「ようやく客も引けたな。おつかれさん」

  「お疲れさまでした」

閉店時間まで1時間、ラストオーダーまでは45分を切った頃。

カウンターに立つ店長の声に、レジから答える。

夕食を一人食べに来ていたサラリーマン風のお客さんがたった今出ていって、
店内は店長とあたしを入れて3人のバイトだけになった。

こういう時は、お客さんがこれ以上来ることはほとんど無い。

それならば店を閉めてしまっても良いだろうとは常々思っているのだけど、
変なところで律義な店長はラストオーダーの時間が過ぎるまでは決して店を閉めようとしない。

  「それじゃあ、片付けに入りましょうか」

さっきのお客さんがいたテーブルから食器を運んで来た芳野君が、店長に向かって話しかける。

  「うし。じゃあ、そうするか」

閉めないとはいっても、お客さんが来ないだろうことは店長もわかっているみたいで、
閉店の準備に取り掛かることにはなっている。

  「あ、それならチャンネル変えちゃいますよ?」

カウンターの中で店長の横に並んでいる、もう一人のバイトの勝田君が言うのは、
店内に流れている有線放送のこと。

雰囲気作りもあって、営業中は落ち着いたクラシック系のチャンネルを流しているけれど、
片付けに入ってからは好きなチャンネルにして良いことになっている。

本当はまだ営業時間中だけど、そこまで口うるさい店長じゃない。

  「ちょっとまて、今日はオレのはずだぞ?」

マスターに皿を手渡している芳野君が、勝田君を声で制止した。

  「良いじゃんかよ。今日はひなちゃんのシングルの発売日なんだってば」

さも不満そうに、勝田君は反論する。

  「なんだよ。やっぱりおまえ、またアイドルばかりのチャンネルにするだったんじゃないか」

お呼びでないと言わんばかりに、芳野君は自由になった手をシッシと動かしていた。

  「なんだぉ〜?芳野、オマエまた我らがひなちゃんを愚弄しようというのか?
   ひなちゃんはそんじょそこらのアイドルとは違ってだなあ――」

  「はぁ・・・」

  「なんですか店長。そのため息は」

熱弁に割って入った店長のわざとらしい仕草に、勝田君が敏感に反応した。

  「いや。その目の輝きがおまえらしいと思ってな」

  「どういう意味ですかそれは――って、芳野、おまえまで笑うな」

  「悪ぃ悪ぃ。つい」

  「ったく。何が『つい』だよ」

  「芳野だと、今日は洋楽だな?」

話を落ち着かせたところで、すかさず店長が流れを決めにかかる。

  「そうですね。まあ、確かにひなちゃんも嫌いじゃないですけど」

  「おおっ!芳野、おまえもようやく目覚めたか!」

  「だからと言って、特別好きと言った覚えはない。おまえこそ早く目を覚ませ。世間の風は冷たいぞ?」

  「なんだと――」

すっかりと乗せられていることに、勝田君は気づいていない。

いつものパターンだった。

  「そういえば華蓮?」

  「はい?」

突然話題を振ってきた店長への返答が裏返った。

  「おまえはどうだ?」

  「う〜ん。普段聞くのは邦楽が多いですね。アイドルはあまり聞きませんけど」

傍観者を気取っていたあたしを店長が巻き込みに来たのを察知して、どちらの味方でもない無難な答えを返す。

  「まあ、それが普通でしょうね」

勝田君とのやりとりを続けていた芳野君が、逃げ道を求めてあたしに相槌を返して来た。

  「あ、でも個人の趣味だと思うから、アイドルも否定はしないわよ?」

  「さすが華蓮さん。どっかの芳野とは違って心が広いなぁ」

崇めるかのように両手を胸の前で組んで、潤んだ瞳で訴えかけてくる勝田君。

  「好みだから、個人的には賛成しかねるけどね」

できるだけ営業用と思えるように作り込んだスマイルを、勝田君にニッコリと向ける。

  「やっぱりな」

初めからあたしの言葉の意味をわかっていたかのように頷いたのは、もちろん店長。

  「うぅ・・・」

  「さて、それじゃあ結論も出たところで変えてきますね」

うなだれる勝田君を、芳野君がバッサリと切り捨てた。

  「あ、ついでに洗剤取ってきてくれ。皿洗うヤツ。目につくところにあると思うから」

  「わかりました」

  「こら勝田。いつまでもいじけてないでモップ掛けだ、おまえは。華蓮はレジな」

  「ちきひょう。世の中には神も仏もいないのか・・・」

追い打ちをかけられるかのように一番厳しい仕事を言いつけられた勝田君の嘆きを笑いながら、
あたしはその場で了解の頷きをした。

  「あ、鍵お願いします。店長」

  「ああ」

  「まあまあ。理解してくれる人もいるわよ。きっと」

店長がポケットをまさぐっている間に、大げさにうなだれている芳野くんに軽く慰めの言葉をかける。

  「もうその手には乗りませんから」

  「華蓮さんにそんなこと言うと後が怖いぞ?勝田」

バックヤードから姿を現した芳野君が、さも当然のことであるかのようにしれっと勝田君に話しかけた。

  「うわっ。しまった」

すぐさま勝田君も、逃げるように清掃用具入れに向かった。

  「俺には芳野こそ夜道に気をつけた方が良くなった気がするがな」

ニヤニヤと笑みを浮かべながら、店長が意味深げな視線をあたしに向ける。

  「どういう意味ですか?店長?」

さっきと同じようなあからさまな作り笑いを、二人の方に向けた。

  「な?」

  「そうみたいです」

顔を合わせて店長と頷き合う芳野君は、震えを押さえるかのように上腕部を逆の手でさすっている。

  「そんなことより、鍵はどうしたんですか」

わざとらしい仕草に、不満を込めた声をぶつける。

  「ああ。すまんすまん。ほれ」

すると突然、店長の手が動いた。

  「えっ」

あたしは完全に意表をつかれてしまった。

既に店長の手の中にあったとは思っていなかった。

そんなあたしにお構いなく、つけられた鈴の音を響かせながら、鍵は山なりの軌道で迫ってくる。

あたしはそれを捕まえることができなかった。

とっさに顔を守ろうとした手の合間を縫って、目と頬の間あたりに命中する。

  「おい。どうした。華蓮」

  「あ、いえ。なんでもないです。ちょっとびっくりしちゃって」

右足のそばに落ちている鍵を拾おうと、慌ててしゃがむ。

  「おいおい。しっかりしてくれよ。『女の顔に傷がついた〜』なんて言われても困るぜ?」

  「もうっ。そんなこと言いませんって」

  「それなら良いが、なにせ後が怖いからな」

  「店長、やめてくださいよ。蒸し返すのは。本当に夜道歩けなくなっちゃいますよ」

あたしを避けるような素振りを見せているところからすると、意識的に滑らせている口なのだろう。

  「・・・店長、芳野君が明日休みが欲しいそうです」

冷たく言い放った。

  「だめだ。そんなことになったら、新しいバイト探さなくっちゃいけないだろうが」

  「華蓮さんに色気でも使ってもらえば、掃いて捨てるほど集まりますから大丈夫ですよ。きっと」

すかさず勝田君も横からちゃちゃを入れてくる。

美味しい話題に乗り遅れてなるものかということなのだろう。

  「あ、勝田君もだそうです」

芳野君の時よりもさらに冷たく言う。

  「・・・・・・」
  「・・・・・・」

示し合わせていたのかと思うほどタイミング良く、二人の動きがぴたっと止まった。

変なところで争ってはいるが、基本的には普段から息がぴったり合っている二人だ。

店長はといえば、ただ苦笑いを浮かべている。

店長から見れば、あたしも含めて三人のコントを見ている感じなのかもしれない。

もっとも、あたしからすれば店長だって十分にその一員だけど。

店内は、流しの水がシンクに置かれたお皿の上に落ちる音だけになっていた。

天井のスピーカーも、ちょうど曲の合間みたいだった。

  (次の曲が動き出しかな)

そう思って、スピーカーに全神経を傾けて次の曲を待つ。

一呼吸後。

スピーカーから流れ出したのは、アコースティックなギターのアルペジオだった。

  「おっ、今日は随分と通なリクエストだ。Just In The Wind なんてかかってる」
  「さって、モップがけモップがけ。楽しいなぁ〜」
  「ほらほらバカなことやってないで手を動かせよ?」

暗黙の了解として示し合わされていたタイミングに、あたしは乗れなかった。

  「か弱いあたしに、できるわけないでしょ?」

準備していた台詞は、衝撃に吹き飛ばされてしまった。

そんな中で、芳野君の声だけははっきりと聞こえた。

  「ちょっと芳野君、今――」

  「な、なんですか?軽い冗談じゃないですか。本気にしないでくださいよ」

  「そうじゃなくって、なにがかかってるって?」

声が厳しくなってしまっていることは、気にできなかった。

  「え。ああ。『Just In The Wind』ですか?」

  「ウィンドって、風?」

  「ええ。今流れてる曲の名前です。
   5年ぐらい前にヨーロッパでちょっとだけ流行ったグループの曲なんです。
   レコードで出たってこともあって、日本じゃ全然手に入らなかった曲なんですよね。
   もっともCDで出てても輸入されるほど人気があるグループじゃないですけどね。
   ・・・ええと・・・テキサスだかフロリダだかっていったかな?
   確かアメリカの地名っぽい名前でした。ときど〜きFMとかで流れてますよ」

  「そう・・・なんだ」

  「知ってるんですか?」

  「え?うん。どこで聞いたかも覚えてないんだけどね。良い曲だなって思ったことがあったから」

半分だけ嘘をついた。

聞いたのはあたしの部屋でだったことは、はっきりと覚えている。

聞くことになった理由も。

  「思ったより渋い趣味してますね。華蓮さんって」

  「・・・・・・」

鋭い勘に返す言葉を探し出すことができずに、視線を合わせたままで無言を重ねる。

  「べ・別に他意はないですってば」

  「ふ〜ん。まあそういうことにしといてあげようかな」

早とちりをして返しやすい答えをしてくれた芳野君に、感謝した。

  「ええ。そりゃもう是非」

  「案外何か青春の思い出の一曲かもしれんぞ?」

  「もうっ、店長はすぐそういうところに話を持っていきたがるんですから。そんなこと無いですよっ!」

  「おっと。ムキになるあたりが一段と怪しいな。第一、突っ込みどころは別にあるだろうが」

  「俺はまだ思い出じゃないですからね。青春」

芳野君がとんでもないことを口にした。

  「はて、なんのことかな?それより二人とも、ちゃんと手を動かせよ?」
                
  「て〜ん〜ちょ〜う〜〜〜!!!?」
  「俺はテーブルですね?」

  「ああ。勝田が反対からモップがけ始めてっから手早くな」

  「はい」

  「でもきれいにだぞ?」

  「わかってますって」

  「もうっ」

あたしを完全に無視して動き始める店長と芳野君に短い不満の声を上げて、あたしもレジに鍵を差し込んだ。

天井から降りてくる曲は、既に違う曲になっていた。



その夜。

家に着くなり、白い半透明プラスチックの枠に覆われたブラウン管のスイッチを入れていた。

チッ クチチチ クチ クチチ クチチチ チッ  カッ

Enterキーを叩く一際高い音が、部屋に響く。

それに反応して、白い背景の中に文字列の固まりがバラバラっとちりばめられる。

検索に引っかかったのは、全部で12件。

ページの内容を示す文を、上のものからざっと目を通していく。

その5つ目。

大手のオークションサイトの名前を見つけて、あたしはマウスに手を伸ばした。

一つしかないボタンを、素早く二回クリックする。

開かれたページは、期待通りのサイトだった。

オークションの出展物への入札のためのページ。

出展物名には、探していた文字。

Dust In The Wind。

シングルレコードだった。

  「ア・ラ・バマ――」

声に出してローマ字的に読んだアルファベットの名前は、アーティスト名。

アラバマ。

自分から州の名前として思い浮かべることはできないけれども、言われればそんな州もあったと思える名前。

まだ入札者は誰もいないようで、出展者が決めた最低価格を示す1が最高入札額には示されている。

  (やったぁ♪)

幸運を心の中で喜んだ。

プレイヤーは持ってないけれど、手に入らないものでもない。

それに確かちょっと前に、店長が要らなくなったレコードプレイヤーがどうのって言っていたような覚えがある。

その時には全然気にもしなかったけど、まだあるようならば貰えるかもしれない。

  「よっし」

入札しようと決めて、入札の方法を探そうとした。

その時目に入ったのは、入札期限。

見つけたそれは、今日の午後10時まで。

  「ちょっと、なにそれっ」

帰ってきたときには既に9時に近い時間になっていたことに思いが至って、振り返ってタンスの上の時計を見た。

残り5分程度。

あたしは慌てて画面に向き直った。

確かめるために目を向けた入札期限も、『残り5分』の表示に変わっていた。

入札に必要な手続きを必死に探す。

必要だったのは会員登録。

住所・名前・電話番号・メールアドレスの登録。

あたしは滑るように指を動かした。

いつの間にかブラインドタッチをできるようにしてくれた、Masquaradeに感謝しながら。

  「ふぅ」

間に合った。

入札を受け付けられた時に表示されていたのは、残り1分。

他に入札はないみたいだった。

  (もうちょっと安くても良かったかな?)

あたしが入れた価格は1000円。

でも、後悔はない。

もう一回入札し直す時間はないと思ったし、それくらいならば出しても良いと思ったから。

それに、入札なしからそこまで跳ね上がれば、相当欲しがっている人以外は手を出さないだろうとも考えた。

結果は無事落札。

結局、他の入札者はいなかった。

  (芳野君が言った通りね)

需要がないということなんだろう。

安心して、開いていたブラウザを閉じた。

そしてもう一度、大きなNの文字を中心にデザインされているアイコンをダブルクリックして、
ブックマークからMasquaradeを選んだ。

一度閉じてしまったことを、いつものことながらもったいなく思いながら。


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