うく都合の良い勘違いをしそうになっていた俺にとっては大きな釘 だった。  ──知ってるわけない、か。  突きつけられた現実は、桜坂学園のこと。  俺のことを知っているみたいだし、もしかしたら──と思ってしまっていたが、やはり 無茶な希望だったらしい。言葉が意味するのは、雪村さんが想い描く桜坂学園に、俺は存 在していないということだ。  もっとも、それはそうだろう。俺だって、誰か他にいるとは考えたことがない。  俺が雪村さんのことを知っているのは、知りたいと思ったからだ。それに、追いかけた いと思ったからだ。そうでなければ、全く見知らぬ街の学校に出て行こうだなんて思った りはしなかっただろう。そもそも、今のところ先生ぐらいしか知らないはずのことが、人 伝てで雪村さんに届くわけがない。そして、雪村さんが能動的に知ろうとする理由には、 心当たりは全くないのだ。  「あ、それと、名字じゃなくて名前で呼んでもらえるかな。もう竹と馬のお友達み   たいに気軽に呼んじゃって? 『小町ちゃん』でも『こまちゃん』でも。あ、い   っそのこと『小町』って呼び捨てにしてもらっても。他人行儀に名字だと、なん   だかこそばゆくて」  「──なら、『小町さん』?」  調子に乗るなと自分を戒めながら、俺は無難そうな呼び方を選んで告げた。本当は恋仲 でもない女の子を名前で呼ぶのは避けたいが、彼女の願いなら聞かざるを得ない。それで もなるべく親しい呼び名にならないように、との判断の上での選択だ。  「うん。ありがとう。そうだ。切符、買いに行かないといけないんだよね? 行こ   う?」  呼び名の了承は無事得られたようだ。雪む──小町さんは頷くと、俺の変化に気づくこ となくクルリと後を向いた。そして俺に誘う言葉をかけて、二つ並んでいる券売機へ駆け だす。  「──なんだよ」  その赤いダッフルコートの背中を追いかけようとすると、誰か──いや、新山であるこ とは確実だろう──が俺の肩を掴んだ。鬱陶しく思いながらも振り返って、犯人に文句を 言う。  「脈、ありそうじゃん。良かったな、マックス」  「……違うさ」  自嘲も込めた視線を、冷やかし混じりのニヤニヤ顔に向ける。こいつには、一連のやり とりがそう見えたらしい。とんだ節穴だ。  「な、なんだよ」  「いや。……あんまり軽く言ってくれるな──ってことだ」  俺の反応が予想外だったのかバツが悪そうにする新山に、さっき言いそびれたことをボ ソッと呟いた。  ──俺はともかく、小町さんが戸惑うだろう。  その本心は、もちろん隠したままで。  小町さんにとっては、アイツ以外の人間と付き合ってると勘違いされるのは、決して気 持ちの良いものではないはずだ。まして、このナーバスになっていてもおかしくない時期 に。  「ふーん。ま、頑張れよ」  つまらなそうにする新山に真意が伝わったのかは、甚だ疑わしかった。もっとも、やめ てさえくれれば真意など関係ない。むしろ、変に小町さんの方のことを感づかれたりする 心配がない分、都合が良いくらいかもしれない。  「……ああ。俺も切符、行ってくる」  「おお」  ぶっきらぼうに話を断ち切って、応答を背中越しに聞く。  視線の先に下を向いている小町さんを捉えた。チラチラと頭上にある運賃表を見たりも しているところからすると、お財布を覗いているんだろう。  けれど俺には──落ちた肩が、どことなく寂しげに見えた。  その寂しげな姿が、俺にもう一つの勘違いを気づかせた。気づいてしまった俺は、とた んに胸をぎゅうと押しつぶされる。  (──だから……か)  半ば一方的に会話から抜け出して切符を買いに行ったのは、一人になりたかったからで はないだろうか。一人になって、心を静めたかったからではないだろうか。そして、新山 に冷やかされたときに小町さんが顔を曇らせるどころか捲したてるように賑やかになった のが、そもそもアイツとの距離を思い出してしまったのを隠すためだったからではないだ ろうか。  そういえば──笑っていたわりには、真っ直ぐ目を合わせようとしていなかったと思う。 ちゃんと合っていたのは、呼ばれて驚いていたときだけだ。  「……無理、しないでくれよな」  いくつか足を進めて、俺は自分の耳にも入らないくらいに小さな声で呟いた。  小町さんのためではなく、俺のためであることを。小町さんに聞こえたなら、準備を越 えてしまうことを。  無理して笑顔になるくらいであれば、いっそのこと泣いていてくれた方が期待もできる かもしれない──と。懸命に頑張っている姿には、いつも想いの強さを思い知らされてい るのだから。  次の瞬間──  「あっ」 乾いた金属音とともに、駅舎の中に小町さんの慌てた声が響いた。そして、俺の足元へ転 がってくる銀色の硬貨が生まれる。  「……」  俺はしゃがみ込んで、その硬貨を待った。大きさからすると、五百円玉だろう。  「ごっめーん」  追ってくる小町さんより早く、硬貨を手のうちに納めた。あと何歩かというところまで 追ってきていた小町さんが、それを見て出す足を緩める。  「……小町さん?」  なんと声をかけようか少しだけ考えて、俺はそう聞くことにした。  聞く必要なんてない。小町さんが落としたのを見ているのだし、彼女が『雪村小町さん』 であることだって十分にわかっている。けれど──  「え──あっ! はい。雪村小町です。よろしく」 きっと、小町さんならそう言ってくれると思ったからだ。  そして、  「って、さっきもやったよ〜。あははっ。上手いなぁ、牧島くん」 その笑顔を取り戻してくれるとも。                            to be ....... continued ? ==============================================================================                  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