ばひゅぅゅるぅぅ。
風がうなり声をあげている。
これも、ヴァイラスの魔力の所為なのだろうか。
まだ結構距離はあるはずなのに。
ふぃぃぃふゅっぅぅぃぃぃぃぃいっぅ。
風は激しく私たちを叩く。
髪が、服が、箒が。
私たちの全てが靡いている。
心。
そして勇気。
それさえも、今すぐに吹き飛ばされて行きそうだ。
それでも私たちは真っ直ぐに飛ぶ。
ヴァイラスを目掛けて。
半島の先を目指して。
眼下には海。
鉛色に濁った海も荒れ狂っている。
止めなければ。
私たちが。
それは悲壮な決意なのかもしれない。
とうてい無理なことなのかもしれない。
そう思わせる程の圧倒的な嵐の中。
私は、私たちは飛ぶ。
たった一本の箒に跨って。
速く速く。
それを願って。
勇気がなくならないうちにと願う。
そして、ヴァイラスの姿は徐々に大きくなる。
風も一層その力を増している。
ふと、箒の先のルーンを見る。
微かだけど、小刻みにふるえているように見える。
寒いのだろうか。
それとも、怖いのだろうか。
仕方がない。
彼はまだ、ほんの子供なのだから。
本来ならば、母親の腕の中で泣きじゃくっていても良いはずなのだから。
私だって、怖いのだから。
しゅぐぅぅぎゅぅぅふぅぅぅっっ。
突如として横風。
バランスが崩れる。
錐揉み状態になりながらも、必死に箒をなだめる。
こんなところで、墜ちる訳にはいかない。
せめて、戦うぐらいはしたい。
相手にすらならなくても。
何とか体制を立て直す。
肩で息。
それでもまた飛ぶ.
ルーンはとても静か。
いつものルーンなら、絶対はしゃぎそうな状態だったのに。
「ねぇ、ルーン・・・」
固まってしまったかのように、真っ直ぐヴァイラスを見据えるルーンに声をかけた。
少しでも緊張を解してあげたかった。
そうして、ふと気が付く。
そう言えば、随分と話していなかった。
どうやら緊張はお互い様みたいだ。
「何?サクラお姉ちゃん」
途中で言葉を止めてしまった私を不審がったのだろうか、ルーンが聞き返してきた。
でも、その声はとても強いように感じた。
硬い・・・のは確か。
でもそれだけじゃない。
いつものルーンじゃない。
そう感じる。
ルーンの視線は前方、ヴァイラスに向いたまま。
「あ・・・、ううん。何でもなかったんだけど・・・。緊張してるみたいだったから」
そんなルーンの言葉に、私の方が気圧され気味になる。
「ん・・・。僕は大丈夫」
「そう・・・・・・」
再びの強い返事。
二人の間も再び沈黙が支配した。
飛ぶ。
真っ直ぐ。
近づくにつれて、ヴァイラスの大きさがハッキリしてくる。
遠くからだと実感が沸かなかったその巨大さ。
レクイエムの殻体なんて比べものにならない。
おそらく・・・スハイル邸、いや町ひとつ程度では済まないだろう。
あと100m程。
ここからでも山が浮いているように見える。
そんなものがどうやって空に浮いているのか、それはもう旧世界の魔法としか考えられない。
体に思わず震えが奔る。
奥歯にも知らず知らずに力が入ってしまっていることに気が付く。
見ると、ルーンも震えている。
怖いのだろう。
風の音に混じって、微かに歯がカチカチと音を立てているのが聞こえる。
「ルーン。怖いの?」
私は明るく、今の私に出来る限り明るく声をかける。
私が緊張していることをルーンに気付かれるわけにはいかない。
私はルーンを守らなくちゃと思う。
せめてルーンだけでも。
「ううん。怖くなんかない!」
強い・・・と言うより硬い返事が返ってくる。
かなり無理をしているみたいだ。
「あはは。無理しちゃって。震えてるぞっ!」
「寒いだけだもん」
「へ〜そうなの?てっきり怖がってるんだと思った」
ムキになって否定するルーンを、意地悪くちゃかす。
「違うもん。そう言うお姉ちゃんこそ震えてたじゃん」
「え・・・」
意外な言葉に私の声が消える。
思わず箒も止めてしまった。
「結構、箒が揺れるんだよ。お姉ちゃんは気が付かないかもしれないけど」
「・・・・・・」
言葉が出ない。
虚勢が破られたかのように。
これじゃいけないのに。
私がしっかりしていなきゃ。
そんなことばかりが頭をよぎっていく。
「ほら、お姉ちゃんの歯、鳴ってる」
「あ・・・・・・」
本当だ。
今更気が付いた。
・・・もしかして、さっきの音も私のだったのだろうか。
自分では噛みしめているだけだったつもりなのに。
私はそんなにも緊張・・・いや、怖がっているのだろうか。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「え・・・?何?」
「安心して良いよ。お姉ちゃんは僕が守るから」
「ルーン?」
「だって、ハイドお兄ちゃんとそう約束したから」
「え?」
「おまえがサクラを守ってくれって。そう頼まれたから」
「それにね・・・」
がさごそとルーンが服の中を探る。
そして振り返ったルーンが私に見せたもの。
それは・・・。
「うん。あのアミュレット」
そう、アミュレット。
ユウラが持っていた、あのアミュレット。
ハイドがそれを大切にしていることを知っている。
最初こそ多少の嫉妬があったけど。
今では素直にハイドの大切なものなんだと理解している。
「出かける前に、お兄ちゃんがお守りにって僕にくれたんだ」
「やるから、絶対お姉ちゃんを守れって」
「だから、守るよ。サクラお姉ちゃん!」
「あはっ、あはははっ」
惚けていた私の口から、自然に笑い声がこぼれた。
「お姉ちゃん?」
「もう、ルーンったら。生意気なこと言っちゃってー」
「なんだぅ。笑うことないじゃんか」
ルーンがむくれる。
「守るだなんて、ルーンだって震えてたくせに」
「だからそれは違うって!」
「本当かな〜〜」
「本当だよ!寒かっただけだい!それと・・・ちょっと武者震いだい」
「はははっ。そう言うことにしておいてあげる」
「なんだよー。もう。急に元気になっちゃってさ」
「だって、ルーンが守ってくれるんでしょ?安心したから」
「へ?」
「違うの?」
「ううん。違わないよ」
「うん。それじゃ、しっかり守ってね。帰ったら・・・」
「帰ったら、そうね、マスターのお店で好きなもの奢ってあげる」
「お店って、竜の亡骸亭?」
「うん」
「でもでも、あそこって・・・」
「そう。冒険者のお店。何でも、好きなだけ奢ってあげるから」
「それじゃあ・・・」
「この私を守るんだから、いっぱしの冒険者よ!」
「あ・・・・・・」
「でしょ?」
「もちろん!」
「よーし。それじゃ、ルーン君。これより作戦を開始する!」
「うん!」
「目標は・・・ヴァイラス」
「うん」
返事に心持ち緊張の色が混じる。
「私とルーンと。そしてハイド。3人のパーティーの初仕事よ!」
「はつしごとー」
「それじゃ、気合い入れて行きましょう〜!!!」
「おー!」
そして、二人で吹き出す。
なんだかとても楽しい気分だった。
そして、深呼吸。目を閉じて。
私に会わせてルーンも。
目を開ける。
もう怖くない。
いや、怖くないと言ってしまうのはふさわしくない。
怖いけど、怖いけど心強い。
それは心地よい緊張感。
真っ直ぐにヴァイラスを見つめる。
後、50メートル位。
もう目と鼻の先だ。
ヴァイラスの呼吸の音だろうか、「づごぅづごぅ」という音が聞こえる。
ルーンの乗っている宝珠に魔力を込めてゆく。
もう一度、深く息を吸う。
そして止める。
ヴァイラスを睨み付ける。
箒の先には、魔力で真っ白に輝く宝珠。
そして、その上にルーン。
(ありがとう・・・ルーン)
心の中で思う。
そして、ハイドにも。
帰ってお礼しなくちゃと思う。
ルーンがこっちを向いた。
目があった。
もう言葉はいらない。
必要ない。
二人で頷く。
それは、開戦の合図。
止めていた箒に再び力を込める。
一直線にヴァイラスへ。
「うぅりゃぁぁぁぁああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーー」
狂ったように声を張り上げて。
遥か遠くヴァイラスの向こう、真っ赤な月が見えた。