決心
〜 wind サイドストーリー 〜
〜橘勤〜

  「・・・・・・」

言葉を何とか喉元で抑える。

けど、開いてしまった口は、パクパクと動いた。

  (な、なんや・・・これ)

プリントを持った手がわなわなと震えだす。

なんの変哲もない藁半紙。

たかが数学の自習プリントや。

3問目の問題に視線は釘付けになった。

  (・・・やばい・・・。やばいやんか・・・)

1問目、2問目はノータイムで解答した。

目を瞑ってても解ける程度の問題やった。

第一記憶にある限り、数学の問題に詰まったことはない。

数学だけや無くて、国語も英語もや。

モノを覚えるのは得意や。

教科書も何でも、一度見たモンは忘れへん。

それがワイの自慢や。

もっとも、こんなことを大っぴらに言った日には大変なことになる。

折角楽して取れとるテストの点も、バブル崩壊や。

聞かれたときには、「スーパー勤パンチ」ってことでごまかしとる。

けど、ワイにも言い分はある。

そうなる前に、穴空くほど教科書とにらめっこした。

せやから、自然と覚えられるようになったんや。

言ってみれば、ワイの血と汗と涙の賜物や。

それなのに、そこにあるんはまったく見覚えのない式やった。

  (せや、これは夢なんや。悪い夢や。・・・あだだっ)

抓った頬っぺたは痛い。

  (夢やないんかい・・・)

ワイは愕然とした。

冷や汗が背筋を走った。

  (せや!)

ハッと思いついて、肩越しに左後ろの窓際の席をそろりと見る。

  (あかん・・・)

ワイの一縷の望みは、はかなく破られた。

そこには、シャーペンをすらすらと走らせる、ブンドキ女の姿がある。

到底つっかえている様子はない。

あのブンドキ女には、苦もなく解ける程度の問題みたいやった。

  (くぅ〜〜)

ワイはもう一度プリントに向かう。

あいつにできるちゅうことは、ワイも解かなあかん。

  (負けるかいな〜〜)

いつもより力を込めて、シャーペンの裏をノックする。

そして、机の中から教科書を引き出した。

必要になるなんてて考えももせず、、机の中から出しもしなかった教科書や。

  (悔しいけど、背に腹は換えられん)

ついこないだ習ったばかりのページを開く。

  (これや)

例題を見ると確かにやった覚えがある。

それどころか、例題の数字が少しだけ変わった程度の問題やった。

照らし合わせながら、解答欄に書き込んでいく。

ほとんど例題の丸写しになりながらも、何とか3問目を終わらせた。

  (よっし。次!)

続いて4問目に目を移した。

  (・・・・・・)

カリカリッ。

少しだけ書き込んだところで、消しゴムに手を伸ばす。

  (ちゃう。さっきのがああやから・・・)

残った黒い筋の上に、もう一度数式を書き直す。

解答欄が、スラスラと式で埋まる。

  (・・・・・・うし)

少しだけ安心した。

  (勘自体は、鈍ってないようやな)

見たモンを覚えれたからといって、テストはでけへん。

そりゃ有利なことには変わりはない。

見たことがある問題と同じモンが出るときもある。

けど、それでできるのはある程度までや。

どんなに覚えたって、知らん問題が出るときは、どうしてもある。

そんなときに、知っとる問題から答えを導けるかが勝負の分かれ目や。

全国統一模試ともなれば、一問は命取りや。

それができるかが、頭がええかの本当の差でもある。

少なくても、ワイはそう思ってる。

せやから、ほっとした。

  (死ぬ気になれば、覚える方は何とかなるやろ・・・)

今まで出来ていたことや。

それに、努力ででけるうになることであることも知っとる。

  (逆やのうて・・・ホンマ良かったわ・・・)

左後ろに、もう一度視線をやる。

指を組んだ両手を前に突き出して、伸びをしている姿があった。

  (くぅぁ〜〜。もう終わったんかぁ!!)

慌てて目をプリントに戻す。

ワイの残りは二問

あいつのペースなら、確かに終わってておかしくない。

1・2問目はワイのが速かったとして、3問目にかかった時間を考えると、いつものワイならば終わっとる。

  (ちぃ〜)

教科書を二頁めくる。

5問目にあたる問題は、またも解けない問題やった。

  (あ〜の、ブンドキ女め〜)

お門違いの八つ当たりをしながら、例題に沿って回答を藁半紙の上に書きつけていく。

  (な〜にも、こんなモンにまでムキにならんでもええに)

間違いに気づいて消しゴムをかける。

  (一つっくらい、ワイに花を持たせんかい!)

つい力が入ったのか、シャーペンの芯の先が跳んでいった。

あせるようにノックする。

  (そやないと・・・)

けど、出てきた芯はプリントに突いたとたんに引っ込んだ。

もう一度出して、指でつまんで引き抜く。

  (っんだ〜!こんなときに限ってぇ!)

左前の方にあるペンケースをふん掴んで、ジャラジャラと音を鳴らして芯を探す。

  (まったく、ホンマになんの恨みがあるっちゅうねん)

見つけた芯をの蓋をパチンっと開ける。

頭の中には、百点の答案をワイに見せびらかしているあいつのすがたが浮かんでいる。

  「へへ〜んだ。私だって100点だったんだからねっ!」

そのときの台詞も覚えとる。

初めて制服を着た頃の話や。

その前の中間テスト、中学に入っ初めての定期テストで、ワイは学年トップになった。

入学してから、死ぬ思いで勉強したんや。

そんときは、あいつは確か半分よりちょっと上程度やったと思う。

ワイはまんまと出し抜いたわけや。

それなんに、期末テストの最初の答案が帰ってきた日の帰り道、あいつはワイの前に答案をひらひらとさせたんやった。

  (くわ〜っ。思い出しただけでも腹が立つわい)

なんせ、そんときのワイの点数は98点やった。

最終的に期末テスト全体の合計ではワイの圧勝やったけど、その教科だけはあいつのが上やった。

それからや。

テストのたんびにあいつは近づいて来よった。

中学を出る頃には、ぴたりと後ろについとった。

一つ一つの教科では、負けることもしばしばや。

常に後ろからプレッシャーをかけて来よる。

  (ほんま、可愛げのないやっちゃ)

小さな円柱状の消しゴムに続いて、プラスチックのキャップを嵌める。

何回かのカチカチッという音の後、新しい芯が顔を出した。

  (せやけど・・・)

深く息を吐く。

胸にたまったモヤモヤを追い出すように。

  (きばるしか・・・ないわな)

気を落ち着かせて教科書に向かう。

一文字一文字を確認するように、式を書いていく。

  「よっしゃ」

小さく口にして、解き終わった5問目の解答にもう一度目を通す。

そして次に取り掛かる。

  (・・・まともに勝負できんのは、これだけやからな)

4問目と同じように、スラスラと解けた。

  (喧嘩や体力で勝っても、自慢にもなりやせん)

クラスと出席番号を書き入れる。

最後に氏名を書いて席を立った。

教室の前の方に向かう。

教卓の上には、既に裏返しのプリントが一枚だけ置いてあった。

誰のだかは分かっとる。

その上に自分のプリントを重ね、顔を上げた。

そこにあるんは、勝ち誇ったような微笑。

  「あらー?今日はどうしちゃったのかなー?」とでも言いたそうな口元やった。

  「はん。それがどないした?」

ワイも表情で返して、そん後で目を離す。

見られんように顔を伏せた顔で、苦笑いを浮かべる。

  (こりゃ、やっぱ今日からは死ぬ気で勉強やな)



  ( ─── ただでさえ、釣り合い取れとらんのやからな ──── )



席について、もう一度顔を向ける。

柔らかな陽が差す机の上に、突っ伏している。

きっと、幸せそうな顔をしとるに違いない。

  (見とれよ〜)

ワイも同じように、机に覆い被さった。

今日から始まる全力疾走に向けて、少しでも力を溜めておくために。

  (つくづくワイも、モノ好きやな・・・)

そう思うワイの心は、じんわりと温かくなりはじめた。


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