微笑
〜それは舞い散る桜のように サイドストーリー〜
〜結城 ひかり〜

────────  Intro.  『Recurrence』


  (痛っ〜たぁ〜〜)

 声が出てしまいそうなのを、私は必死に堪えた。
内側から引きちぎられそうな、思ってもいなかった痛みが私の中で暴れている。

  (こんなの聞い〜〜ぃてないわよぉ〜っっ)

 世の中に氾濫している嘘つきな情報源と、一回ぐらいで変わると思い込んでいた自分を呪った。
なるべく力が入ってしまわないように、痛みを生み続ける下腹部から意識を逸らす。

  (まさか・・・)

 『血が出るから初めて』という良く聞く話も嘘でないか心配になった。
痛いのは我慢すれば大丈夫だと思うけど、血を見られたら誤魔化せなくなりそうだ。
それどころか、初めてだと疑われるかもしれない。

  「おい」

 顔のすぐ上から声がかかった。反応して、閉じてしまっていた目を開ける。

  「全部・・・入った?」

 おっかなびっくりしているのが見て取れる表情に向けて、私は余裕の笑みを繕った。

  「お、おお」

  「じゃあ、ギリギリまで抜いて、もう一度──」

  「バカにすんな?それぐらい知ってるぜ?」

  「なぁに言ってるのよ。初めてのクセに」

 私の言葉を切って反論しようとする先生を、決定的な一言を使って窘める。
顔を合わせていた三年間とは逆の立場が不思議な感じだ。

  「わぁったよ」

  「あっ。ちょっとっ!」

 悔しそうに頷いた先生の手が私の腰に添えらたのを感じて、慌てて制止の声を上げる。
激しく動かれると、痛みを我慢できなくなりそうだった。

  「あ?」

  「ゆっくり、ゆっくりよ?。ほら、中に出されても困るから。慣れないうちはゆっくりして?」

 しどろもどろにならないように注意しながら、もっともらしい理由をつける。
リードすると言った手前、苦しむ姿を見せるのは悔しい。

  「ああ」

  「ん。よしよし」

 金色の頭を鬱陶しそうに左右に振られで、撫でた手がシーツの上に戻された。
でも私は、上手くいったと思って内心ホッとする。

  「始めっぞ?」

 必要もない律儀な一言に頷きを返す。そして、痛みに備えて目を閉じた。
シーツを引き絞ってしまわないように、両手は頭の脇まで上げて枕を掴む。

 これでもかと押し拡げられていた私の身体が、ゆっくりと閉じ始めた。
もちろん、すぐにまた拡げられるために。


それは舞い散る桜のように サイドストーリー

an Episode of 結城 ひかり
12.24 of Next Year...

 『微笑』

────────  Chapt.1  『an Encounter』


  「ほらほらぁ。おいしいよ?」

  「どれどれ〜?ん。ほんとだ」

  「でしょでしょ?」

ガンっ

 安っぽい光沢のある木のテーブルに、手にしていたグラスの底を思いっきり叩きつけた。
たった今私の胃に琥珀色の緩衝材を奪われた氷が、グラスの縁を越えて手に当たった後で、
隣の席でいちゃついているバカップルに向けて転がっていく。

 逃げて行った氷に構おうともせず、両肘をテーブルにドカッと突いて項垂れる。そして、両手を頭の上で組んだ。

  「ねぇねぇ……あっくん……」

  「しっ。関わらない方が良いと思うよ?」

  「そよね。レナちゃんもそう思う」

 話す声を潜めた隣以外、ガヤガヤと煩い店内からはなんの反応もない。

  (ふんっ。聞こえてるわよ〜だ)

 失礼しちゃうわねと思いながら、それでも静かになったことに満足して、丸みを帯びた黒い瓶へ眼鏡越しの視線を当てた。
瓶の色の濃さのせいで中身がどれくらいかはわからないけど、さっき注いだ感じでは残りは半分以下だ。

  (どぉせ酔っぱらいよ。あたしは)

 上げた頭を左手の頬杖で支えて、右手をアイスペールのトングに伸ばす。
最後の一個になっていた氷をつまみ上げて、どこかへいってしまったやつの代わりにグラスに放り込む。

 空になったペールへトングを雑に戻した大きき目の音に、男の方がビクリと震えるのがわかった。
いかにもバカップルっぽい情けなさが可笑しい。

  (ま、それでもヤツよりはマシだわよね)

 『ヤツ』。
よりにもよってジングルベルの鳴る日に約束をすっぽかした男の名は、頭の中で呼ぶことさえも我慢できなかった。

  「そぉれもさぁ〜」

  (女よ?おんなぁ!)

 途中まで口に出かけた愚痴の後ろ半分を、頭の中だけに押し込んだ。大声で叫ぶにはさすがに抵抗がある。

  (ああっもぅ)

 嫌なことを思い出してまたムカムカし始めた胸をバカップルのせいにして、瓶をムンズと掴んだ。

  (まだまだ、酔いが足らないのよ酔いが)

 一向に気分が晴れてこない自分を責めるため、ロックというには氷が可哀相なぐらいの液体をグラスに落とす。
意図したわけでもないのに、置いた瓶は机を叩いた。

  (ちょっとちょっとぉ。あっくぅん〜)

 再びヒソヒソを始めた二人に興味を示すことなく、口に当てたグラスを一息で半分近く空ける。
飲み始めたころにあった焼けるような感じもしなくなってるし、味なんてとっくにわからない。

 でも、味なんてどうでも良かった。
そもそもウィスキーなんて初めて。
選んだのは、メニューの中で一番強そうだったから。

  (堕ちたものよね)

  「あんなヤツ、好きだったなんてさ」

 中指と親指でぶら下げるように持ったグラスを揺すると、壁面が氷にカチカチと叩かれる感触が指に伝わってくる。

  「比べたりしたら、ユビナガコウモリだって可哀相なヤツだわよ」

 突き放すように言い放って、残りの半分をグッと喉の奥に押し込む。
氷の当たる唇に乗っていたルージュは、すっかり剥げているに違いない。

 今度はグラスを置くこともせずに、瓶に逆の手を伸ばす。
引き寄せて傾けると、瓶の口が当たったグラスが小刻みに鳴った。

 そんな私の様子を見て取ってか、隣の二人はそそくさと席を立って逃げるようにレジの方へ去っていく。
なにか言っているみたいだったけど、良く聞こえない。

  「ふんっ。こ〜んなところに来たってしょうがないでしょうに。
   もうちょっと気の利いたとこにでも行きなさいっての。どうせこの後、よろしくするつもりなんでしょうがっ」

 八つ当たりだとは思いながら悪態をついて、背中に目だけを向けた。
こちらを振り返っていた『レナちゃん』に目が合うと、ビクッとして『あっくん』とやらの腕にしがみついた。

  「あらん!?」

 でも、自分でも素っ頓狂だと思える声は、二人の向こう側から姿を現した真っ黄色の頭に向けてだった。

  「うっだぁ〜?俺の席が無いってのか〜!!」

 一年前と全然変わらない柄の悪さで、バイトっぽい店員の女性にしきりに絡んでいる。

  「センセ!せんせ〜っ!」

 おろおろと狼狽える店員が哀れになって、背もたれから身を乗り出させてグラスを持った右手を上げた。

  「たにがわせんせ〜!」

 『んあ?』
 
 私の声に反応して振り返る先生の表情からは、まるで声までもが聞こえてきそうだった。

  「こっちこっち〜!遅かったじゃないですか〜!」

 約束があったわけじゃない。でも、せっかくバカがいなくなって清々したところに、次のバカ達が来るのも嫌だった。
席が埋まってしまえばそんな心配もなくなるとも思って、瓶を置いた手で机をバンバンと叩いた。

  「こうきせんせ〜」

 訝しげにしながらも渋々と引き下がった店員に一瞥をくれてこちらに向かう先生を、冷やかし交じりの甘えた呼び方で更に呼ぶ。

  「んだぁ?ぁんでオマエがこんなトコにいるんだよ?」

 ゆらゆらと揺れながら隣に立った先生の第一声は、やっぱり柄が悪かった。

  「谷河センセこそ、なぁにやってるんですか。そんなに酔っ払っちゃってぇ」

  「ぁ!?ざけるなよ?このクソジャリが。こんなの、酔ってぇうちに入るかってぇの。
   頭ん中ぶっ飛っばしちまってんなぁ、オマェの方ダロがよ」

  「ふ〜んだ。あたしだって、こ〜んなの全っ然っ、酔ってるうちに入りませんってばぁ」

 強がりと希望を半分づつ混ぜて言いながら、口につけたグラスを傾けた。なんのひっかかりもなく、液体は喉を通り過ぎる。

  「にしちゃぁ目が据わっちまってるぜぇ?ヒカリ姐さんよぉ」

 言いながら、先生は隣の椅子にドカッと腰を下ろす。

  「その言葉、そぉっくりお返ししますよ?浩暉センセ」

 それなりに酔っている自覚はあった。
けど、どう見ても酔っぱらいにしか見えない人に言われるのが癪で、反抗を込めて小馬鹿にした態度で先生に望むことにした。

  「アンだと?第一、オマエの歳で酒呑んで良いのかよ?」

  「あ〜ら〜ぁ。女性に歳の話はダメですよぉ・・・っと、そうですかー」

 わざとらしく、私はニヤリと笑った。多分、言うまでもないことだ。

  「ンだよ」

  「そんなんだから、今日も振られちゃったでちゅね〜。よちよちしてあげまちゅね〜。浩暉ちゃん」

 できるだけ意地悪く聞こえるように、赤ちゃん言葉で言う。

  「ぅっだ〜!止めやがれこのクソアマが!そんなんじゃねぇッつうの!」

  「ふ〜ぅんだ?そんなに荒れちゃって、言っても説得力ありませんよ〜だ」

 振り払われた手をボトルに戻して、何杯目になるかわからないお代わりを注ぎ始めた。

  「関係ぇねぇだろうが。オマエにゃぁ」

  「なぁんだ。やぁっぱり振られたんじゃないの。よちよち」

 上がっていく茶色いラインを溢れないように見つめながら、気のない返事をする。

  「ンのッ。違うっつうのが聞こえ──」

  「じゃあ、なに?」

 なみなみと満たされたグラスを手に、鋭い視線を先生に向ける。

  「・・・・・・なすのだよ」

  「は?」

 答えがあったことも意外だった。
だけど、聞き返したのは声を聞き逃したからではなくて、導き出される意味がある言葉の見当がつかなかったせいだ。

  「なすのだ。な・す・の」

  「なすの・・・って、なにそれ」

 聞いた音は間違っていなかったことがわかって、今度は直接意味を問い返す。

  「妹だイモウト。あんニャロ、今年はケーキはいらないとか言いだしやがってよ」

 けれど、その答えが意味しているものは、なによりも私を驚かせた。

  「はぁ!?妹ぉ?先生ってまさかぁ・・・」

 呆れ返るのと笑い飛ばすのとでは、笑う方が面白そうだった。言いながら、次の心を準備する。

  「言いたきゃ言いやがれ。このアマ」

 その気配を感じてか、不貞腐れた様子で正面を向いた先生は吐き捨てた。

  「あははははっ。先生ってば、シスコぉーン!?」

 それでも私は、なんの遠慮もしなかった。周りに聞こえることもお構いなしに、思いっ切り笑い飛ばす。

  「んで?オマエはなんなんだよ」

  「あ─はっはっははっはっ。センセってば、センセってば、シスコンなのぉ?
   それも、妹にぃ?あ〜〜もう、笑わせないでよ〜っ。苦しいじゃない〜〜っ」

  「んな不自然にしやがったら、余計勘ぐられんぞ?」

 反撃を受け流そうと矢継ぎ早に重ねた言葉は、冷ややかな言葉で一蹴された。

  「そこまでわかってんなら察しなさいってば」

 面白くない展開を感じながら、声の色も一変させて答える。

  「好き勝手に考えて良ってのか?」

  「どうせ、誰が見たってそうとしか思えないでしょ」

  「バリバリに決め込んだ女が、こんなところで呑んだくれてちゃな。それも、性なる夜によ」

  「そいうこと」

 先生の方を向くことなく答えて、グラスの中身を呷った。そして、瓶をまた捕まえてひっくりかえす。
でも、チョロチョロッと出てきたウィスキーは、氷に薄く味をつけるぐらいの役にしかたたなかった。
仕方なく、底に溜まった少しの液体と共に小さくはない氷を口へ放り込む。

  「・・・オメェもしかして、ソレ一人で空けたんかよ」

  「ん〜?こへぇ?」

 含んだままの氷を舌で転がしながら、摘まむように置いた瓶の細いところを持って揺する。

  「ほぅよぉ〜?ろうも酔へなふっへぇ」

  「いつからいる?」

  「そうぉねぇ・・・」

 氷をグラスに吐き出したら、甲高い音が頭に響いた。

  「レナちゃん達が来るちょぉっと前からぁ〜」

  「レナ──さっきすれ違ったバカ共か。ってことは・・・」

  「しっつれいしちゃうわよねぇ〜。人の気も知らないで、あんなべったべたしてくれちゃってさぁ」

 言っているうちに、頭を支えさせていた両肘がテーブルの奥の方に滑りだした。
右側の方が早かったせいで、右腕の上に頭が乗っがる格好でテーブルに臥せることになった。

  「こんのバカガキが!一時間ちょっとでンなに呑みやがって」

 私が払い倒してしまった瓶を押さえる先生は、怒っているみたいだった。
耳が怒鳴り声にガンガンと打たれる。

  「べっつにぃ?なんともないわよ?ほらほらぁ〜っ」

 大丈夫じゃないことは自分でもわかってた。
でも、先生がまだ私を子供扱いしているのが気に障った。
自分のものじゃないような腕でテーブルから身体を引きはがして、勢い良く椅子から飛び降りる。

  「ばッ──」

 声が聞こえて、頬がなにか固い物にぶつかった。

  「──────」

 なにか口にしてるハズなのに、自分の言っていることは届かない。

  「どうせロクに呑んだことも──」

 どこか遠くから聞こえてくるような先生の声が、暗闇に引き込まれていく私が感じた最後のものだった。

────────  Chapt.2  『1st Awake』


  「ん……」

 頭が痛んだ。揺れているという感じはしないけど、鉛が詰まってるみたいに重たい。
胃の辺りのムカムカも吐き気というほどではないにしろ、起き上がる気を私から奪うには十分だった。

 枕に顔を埋めようと、寝返りをうつ。

  (え!?)

 けれど、顔の向きを変えたとたん目に飛び込んできた肌色の固まりに、私は目を見張った。

  「え〜〜!?」

 自分よりもよっぽど白いそれが男の胸板だと理解できるまで、目を置き続けてしまった。
跳ね起きるのと一緒に、思わず叫び声を上げる。

  「あいたたぁっ・・・」

 残っているアルコールが、頭の中をズキンと刺激した。

  「あ──」

 けれど、頭を抱えるようにした私の目に飛び込んできた光景は、重たく頭にのしかかる痛みさえも吹き飛ばした。
慌てて、ズレ落ちた掛け布団を胸元に引き寄せる。

  「うっそ・・・」

 眼鏡を探すのももどかしく、目を凝らして周囲を見回した。
ベッドを写し込むように取りつけられた大きな鏡。
そして、その存在と映し込まれている私の姿が、ここがどこであるかを全て物語っている。

 全身にゾクゾクとしたものが流れるのを感じる中、私はハッとして布団に隠れている腰の周りに恐る恐る意識を集めた。
取り去ってもらうつもりで選んで来たけれど、この状況は求めていたものじゃない。

  (あ・・・る)

 小さな布きれの感触に、少し安心した。残っていることが確証になるわけじゃないけど、それでもすがるだけの材料にはできる。

  「ええっと・・・」

  (駅に着いてから、黒木屋に行って・・・バカな二人組を追い払って・・・)

 今の状況におかれたわけを少しでも把握できないかと、重たい頭の中を探ることにした。
隣で寝ている男の顔を見れば助けになるかもしれないけど、それは怖かった。
せめて心当たりぐらいは思い出してからでないと、できそうもないし、したくない。

  「んだ?気がついたんかよ。結城?」

 けれど、記憶がはっきりとしている時間から順に辿った記憶の中に現れたのと同時に、その人が私を呼んだ。

  「谷河先生・・・?」

 正しいと思った名を呼び返して、私はおずおずと振り返る。
その視線の先、下着一枚だけの姿で面倒くさそうに頭をボリボリと掻きむしっていたのは、予想通りの人だった。

  「生徒をこんなトコ連れ込んで、何のつもりですか!?」

 呻るような低い声で問いつめることで、パニックを起こしそうな心をなんとか抑えた。
言葉の端々が震えてるのは、気づかれないのを祈るしかない。

  「あ?もしかしてオマエ、記憶がないとかって言いだすんじゃネェだろうな?」

  「そりゃ・・・ないけど・・・でも、それにしたってこんなトコでこんな・・・」

 酔いつぶれて倒れたのは、思い出していた。だから、介抱のために連れて来られたのならばわかる。
そのために少しぐらい服を弛められていたって、それは仕方がないと思える。
でも今の私の格好は、その度を遥か通り過ぎていた。
それに同じベッドで、しかもお互いに下着だけで寝ていたことが、布団を押さえる手に力を加えさせた。

  「文句言える立場だと思ってんのか?」

  「・・・した?」

 悪い方向にしか取れない返答は無視して、違う問いを投げる。

  「あ?」

  「したの?」

 行為をはっきりと口にするのは、関係を自分で認めてしまうような気がして嫌だった。

  「んだぁ?」

  「だから、しちゃったのかって聞いてんのよ!」

  「なにをだよ。なにを」

  「だから・・・その・・・」

  「セックスか?」

  「──っ」

  「『据え膳食わぬは男の恥』って諺、しってるヨナ?元文芸部部長さん」

  「ぁ────」

 その言葉は、避けていた単語を平然と出されて息を呑む私を追いつめるのに、十分すぎるものだった。
頭の先からスーッと降りてくる絶望感に、私は絶句することしかできなかった。だから、

  「ってことで、ヤッてねぇから安心しな」

  「は!?」

 突然の否定に、私はすっかり取り残された。

  「んだぁ?まだ不満だってのか?
   勝手に連れにして倒れたあげくに、俺の胸にゲロゲロしてくれたのはどこのヒカリ姐さんだったけかなぁ?
   おっまけに、自分の服までグチャグチャにしやがって。オメェのせいで俺まで追い出された──
   ああ、そうか。そういうことか」

  「な、なによ」

 必死に頭を回転させて、なんとかまともな応対を引っ張り出す。

  「道端にでも転がしておいて欲しかったんだな!?
   そうすれば、今頃はカメラの前で輪してもらえてたかもしれねえもんなぁ。スケベなヒカリ姐さん?」

  「そんなわけないでしょ!」

 信じられない言い種のおかげで、いつもの怒鳴り声を出すことができた。

  「んじゃあ、文句なんかいうんじゃねぇよ」

  「・・・恥なんじゃなかったの?」

 反論の余地を見つけられなくなって、私は揚げ足を取り始めた。子供っぽい行動であると、自分でも思った。

  「ばぁか。恥だ恥。赤っ恥だ。んだから、オマエも誰にも言うんじゃねぇぞ?」

  「い、言うわけないじゃない」

  「ま、これに懲りたら、あんな無茶な呑み方すんなよな」

  「・・・そんなこと言ったって」

  「男か?んなことぐれぇで、正気失いやがって」

  「そんなことってなによ!そんなことって!!先生だって、あんなに酔って──?」

 先生の様子が昨日の記憶とかけ離れていることに気がついて、言葉を詰まらせた。私に負けないぐらいは酔ってるみたいだったはずだ。

  「あんなぁ。ヤケ酒は呑み方を覚えてからにしやがれって言ってんだよ」

  「もしかして・・・」

 呆れたように溜息をつきながら言った先生の言葉で、あることに思いが至る。
そしてそれが正しいことが、続く言葉で裏付けられた。

  「っったりめえだろ?酒なんて言い訳だ、言い訳。荒れる口実にさえなりゃ良いんだ」

  「・・・・・・」

 心の中で、殻にひびが入る音がした。

  「それを、本気で前後不覚になりやがって。一歩間違えれば、マジでカメラの前だぞ?」

  「──センセ?」

 声を出してから、呼んだことに気がついた。

  「んだよ?まだ文句あるってのかよ?」

  「あるに決まってるじゃない」

 でも、呼ばなのいが不自然な気がするぐらいに、当たり前のことに思える。

  「あ?」

  「こんなとこまで脱がされてるんですよ?私。しかも、添い寝までされて」

  「だからそれは・・・」

 私の様子が変わっていることに、先生はようやく気がついたみたいだ。

  「恥、かかせる気ですか?」

  「は?」

 今度は、先生が取り残される番だった。

  「据え膳になってるのに食べてもらえないだなんて、女の私の方は恥の上塗りじゃないですか」

  「ばッ。おまえ、んなこと──」

  「いいえ。召し上がっていただきます」

  「っだ〜〜〜!!なに言ってるんだこのアマっ!ジャリ相手にそんな気になれるかってんだ!」

  「遊びだって、良いんですよ?」

  「あのなぁ、玩ばれて傷モンになるのは女の方──」

  「それ、もう手遅れですから」

  「あ?」

  「私がここにいるのは、どうしてでしたっけ?」

 ケラケラという擬態語で表すのが一番合っていそうな笑いが、今の私の表情だろう。

  「あー」

  「痛みの紛らわし方も、教えてくれません?」

 そして、いくつかの呼吸の間を見つめ合った後。

  「わぁったよ」

 起きたときと同じように頭の後ろを掻きながら、先生は面倒くさそうに言った。

  「男の怖さ、思い知らせてやんからな?」

  「お願いします」

  「ただ、なんだ、その・・・あんま期待すんじゃねぇぞ?」

  「え?」

  「あんまし期待されても・・・応えてやれねえからな」

  「はぁ?」

  「悦ばしてっつうか、その、満足させてっつうか・・・」

  「先生ってば、もしかして・・・」

  「悪かったなっ。初めてでよ!」

  「・・・ぷっ」

 言っていることそのものよりも、恥ずかしがるように視線を逸らす先生の様子の方が可笑しくて、つい吹き出してしまった。

  「うっせぇ。女は苦手なんだよ」

 それがまるっきり嘘なわけじゃないと、なんとなく思った。

  「それじゃあ、お姐えさんにまかせなさいっ」

 明るく言って、私は先生の身体を隠している唯一の物に顔を近づけた。
初めての前から散々させられたから、まだ二回目のことよりは自信がある。

  (私は、自分で脱がないとね)

 目の前にせまった腰にまわっているゴムに両手をかけた私は、自分にそう言い聞かせて最後の迷いを拭った。
視界の下に消した両手がゆっくりだったのは、雰囲気が欲しかったからだ。

────────  Chapt.3  『2nd Awake』


 次ぎに目が覚めたのも、私が先だった。隣からは寝息が聞こえてくる。

  「つっ──」

 ピリッと引きつる軽い痛みを身体の中に覚えて、一度起こした上体を折り曲げる。
お腹の下の方に両手を当てたままで脇にスッと流した視線の先に、初めて見る寝顔はあった。

  「・・・・・・」

 溜息の代わりに、微笑みが浮ぶ。

  「あっと」

 焦点をずらした先の枕元。
調光器と一緒に埋め込まれているデジタル時計に、チェックアウトまで一時間を切っていることを意味する数字が示されている。

  「あたた・・・っ」

 シャワーは浴びておきたいと、痛みを堪えて脚をベッドから外す。
立ち上がったときに、結局受け入れてしまった身体の奥の異物がヌルリと音を立てた気がした。
せめて、少しでも荒い流しておかなければいけない。

  「先、浴びちゃいますよ」

 返事を期待しない言葉を突っ伏して寝ている人にかける。さっさと浴びてきて、起こさなくてはならないだろう。
先生の身体についている私の汚れも、絶対に流して欲しい。

 辿り着いた浴室のドアのノブに手をかけて、私は一旦その手を離した。
顔を上げてベッドの方を振り向く。特別変わった様子は見られない。

  「夢、だったんですよ。昔は」

 それでも、届くことのないように口先だけで音にした。

  「でも、さっきは私、酔ってましたから」

 付け加える言葉と一緒に、今度は意識をして微笑みを浮かべてみた。きっと似合っていないけど。

  (でも、昨日までよりはマシ・・・かな?)

 再び手にしたノブを押しながら、私はそう考えることにした。
少しずつだろうけど、これから似合うようになっていくはずだから。

Fin.


それは舞い散る桜のようにBasiLの著作です。
BasiLは、当方とは一切関わりありません。