「あのっ・・・」
夕暮れの商店街。
みさきに追い付けずに戻ってきた裕樹君の背中を、私は見送っていた。
そこへ後ろから呼び止める声が聞こえる。
女の子の声。
「あのっ・・・法月・・・茅乃さん・・・ですよね?」
(・・・私?)
その聞き覚えの無い声は、確かに私の名前を呼んだ。
みさきと裕樹君の走っていった方を、もう一度眺めた後、私は振り向いた。
「・・・覚えて・・・いらっしゃいますか?」
そこには制服姿の女の子が立っていた。
制服はみさきと同じ学校のものだ。
みさきよりは少し大人びて見える。
私は記憶の糸を手繰る。
確かにどこかで見たことがある気が・・・。
(そうだ・・・)
2週間ほど前の文化祭に行ったときに、教室の場所を尋ねた女の子がいたことを思い出す。
「ええと、この前の文化祭のときに教室の場所を教えてくれた方じゃないかしら?」
(でも・・・なんで名前を知っているのかな・・・)
話したといっても、二言三言といったくらいだ。
声をかけられて、そういえばそんな人もいたなと思う程度にしか記憶にない。
「・・・・・・」
返事が無い。
違ったのだろうか。
だとすると・・・・。
「いえ。そうです」
考えようとした所に返事が返ってくる。
緊張の中に、安堵と少しの落胆が混じった声で。
「やっぱり。この間はありがとう。・・・実は、あの後結局迷っちゃったんだけどね」
そう。
そして、パンフレットとにらめっこをしながら歩いていた私は、裕樹君とぶつかったのだ。
「そうですか・・・。すみませんでした」
「ううん。いいのよ。元々、私、方向に疎い方なのよ。ちゃんと見つかったし。
みさき・・・あ、妹なんだけどね、みさきのお付き合いしている人に、偶然ぶつかったかの」
目を伏せてさらに落ち込もうとする彼女を元気付けようと、明るい声を出す。
「・・・はい・・・」
少し表情が柔らかくなった。
それでも、緊張の色は強く見て取れる。
やっぱり私と知り合いという訳ではないようだ。
それに、みさきの名前を出したときにも反応があまり無かったところから見ると、みさきとも特別知り合いという訳ではなさそうだ。
「ん〜。ごめんなさいね。悪いのだけれども、あなたのこと思い出せないの。お名前を教えていただけないかしら?」
しかたがない。
こういうときは正直に聞いてしまうのが一番だ。
「・・・ですから、文化祭の時に・・・」
「それは、思い出せるのだけどね。私の名前を知っているみたいだし、かといってみさきのお友達でもなさそうだし・・・」
「それは・・・」
彼女が言い淀む。
「教えたくないのであれば、それでも構わないのだけど・・・。もし忘れてしまっているのだったら悪いと思って」
「いえ・・・多分、知らないと思います。少なくとも、私が私であるということは」
「え?」
(?私が私である・・・?)
言っていることが、私にはすぐ理解できなかった。
「白倉・・・白倉素直と言います」
私が答えを導き出すより早く、彼女は名をそう告げた。
「白倉さん?・・・え〜と・・・」
どこかで・・・聞いたことがある気がする。
(白倉・・・し、ら、く、ら・・・)
「これを・・・」
顎に指をあてて考えている私の前に、彼女の両手が差し出された。
その右手には、スーパーのビニール袋ぐらいの大きさの紙の手提げ袋。
そしてもう一方には、手のひらに乗りそうな小さな紙袋。
「私に?」
予想していなかった彼女の行動に、声に驚きがこもってしまった。
「いえ、もともと・・・あなたの物のはずですから」
「私の?」
「はい。・・・お渡しするのに一年以上も過ぎてしまいましたけど・・・」
「なにかしら・・・。心あたりが無いのだけれども・・・」
「?でも、とにかく私の・・・なのね?」
恐る恐る二つの紙袋に手を伸ばす。
「本当は・・・ちゃんと見られるようにするべきなんでしょうけれど、私にはそれを見る勇気がなかったので」
(どういうことなのだろう・・・)
ますますわからなくなった私は、紙袋を受け取って息を呑んで次の言葉を待つ。
「・・・それじゃ」
そんな私から逃げ出すように、白倉さんは軽くお辞儀をして走り去ってしまった。
私の手に、受け取った二つの袋が残っている。
手提げ袋の方からは、そんなにではないが重みを感じた。
(なにかしら・・・)
爆発物・・・な訳はないだろうし。
本当に心当たりは無い。
小さなほうの袋の折り目に手をかけた。
カサカサ
元に戻る紙の音が、随分と大きく響いた気がした。
そして中に入れた私の指に、滑らかな手触りのプラスチックの円柱が触れた。
「あ・・・」
思わず口から音が漏れる。
蓋と思われる部分に付いたギザギザに、私はそれが何であるか理解した。
元々私の物だという意味を。
一年以上ということの意味を。
見られるようにと言う意味を。
同時に、彼女・・・白倉さんのことも。
(あのときの・・・)
引き抜いた手の中にあったものは、その考えが正しいことを物語っていた。
白く濁ったケースの中に、黒っぽい物が入っている。
それを確認して、もう一つの袋の中も覗き込む。
外の夕日に照らされて薄っすらと明るくなっているそこには、銀色のカメラが入っていた。
(まだ・・・現像してないのね・・・)
手に持ったままのフィルムケースに視線を戻して、大きく息を吐いた。
あのとき、彼女がどうしてカメラを持ったまま逃げてしまったのかは何となくわかっていた。
だから、戻ってくることは諦めていた。
それに祥平はあのとき言ったのだ。
「返してもらっておくから」と。
だから、いつか、祥平が。
祥平が、二人で写っている写真を持ってきてくれる。
祥平がいなくなってすぐは、そう思うことで望みを繋いでいた。
(・・・そうよね・・・)
わかっていたこと。
祥平が戻ってこないであろうと言うことは。
今では期待も抱いていないはずなこと。
それなのに。
コンビニの前に置かれた看板の「同時プリント」の文字が、どうしてだか滲んでいた。