(しまった)
つい声に出して呼んでしまったことに気がついて悔やむ。
前を向いたまま、全神経を右側に向けた。
(気づいてくれるなよ・・・)
そして、隣を歩くマリア嬢ちゃんの様子を探る。
声が大きかったのかどうかは、自分ではわからない。
前を歩くフリオニールとガイに気にしている様子が見られないことからすれば、嬢ちゃんにも届いてないかもしれない。
話そうかとは確かに考えた。
もっとも、それは今に限ったことではない。
一緒に旅をし始めてから幾度となくだ。
だが、そのたびに思い止まってしまっていた。
決心がつかなかった。
ついたつもりでも、いざとなると喉の奥の方にあるなにかが、言葉が出て行くことを許さなかった。
だから今回だって、実際に呼んでしまうとは思っていなかった。
できるはずのないことだった。
それなのに・・・出てしまった。
「なに?」
氷に覆われた洞窟の、切れるような空気が震えたのを、俺の耳が感じ取った。
抑えられてはいたが、確かにそれは嬢ちゃんの声だった。
(ちっ・・・)
自分の迂闊さに心の中で毒づく。
無事女神のベルを手に入れることに成功して、気が緩んでいたのかもしれない。
張り詰めていた緊張の糸が切れていたのだろう。
すぐに一階に出られたという幸運も、影響したのかもしれない。
「・・・・・・」
俺は黙り込んだ。
嬢ちゃんが気の所為にしてくくればと思ってだ。
「ヨーゼフ?なに?」
だが、それは叶わなかった。
俺の声は、しっかりと嬢ちゃんに届いていたらしい。
そして、恐らくそこには不安そうな響きが含まれていたのだろう。
再び聞き返してきたマリア嬢ちゃんの声も、それに見合ったものだった。
(こんなところで・・・)
いくら出口まで後少しとは言っても洞窟の中。
探索でかなり消耗もしている。
雑魚ではあるがモンスターだっている。
だから、このような話をすべきときではない。
自らにしている言い訳を差し引いたとしても、それは変わらない真実だ。
そもそもこんなことを考えたこと自体、すべき時ではなかったのだ。
だが、口にした以上、そして気づかれてしまった以上、このままにするわけにも行かない。
こういった状況では、疑問はできるだけ取り払わなくてはいけない。
疑問が不安に繋がり、その不安のために大したことでないことが大事になってしまうことは多々ある。
それに今後のことを考えると、パーティー内に不信の種を残しておく訳にもいかない。
なんとしても太陽の炎を手に入れる。
あの大戦艦をこのままのさばらせては、サラマンドの街だって危ないのだ。
(俺もヤキが回ったか?)
自嘲した。
(仕方ない・・・)
そして腹をくくる。
(良い機会ではある・・・か)
自分に言い聞かせる。
いつも言葉を押し留めている心を押さえ込もうと、チリチリと痛むように冷えた空気を、鼻から胸に取り込んだ。
逃げ道がないことを、しっかりと刻み込む。
そして、肺の中で暖められた空気を押し出す。
「・・・聞きたいことがある」
重苦しい息が、白く濁った。
「聞きたいこと?」
嬢ちゃんの返事を気にとめるだけの余裕はない。
「どんなのが良い?」
俺は必死に次の言葉を押し出す。
「え?」
理解できたのは、その声が素っ頓狂であることだけだった。
声が大きいことに苛立って、そっけなく答える。
「プレゼントだ」
そして、前の二人の背中をを注意深く見つめた。
「プレゼント・・・って・・・」
そんな俺に気がついてか意識的に抑られた声が、微かに耳に届いた。
「やろうと思ってるんだが・・・」
背中に変化が見られないことに安心して、嬢ちゃんの方を向く。
「いや、あの・・ヨーゼフ?」
俺は首をかしげた。
そこには、なぜかうろたえている嬢ちゃんがいた。
心なしか顔も赤らんでいるように思えた。
「なんだ?ダメか?」
予想外のことに、不思議に思って問い直だけの余裕ができた。
「ダメとかじゃなくて・・・。確かに貰えるのは嬉しいんだけど、私は・・・」
それに答える嬢ちゃんの様子は、正にしどろもどろという風だった。
「嬢ちゃんに?」
今度は俺が驚いて声を上げる。
そして、やや大きくなってしまったことに、はっとなる。
嬢ちゃんに向けてしまった顔を、慌てて二人に戻して様子を窺った。
「違う・・・の?」
おずおずとした声が、右から聞こえてくる。
「ネリーだ」
苦笑しながら答えた。
勘違いされていたことに、ようやく気がついたからだ。
二人の様子も相変わらずなのを確認して、口の端も歪める。
「ネリーちゃん?」
「ああ」
何にも邪魔されることなく、肯定を示す音が口の外に飛び出した。
「あはは・・・。そ・そうよね。私なわけないよね・・・」
態度を必死に取り繕おうとしている嬢ちゃんからは、気恥ずかしさがひしひしと伝わってきた。
「さすがに・・・な」
笑い声は、さすがに喉の奥で抑える。
「でも、どうして?」
「色気づいてきたようでな。このところ、どんなのを喜ぶのやらさっぱりわからん」
しかし、そんな嬢ちゃんに乗せられて、ついつい口が軽くなった。
目元にも、小さな皺が集まる。
「嬢ちゃんなら、好みもわかるんじゃないかと思ってな」
はじめにあった躊躇いは、すっかり姿を潜めていた。
「・・・ヨーゼフは、何か考えてるの?」
「そうねぇ・・・」と言って思いを巡らせてから、嬢ちゃんが問い返してくる。
「俺か?」
「うん」
「なぜ?」
「きっとね、ヨーゼフが贈りたいものを、一番喜んでくれると思うの」
「そう・・・なのか?」
思ってもいなかった答えだった。
拍子抜けして、嬢ちゃんの顔を見る。
その微笑みが、とても優しく感じられた。
「うん。きっと」
穏やかに繰り返された嬢ちゃんの言葉も、耳に深く響く。
「そう・・・か・・・」
俺は、その意味を噛締めるように呟いた。
肩から大きな荷物が降りた気がした。
だが、すぐに思い出した。
嬢ちゃんは、いや、この三人は皆、物心つく前に両親に先立たれていることを。
(こいつは本当にヤキが回ったか・・・)
自分のことにしか思いが及ばなかったことを呪う。
恥ずかしくなり、視線を嬢ちゃんから離す。
「それで?」
「いや。さっぱりだ」
「そうなの?」
だから、明るく聞き返してくる嬢ちゃんに、同じように明るく答えた。
「近頃の流行はわからん」
上手くできているかはわからない。
笑うのは苦手だ。
「流行?」
そこに、再び驚きの声が上がった。
「あるんだろ?」
今度は確かめる余裕もあった。
「『あるんだろ?』って言われても・・・」
戸惑う声で、まだ話に食い違いがあることに気がつく。
「言って・・・なかったか?」
(失敗した)
そう思いながら問う。
「いや、だから。何の話をしてるの?ヨーゼフ」
「髪飾りだ」
わかっていた答えに、落ち着いて答えた。
「髪飾り?」
「ああ。プレゼントのな」
「なんだ。そうなら初めからそう言ってよ」
「そうか。言ってなかったか」
ごまかしの色を言葉の端に乗せた。
「もう。さっきだってちゃんとネリーちゃんのだって言ってくれてたら、
あんなに恥ずかしい思いをすることのなかったのに」
「すまん」
わざとふくれたで文句を言う嬢ちゃんに、軽く謝った。
「へ〜。でも、結構気が利くのね。良いんじゃない?」
「散々悩んだ結果だからな」
「そうなると・・・あとは誰のにするのか・・・ね」
「誰?ネリーのだ」
「ううん。違う違う。細工師よ。誰が作ったのかによって、全然違っちゃうんだから」
一人で話始めた嬢ちゃんの声は弾んでいた。
本来ならば、嬢ちゃんぐらいの女の子は、こうあるべきなのだろう。
ネリーの今後を考えると、心が痛んだ。
「有名なところだと・・・ダイオールさんとかタイファニーさんとかなんだけど・・・ヨーゼフにはわからないか」
だが、その言葉は思い違いがもう一つ残っていることを示していた。
「知らんが・・・」
聞くまでもなくそのことに気づき、ゆっくりと口を開いた。
「決まっている」
一言一言。
「本当?」
「嘘なんてついてどうする」
「それはそうなんだけど・・・」
「トーブルだ」
はっきりと、重みのある声で告げた。
「トーブル・・・さん・・・」
「アルテアにいるトーブルだ」
きっと、嬢ちゃんが思いつくことはない。
そう考えて、必死に記憶の糸を辿る嬢ちゃんに手を貸した。
言った後で、もう一度嬢ちゃんの顔を見る。
「え・・・ちょっと・・・ヨーゼフ?もしかして・・・」
予想外の人物なのだろう。
知らずに聞けば、俺だって驚くに違いない。
「そうだ。鍛冶屋のトーブルだ」
語尾を待たずに、嬢ちゃんの考えが間違っていないことを頷きとともに告げる。
「でも・・・」
「腕は確かだ」
有無は言わさないという意思をこめて、キッパリと言い切った。
「それは・・・そうだけど・・・」
「それに・・・トーブルにしか出来んのだ」
そして、それでも不満を顕にする嬢ちゃんに、決定的な一言を告げる。
「なにせ───」
不安がないわけではない。
俺は山の男だ。
それが装身具用として不向きであることは、十分に承知している。
貴重なことは確かだが、決して美しくない。
また、細やかな加工もしにくい。
それだけで否定されてもおかしくはない。
いや、本当は否定されるべきなのだ。
だから言葉を一度切った。
そして真っ直ぐ前を向きなおした。
「───ミスリルだからな」
嬢ちゃんが言葉を飲み込んだのは、一瞬だけだった。
「なるほどね」
落ち着いた声で、すぐに返事をしてくれた。
「ああ」
その口調で、伝わったことを理解する。
「つまり・・・」
「そうだ」
嬢ちゃんの言葉を切って、相槌を入れた。
「デザインをして欲しい・・・と」
「・・・・・・」
そして、続く言葉に黙って頷く。
「はじめから、そのつもりだったでしょ」
俺もニヤリと笑って、その言葉を肯定する。
「あんまり・・・自信ないよ?」
「俺やトーブルより遥かにましだ」
「それは・・・そうね」
「すまんな。戦いが落ち着いてからで構わんから」
「そうなの?」
「どのみちそれまでは───」
開いてしまった口を、「あ」の形で止めた。
そして、慌てて言い直す。
「───まぁ、とにかく急ぐ必要はない」
「ふ〜ん」
「たのんだぞ」
何かを窺うような嬢ちゃんに、厳しい声で釘を刺す。
「あ、でもさ・・・」
数歩の後、嬢ちゃんの言いかけたことを、俺は瞬時に理解する。
俺だって考えなかったわけではない。
俺が家にいられない間、ネリーの面倒をなんだかんだと任せてしまっている。
彼女なら、ネリーの好みもはっきりとわかるのだろう。
それに、頼めばきっと喜んで引き受けてくれるだろう。
地金のことにだって、嬢ちゃんよりは知識があるだろう。
だから、きっと彼女の方が適任だ。
だが、駄目なのだ。
その理由がある。
「イザベラはダメだ」
嬢ちゃんの口から名前が出るより早く、否定した。
「どうして?」
「・・・・・・」
「ヨーゼフ?」
「・・・次が頼めん・・・」
重なる追求に、俺はボソっと小さく呟いた。
聞こえてしまって欲しいのか、あるいはそうでないのか、どちらなのかわからない。
「つ・・・ぎ・・・?」
だがどちらだったにせよ、俺の呟きは嬢ちゃんに届いたらしい。
「・・・・・・」
含まれている意味に嬢ちゃんが気づくのを待つ。
「・・・っ」
そして、再度息を呑む気配を察知して、嬢ちゃんの方を振り向く。
「そういうことだ」
目を見開いている嬢ちゃんに言った。
すぐに前に向きなおす。
全身に何かが駆け巡っているような感じがしていた。
「そうなんだ」
「まずはネリーの機嫌をとっておかんとな」
それを隠すためか、言葉が堅くなったことを感じる。
「責任、重大ね」
「すまんがな」
顔をあわせることなく、会話を続けた。
そのとき、
「マリア、ヨーゼフ!」
フリオニールの声が二人の間に走った。
「何かいるぞ!!」
その声に視線を前に向ける。
通路の先、少し離れたところに、確かにその姿はあった。
一見すると人型のようだ。
手に位置に相当するあたりに、ランタンのような明かりが灯っている。
(人か?)
その明かりに、鍔が大きく反り返っている帽子の輪郭が映しだされていた。
「まさか・・・あいつ───」
ガイが声をあげる。
はっきりと怒気が混じっていた。
俺はその姿を敵だと認め、足を速めて嬢ちゃんの前に出る。
「───ボーゲン!!」
後ろから聞こえた名。
その名を、俺は一生恨むことになる。