ドアが閉まるパタンという小さな音が、静まり返った部屋に響く。

私が出かけてからずっと、みさきは部屋から出ていないのだろう。

暖房が消えてから時間の経っているダイニングは、既に寒さが広がり始めていた。

靴を脱ぐと、私は玄関に上がった。

その靴を揃えた後、私は部屋の隅にある小さなストーブのところまで歩くと、スイッチを入れた。

緑色の小さな明かりが赤く変わって、電源が入ったことを示した。

そして、私はそこの桟にかかっていたハンガーを手に取る。

シュッという布擦れの音を立てて、上着から腕が引き抜かれる。

その上着をハンガーに吊る下げて、元の場所に掛けなおした。

ようやく作動し始めたストーブからの風が、冷えてしまった足に暖かかった。

私は台所に行くと、やかんを火にかけた。

インスタントコーヒーを戸棚から取り出して、ダイニングのテーブルに持って行く。

それとカップを一応二つ。

もちろんみさきのためだ。

置いたときにコトンと音がした。

そして、テーブルとは反対側の壁際にある、箪笥に向かう。

その箪笥は、一段目と二段目が小物入れとしても使えるように小さく二つに分かれていた。

私は一番上の段の右側を引き出した。

すぐに、緑色の紙袋が目に入る。

私はその袋を取り出した。

それと、その下に置かれていた灰色の布で張られた小さな箱を。

そしてそれをテーブルへと運ぶ。

カップが前に置かれている椅子に座って、袋から中身を取り出た。

中にはもう一つ紙袋。

袋とはいっても、横長のポケットの上から折り目が被るだけのものだ。

『クジフィルム』というロゴと、これ以上はないという笑顔で笑っている幼い女の子が印刷されている。

その中から、私は写真を取り出した。

たった二枚。

そのうちの一枚には、私だけが写っている。


  「ありがとう」

私はお礼の言葉を呟く。

この写真を撮ってくれた祥平に対して。

水族館の水槽を背に、困った顔をした私。

そういえば、最後の日に訳もわからずに水族館に連れていかれた。

そして、館内で撮影してはダメと言う私を押し切って、一枚だけ写真を撮った。

どうしてもここが良いからと。

結局、祥平と会ったのはその日が最後だった。

もう一枚の写真を見る。

そこには私と祥平がいた。

カメラに視線を合わせている私と、その隣でそっと私を見ている祥平。


  「・・・ありがとう・・・」

私はもう一度その言葉を口にする。

今度は、この二人で写っている写真をとってくれた女の子に対して。

そして、ずっとそれを預かっていてくれたその子に対して。

そっと二枚をテーブルに並べて置く。


さっき出かける前にしていたように。

そして交互に見つめる。

さっき公園で言ったことが、決して間違いでないことを確認するように。

写真の向こうに手を伸ばして、灰色の小箱を手に取る。

貝のように開く蓋を押し上げて、その中を見た。

そこには、真っ青に透き通った石がついた指輪が銀色に光っていた。

それは先週、付き合っている人から預かったものだった。

とても良い人だと思っている。

その人になら、私とみさきを任せられると思っている。

一緒にいて幸せを感じている。

けれど、指輪を渡されたとき、私は首を縦に振ることができなかった。

とても嬉しく感じていたにも関わらずに。

そんな私を見て「良いと思ったときに受け取ってくれれば良いから」と、その人は言ってくれた。


「それまでは預かっていてくれ」と。

その言葉もとても嬉しかった。

だから預かった。

ちゃんと受け取れるようになろうと思った。

それでも、今日まで踏ん切りがつかないでいた。

何かが私を邪魔していた。

それがなんであるのかに気がついたのは昨日。

夕暮れの中で、フィルムとカメラを受け取ったとき。

もう何ともないと思っていたことが、その原因だった。


  (祥平・・・)

二人で写った写真に目を戻す。

その写真の中で私をみる祥平の瞳は、とても寂しそうで悔しそうだった。

そしてとても優しかった。

どうしたらよいかわからないという表情で、私を見つめていた。

そしてもう一枚。

私は写真を手に取った。


  (どうして・・・だろう・・・)

私にはわからなかった。

けど、その写真からは祥平の想いが伝わってくるような気がした。

寂しさと悔しさと優しさと。

幸せになって欲しいという願いと。

そして・・・


  (ありがとう)

もう一度祥平に対して。

その写真には、私の求めていた答えがあったから。

祥平の、私のことを想ってくれていた心が。

そして私は、左手の薬指をリングにそっと通した。

写真の前で。

こっちを向いていない祥平の前で。

祥平の、私に残した願いの前で。

無機質な金属にも関わらず、その指輪は不思議に暖かかった。

きっと最後になるだろう祥平の為に流す雫が、頬を伝ってその上に降り注いだ。


  「大丈夫。幸せ・・・だよ」

呟く言葉に答えるように、キッチンでやかんがピーッと鳴り始めた。


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