ベッドに寝転んで、天井をうつろに見つめている。

枕元には、ついさっきまでみさきと話をしていたPHSが無造作に投げ捨てられていた。


  「・・・ありがと・・・」

最後にみさきが小さく呟いた言葉が、今も耳の奥に残っている。

  (何に・・・対してだろう・・・)

ボクは思う。

  (どっちに・・・対してだろう・・・)

今日のことか、それとも・・・。

  「気づいているのかな・・・」

相手のいない問いかけは、むなしく部屋に散る。

もちろんそれは、今日のことに対してのものではない。

もう一つのことに気がついているならば、今日の企みにはきっと気がつくだろうから。

逆に、今日のことに気がついたのならば、もう一つのことにも気がつくかもしれない。


  (ここまでしてるんだから・・・)

もう一つのこと。

  (ちゃんと先輩のこと、捕まえてよね・・・)

それはボクの想い。

  (そうじゃなきゃ・・・)

ここでボクはうつ伏せになった。

枕に顔を埋め、両手でぎゅっと掴む。

声を押し殺すために、そして涙を押さえつけられるように。


  「仕方ないよ」

それはいつもの言い訳。

狭川先輩は、ボクにとっては「みさきの好きな人」だった。

初めて会ったときから。

だからボクが先輩を好きになってしまったのは、間違いなくみさきより後。

みさきと話している先輩を見ているうちに、好きになってしまった。

みさきがいなければ、先輩を好きになるどころか知り合ってもいなかったと思う。

だから、やっぱりボクと先輩は「みさきの好きな人」と「みさきの友達」でしかないと思う。

仕方ない。

だって、みさきは親友なのだから。

みさきならば、良いと思うしかないのだから。


  (そうじゃなきゃ、絶交、だからね・・・・)

それが理不尽なことであることはわかっている。

先輩が断ることも考えられるのだ。

でも、どちらせよボクと先輩の間に何かが生まれるとは思えない。

みさきの親友である以上、たとえみさきが振られたとしても、ボクが好きだと言う訳にもいかない。

逆に、みさきが先輩に振られるということは、ボクが先輩と話す機会もなくなってしまうということを意味している。

だから、みさきと先輩が上手くいかないのは許せないのだ。

それに・・・


  (ちゃんと諦めさせて・・・よ?)

「みさきの彼氏なんだから」

それが決定的な言い訳になるはずなのだから。

ブブブッブブブブブッ・・・

頑張って涙をこらえようとしているボクの耳元で、低くPHSが唸る。

ブブブッブブブブブッ・・・

ブブブッブブブブブッ・・・

ブブブッブブ・・・・・・・

けれど、ボクはそれに注意を払う気にはなれなかった。

しばらく震え続けてから、PHSはおとなしくなった。

自動的に留守番電話に切り替わったのだろう。

けれども、
ブブブッブブブブブッ・・・

間を置かずに、またPHSが震えだした。

しばらくすると、また静かになった。

そして、また音を立てはじめる。

その繰り返しが何回続いただろう。

ボクが無視を続けているのにもかかわらず、着信は続いている。


  (みさき・・・かな・・・)

でも、さっき話したばかりだし、みさきにだってそんなに余裕はないはずだ。

第一、そろそろ家を出ないと待ち合わせの時間には間に合わないはず。

みさきのからというのは、ちょっと不自然な気がする。

けれど、ここまで電話を鳴らしそうな人の心あたりは他にない。

チラッと心に浮かんだ人、狭川先輩を除いて。

もちろんすぐに否定した。


  (番号・・・教えてないですもんね)

みさきが教えたりしない限り、先輩はこの番号を知らないはず。

そして、みさきから教えようとすることもありえないだろう。

先輩だって聞き出そうと迫る人とも思えない。

だから、否定は即座にできた。

それでも、ディスプレイに映った名前を見て、まずはホッとした。

狭川先輩ではなかったから。

きっと狭川先輩だったら、泣きじゃくりながら出てしまったに違いない。

泣きついてしまったに違いない。

我慢するには、心から力が抜けすぎてしまっている。

そしてそれは、みさきからの電話だったとしても同じこと。

声を押し殺しながら思っていたことを口にしてしまったと思う。

だから、名前がみさきではなかったことにも安心した。

そして同時に、


  (萩谷先輩!?)

まったく頭の中になかったその文字に、ボクは驚いた。

そういえば一昨日、番号は教えてあった。

けど、そんなに何回もかけ続ける用事は・・・


  (あ・・・)

一つだけ思いついた。

それはボクにとっては絶対に起こって欲しくないこと。

慌てて通話ボタンを押して、耳に当てる。


 「萩谷先輩!?失敗したんですか?」

糾弾するように上ずった声が、ほんの少しだけ鼻に詰まった音になった。

真っ赤な目元には、涙が跡になりきれないでいる。


  「梓ちゃん?」

  「はい。そうですよ!それで?どうしたんですか!」

  「え、あ、いや・・・。ちゃんと裕樹一人で待ち合わせ場所に行かせたよ」

  「なんだ・・・そうなんですか」

  「ああ」

  「こっちも、上手くいきましたよ。さすがに気がつかれたかも知れませんけど」

  「みさきちゃんに?」

  「ええ。『ありがと』なんて言われちゃいましたから」

  「そうか・・・。裕樹は・・・多分気がついてないぞ、あれは」

  「あはは。狭川先輩、鈍いですからね」

  「超弩級にな」

  「そうですね。ボクもそう思います」

  「ははは・・・」

耳元で、乾いた笑いが聞こえる。

  「あの、ところでどうしたんですか?」

  「あ?」

  「いえ、あの、何度も電話をいただいたみたいなんで・・・。出られなくてすみませんでした」

  「ん・・・。ああ。いや、電話しようかどうか迷ったんだけどさ・・・」

  「はい・・・」

  「こんなこと言うのもなんなんだが・・・」

やっぱり歯切れが悪い。

いつもの萩谷先輩とは大違いだ。


  「何ですか?あ、もしかしてもしかして、ボクに愛の告白ですかぁ?」

  「無理、してるんじゃないかと思って」

  「え・・・?」

  「人に言っちゃった方が楽になるもんだぜ?」

  「・・・・・・」

  「本当に・・・」

萩谷先輩が息をのが聞こえる。

  「これで良かったのか?」

そして発せられた言葉。

  「・・・・・・」

  「・・・・・・」

その瞬間、お互いの間に沈黙が広がる。

黙っていようとした訳ではない。


「何のことですか?」

ボクは出せなかった。

その言葉を。

口が僅かに開いただけ。

そして、代わりにボクの中から溢れてきたもの。

その大粒の涙がボクの目から溢れ出して、顎の先から膝の上に置いた枕に落ちていた。


  「聞いてあげることしか、俺にはできないけどさ」

  「・・・っ・・・・」

  「だけど、聞いてあげることはできる。そう思うから」

  「だって・・・。仕方ないじゃないですか・・・」

  「だって・・・だって・・・」

  「だって、狭川先輩はみさきの好きな人で、みさきはボクの親友で・・・」

  「だからボクは、諦めようとして・・・それで・・・」

  「みさきの彼氏なら、絶対、絶対諦められると思ったから」


そして、いつのまにかボクは、電話の向こうに心の中に溜まっていたものを吐き出し始めていた。

萩谷先輩に、そんなことを言うつもりはなかったのに。

ボクの心の中から出すつもりはなかったのに。

止められなかった。

けど、話すに連れて、抑えることなく泣いてしまうに連れて、心が少しづつ晴れていくように感じた。

萩谷先輩は、「ああ」とか「うん」とかそんな相槌を打ってくれただけだったけど。

それでも、ボクの中から錘を一つ一つ取り外してくれているようだった。


  「ところで、どうしてわかっちゃったんですか?」

一通り話し終わって落ち着いてから、ボクは萩谷先輩に尋ねた。

涙は止まってはいたけれど、それでも乾くにはまだ早い。


  「俺みたいに経験豊富な恋する紳士には、全部お見通しさ!」

  「は?」

意表を突いた返答に、思わずツッコミを入れてしまった。

  「や、だから俺みたいに経験豊富な恋する紳士には・・・」

  「・・・・・・」

もう一度繰り返えされた、馬鹿みたいな言葉に唖然としてしまう。

そして、


  「あははははは・・・」

ボクは身を屈めて笑い出した。

  「おいおい。何も笑わなくても・・・」

  「だって先輩?人は見かけによらないとは言いますけど、さすがに・・・」

空いている左の手の甲で目を拭いながら、笑い声とともに答える。

  「・・・片想い」

  「はい?」

ボソッと聞こえた言葉を聞きなおす。

  「豊富なのは片想いなんだけどさ・・・」

  「あははっ。それなら納得です」

  「・・・納得されてもなぁ・・・」

  「まあまあまあまあ。そんなに落ち込まないで」

声のトーンを落とした先輩に、慰めの言葉をかける。

  「でもな、まあ捨てたもんじゃないと思うけどな。片想いも」

  「・・・え・・・」

  「隣で馬鹿やったり笑ったりするのは、結構しんどいけどな」

  「・・・はい」

  「だけどまあ、好きなだけで良いんじゃないかって思ってるさ。友達以上にはなれなくても」

  「それって・・・」

思い当たる人がいた。

それは、先輩と同じクラスの女の人。

ボクとみさきの間では、『ばよなら』についての討議が交わされたこともある。


  「ん、いや、なんだ、まあそういうことだ」

  「大変なんですね、萩谷先輩も」

とても仲が良さそうに見えていた。

付き合っているのかな?と、みさきと一緒に疑ったこともあるぐらいに。


  (それなのに、片想いなんだ・・・)

  「まあな。この恋する紳士萩谷を持ってしても、なかなかに恋の道は厳しいのさ」

  「え〜?」

再び不満を口にしたボクは、とっさに閃いた。

  「あ、また疑ってやがるな」

  「でも・・・」

明るくその話題を振ることが、どんなに辛いことかに。

なんでそうしてくれているのかに。

いつのまにか、ボクが笑っていたことに。


  「ん?」

  「ありがとうございます。もう大丈夫です。だってボク、元気と笑顔がトレードマークですから!」

だから、ボクも精一杯の元気を込めて笑顔を作った。

  「そうか。なら良かった」

  「見に行ってみます?みさきたちのこと」

  「おっ?そうするか?」

  「あ、でも・・・」

ボクはベッドから立ち上がって、勉強机の上においてあった鏡を手にとって覗き込む。

  「ごめんなさい。やっぱり、今日はちょっとやめておきます」

  「そうか?」

  「弘法も筆の誤りってやつです」

  「ん・・・。わかった。じゃあ、明日二人から聞き出すことにしよう」

少し遅れがあった返事は、ボクの言おうとしたことをわかってくれた証拠だろう。

  「ええ。楽しみは後にとっておきましょう」

  「台風一過、期待してるからな」

  「はい!」

  「いや、むしろ梓ちゃんなら、元気な台風かな?」

  「あ、それひどいですよ。先輩ってば」

  「あはは。さっきのお返しだよ」

  「え〜」

  「まあまあ」

  「それじゃあ明日、先輩の教室にみさきを連れて行きますね」

  「おう!待ってるぜ」

  「狭川先輩も捕まえておいてくださいよ?」

  「まかせとけ。この萩谷、命に代えても作戦を遂行する」

  「よろしくおねがいしますね」

  「じゃ、この辺で」

  「はい。ありがとうございました」

  「ん?なんのことかな?じゃな、また明日」

プツッ

弱いノイズとともに、最後までとぼけていた萩谷先輩の声が途切れる。

ボクは、PHSを枕のあった場所の横にポンとなげた。

さっき、みさきと話し終わった後と同じように。

だけど、今度は窓に近寄って、いまだに閉まったままだったカーテンを勢い良くジャッと開く。

カラカラと窓を開くと、秋の爽やかな風がボクの髪を揺らした。

真っ青な空に浮かぶ、秋のお日様を見上げる。

そして、ゆっくり目を閉じた。

涼しくなった風が、目尻に心地良い。

耳には近くの公園ではしゃぐ子供達の声が聞こえてくる。

しばらくそうした後、目を開けて左手に持っていた鏡にもう一度顔を映す。


  (さて・・・っと)

顔を洗ってこなくちゃと、窓辺から離れる。

気持ちの良い天気だから、窓は開けたまま。

柔らかな太陽の光が、床を四角く照らしている。

秋の太陽は、しっかりと空で輝いている。

冬に流れ行く時の中だけど。


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