「気持ち・・・か・・・」
家に向かって歩きながら、俺はさっきの言葉を思い出していた。
手には、コンビニのビニール袋。
その袋の中には、たった今現像から戻ってきた写真が入っていた。
そして、それに加えて小さな緑色の箱。
今回は買うつもりのなかったそれまでも。
もう俺には、アルバムの写真を撮るなどという時間は残されていないはずなのだから。
今日の朝、システムからメールが来た。
明日中に回収だと。
だから後は、この写真を白倉に渡すだけだ。
そう思って、カメラの中に残っていたフィルムを今朝一番に現像に出した。
初めは、先に代金だけ払って、受取証を白倉に渡せば良いと考えていた。
だけど一応聞いてみたらば、今日中に何とかなると言われたので引き取って帰るところだ。
ガサガサ
すっかり暗くなった道で、俺は袋の中から緑色の小箱を取り出した。
街灯の頼りない明かりの下に照らされたその箱には、ゴシック体の黒い文字で『クジフィルム』とロゴが印刷されている。
「そんなこと、できるのだろうか・・・」
現像をしてもらったコンビニの店長が言った言葉。
「写真を撮るということは、自分の心を見えるようにするということなんだよ」
もう一度、その言葉を小さく口に出してみる。
いや、物理的にはありえないことだとわかっている。
写真に心が写るなんて。
銀板写真の原理的にありえない。
しかも、シャッターを切る人の姿は写真に写らないというのに。
だから、俺は無理だと思う。
「『人』ならば・・・できるのかもしれないな」
だからこそ、何かがあったときに、人は写真に残そうとするのかもしれない。
それに、芸術として扱われる写真があることも知っている。
それはきっと人が撮れば、そして人が見れば、物理的に目に受ける刺激だけでない何かを感じ取れるからなのだろう。
だとすれば、そこに写っているものが『心』と呼ばれるものであることがあっても不思議ではない。
けれど・・・
「じゃあ、やっぱり俺には無理かな」
自嘲気味に呟く。
だけど俺はやってみようと思ったのだ。
結果的にそれは無駄に終わるかもしれない。
しかし、今の俺にできそうなことと言えばそれぐらいだ。
きっとこのまま俺がいなくなったら、茅乃は悲しむ。
それがどういう感情なのかは、俺には良くわからない。
それでも、悲しむということは決して望むようなことでなことはわかっている。
そして悲しませるということも、同じように望むべきことでないことも。
もちろん成功したところで、どれほど茅乃の悲しみが和らげれるのかはわからない。
ともすれば逆に悲しみの種になってしまうのかもしれない。
余計なおせっかいなのかもしれない。
それでも俺は、写真を撮ろうと思う。
茅乃の写真を。
合理的な考えではない。
「自分がやらなきゃと思ったことは、結果的にどうなろうとやったほうが良いのよ」
けれど、いつかの茅乃の言葉を信じることにした。
それに。
「自分で気がついていない心も映るんだよ」
店長の言葉。
もし、もし俺がただ気がついていないだけならば、最期に茅乃に想いを見せることができるのかもしれない。
茅乃への愛を。
そう考えたら、この小箱がある。
(そうだ・・・)
もう一つ良い案を思いついた。
(この写真を渡すついでに、白倉に頼んでみよう)
一緒にアルバムの写真を撮ってきた彼女ならば、綺麗に写してくれると思う。
このカメラだって、何度か貸したことがあった。
(初めて撮るんだからな)
どうせなら上手く撮ってくれる人が良い。
茅乃だってそうだろう。
「よしっ」
俺は足を速めた。
明日は日曜日。
学校は休みだから、帰ったらまずは白倉に電話をしなければと考えながら。
良くはわからなかったが、少し元気が出てきたのを感じていた。