ギぶゥっ──  彼女の閉じた筈の意識に、鈍い音が響いた。  残りの魔力は──ない。ゼロだ。  彼女の身に刻まれた魔術回路の核たる心臓は、たった今引きちぎられたのだ。  故に──その意識は、こじ開けられたモノ。  肉体の生命活動が終わった後も毛細血管に保持されていた魔力の残滓によって辛うじ て生き存えていた脳が、自律的な鼓動ではなく送り込まれた血液で一時的に呼び覚まさ れただけのこと。  であるから、彼女の肉体の全体が既に生命としての活動を終えていることに間違いは ない。  そしてその意識も、握り圧されるべきポンプがなくなったこの後は、二度と戻ること はないだろう。  故に──これは、夢。  この地で良く言い習わされる、走馬燈に喩えられるモノ。  睡りに就く前の、キオクの整理。  いや、精算といっても良い。  根源の渦へ還るための、リセットであり消去処理だ。  そしてそれは、彼女の意味を規定する情報を符号化して記録されていた記憶と、彼女 の存在を規定づける魂を符号化して記録された記憶の、双方のデストラクタでもあった。  故に──彼女は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンである。  故に──彼女は、■■■■である。  今、この刹那にあっては。 ===============================================================================   Fate/staynight サイドストーリー  『 Last Cache 』                       Fate De valentine 2005 〜 イリヤ編                              Written By けもりん ===============================================================================  「────」  「───────」  「────?」  「……────」  聞こえない。  それは、完全ではない精算がなされたキオクらしかった。  会話をしたという事実は遺っている。  そして、問いかけたのが彼女で、少し困ったあとに答えてくれたのが女の人であるこ とも遺っている。  しかし、肝心な中身は聞こえない。  彼女に残されていたのは交わされた言葉を管理しているテーブルのみで、実体は既に 失われていた。  「───誰に──?」  「──ないしょ。─────────」  「────」  「──恥ずかし─────も、大人になればわかる────」  「────、────もあげるの?」  「──────」  「誰に?」  「────。おと─────かしら」  「喜──?」  「ええ」  「───」  「────も。────げたい」  「─────になってからで良いのよ───」  「────。そのときは────」  「───」  否。  未だ欠落していないオブジェクトも存在していた。よほど奥深くにしまい込んでいた 記憶なのだろうか。  しかし、それは断片。偶然にも上書きされることなく遺っただけの、残骸とも言える べき記録。  「──シロウ」  ノイズが混じる。管理テーブルの存在を無視して、直接書き換えられてしまったデー タ領域だ。  書き換えられたからといって、彼女の記憶に問題が生じていたわけではない。  なぜならば、そのテーブル自体が既に破棄されたものであるのだ。彼女の意識をテー ブルに結びつけるための繋がりは、既に彼女の中から失われている。即ち、記憶として 使用されるべき筈のないテーブルなのである。  しかしながら、これは使用ではない。これは、消去である。結びつきに頼ることなく 彼女の全てのキオクをなぞり、その全てを無へと還る完全消去。であるからこそ、この アクセスは発生している。  その過程は本来、キオクの持ち主が触れるところではない。しかしながら、意識と存 在の死が順を違えたときに、持ち主の意識がなぞられる記憶を観ることがある。まして や彼女の場合、一度は死に応じた意識が戻ったのだ。観えるのが当然とも言えよう。  「……イリヤは、どうするの?」  消去の対象たるキオクが変わった。──新たに造られたテーブルのようだ。これは── そう、この聖杯を巡る戦いが始まる直前の日のことだ。  「え?」  「…だから。イリヤはだれに、あげるの……?」  「リーゼリット、何を言っているの?」  「チョコレート、だよ。チョコレート。おとこのひとに、あいの告白をするチョ   コレート」  「……何のこと?」  「……しらない? あと半月もすると、14日だよ? バレンタインデー」  「ああ……。そのこと、ね」  「……『ああ……』ってそんな、ぞんざいなこと。全国の百万乙女が、年にいち   ど待っている日なんだよ?」  「……リーゼリット。それをどこで知ったの? そんな風習、この島国にしかな   いんだから」  「郷にいっては郷にしたがえ、ってゆうし」  「はぁ……。で、どう思うの──■■■■■は?」  「……イリヤスフィール様の御意のままに」  「なら……やんないわよ、くだらないっ!」  ──あのとき■■■■■に投げつけたブラシは、結局どうしたんだっけ。  記憶に触れた彼女の思考が、微かに動きを見せた。  しかし、あとに続くことはない。『考える』という彼女の器官は、やはり既に死んで いる。僅かに与えられた残滓による駆動では、それより先に達することができなかった。  そう。例えば──何故に気を荒げたのだろうか、などとは。  例えば──ノイズに覆われた呼び名が誰のものであったのか、などとは。  そして例えば──  (……バーサーカー) 一時でも思い浮かべた従者に重ねていたのが、どのような存在だったのか──などとは。 ──その存在は、白い雪が風に舞う荒野で負ぶわれた寡黙な背より感じたものであった のだが。  「────」  「──────」  「──」  「─────────────────────────────────」  彼女が触れるキオクが、再び色を持たないものへと変わった。  「───」  「─────」  「────」  「───────」  「────」  「──────」  今度のものは、そのテーブルにさえもノイズが混じっている。話す者が誰であるのか も、場所も、時期さえも定かにはならない。  が。  「──供も造ってやろう。二体とも失敗作の再利用だがな────」  その何者かの言葉は、消え去ることなく遺されていた。  何者か──それは、彼女の知るところではない。  彼女の器官が黙り込んでしまっているからではない。むしろ、それは逆である。睡っ てしまったこの状況だからこそ、触れることができている。  なぜならば、彼女は辿る術を持たないのだ。  彼女──イリヤスフィール・フォン・アインツベルンも。  彼女──■■■■も。  この言葉へと至るパスは、どちらのテーブルにも存在しない。  そのキオクが──彼女と彼女の隙間となりし日に刻まれた記憶であるが故に。  彼女でも彼女でもなく、引きずり出されていた彼女の魂そのものが刻んだ、キオクで あるが故に。  然して──彼女は叫んだ。否、叫ぼうとした。  全ての器官、全ての回路、全ての遺されているチカラに対して、叫べと命じた。  思い出したのである。気づいたのである。わかったのである。  思考ではなく、魂と呼ぶべきものが重なり合うカタチを認知したのだ。  何故、気を許せたのか。  何故、従順なメイドとしての態度に腹を立てたのか。  アレが、なんであったのか。  ──逃げて!  叫ぶ。  守ってくれた彼は既に斃れたのだ、と。  ──逃げて!!  叫べと命ずる。  守るべき私も既に仆れたのだ、と。  ──逃げて!!!  未だ城の奥に残る二人に向けて。  動かない口、働かない回路、掠れゆく残滓。  その一つでもが叶えてくれれば良いと、力の限り。  ──逃げて!!! お姉ちゃん!!!!  お母さん!!!!!  然れども──やはり彼女の全ては死に堕ちていた。  叫びの声は上がることもなく、伝える思念が飛ぶこともなく、狼煙となる輝きが上が ることもなかった。  ただ静かに、意識が霧散し再び闇へと墜ちるのみ。  その最期。彼女は願った。届かぬ叫びに代えて。  いまひとりの頼るべき人に。  いまひとりの家族に。  ──助けて、お兄ちゃん。  と。                                     Fin. ==============================================================================                    Fate/stay night は TYPE-MOONの著作です。               けもりん は TYPE-MOON とは一切関わりはありません。 ============================================================================== ----------------------------------------------------------------------------- <<珍しくここにコメント>>  ……ば、バレンタインSS?  こんな暗いのを書く方はいるのかなぁ……。普通はチョコレートで甘々ってな感じ の書きますよね。(苦笑  一応、エピソード的にはバレンタイン入れてはみたんですが、実は便乗しているだけ です。ええ。  場面設定は、二部のイリアが心臓取られちゃったシーン。  しかもまあ、ツッコミどころは満載。記憶なんてこんなに単純でもないでしょうし。  緻密な世界設定や理論展開は苦手なので、大目に見てやってください。某漫画の野球 シーンの如く。(ぇ  会話文が実は手抜きだったり、プログラムとかファイルシステムとかのイメージを持 ち合わせていない方に分かっていただけるかが不安だったり、そもそもあちこち荒かっ たりするのですが、そのへんも突発的な企画モノだということで。  ネタの根幹はプレイ時から。切継の妻ともう一人の姉がいるという記述がどっかにあ ったので。その二人がどうなるか……と思うと、あの二人がそうなのかなと。既に書い ている方がいるかもですが。  今回バーサーカーに対してのお父さんも加えると……書きこめば同人誌一冊ぐらいの ボリュームになりそうですね。……そのうちネタがなくなった時にでも引っ張りだすこ とにします。(笑  コメントまでの熟読、ありがとうございました。 -----------------------------------------------------------------------------  けもりん   URL http://www2.tokai.or.jp/kemo/   mailto kemorine@tokai.or.jp  無断での転載はご遠慮くださいませ〜。……念のため。(笑 -----------------------------------------------------------------------------