針を落とす
息を止めた。指先が震えないように細心の注意を払いながら、針を落とす。
軽くバウンドしかけるが、針は跳ね上がることなく、盤面に吸い付いたまま、レールを走り出す。
パチッ…パチッと2回音を立てた後、静かにアコーステックギターの有名なリフが始まる。
生まれて初めて買ったLPは、ベストオブサイモン&ガーファンクル。
小学生の時から使っているレコードプレーヤーのターンテーブルから大きくはみ出したLPが奏でる1曲目はサウンドオブサイレンスだ。
小学生の時に買ってもらった青いレコードプレーヤーは、はじめはソノシート専用だった。
「ウルトラQ」「チャコちゃんケンちゃん」…、あの頃は「お話つき」のソノシートブックがたくさん売られていた。
小学校4年生の時に、映画「エレキの若大将」を見てからは、加山雄三さんのシングル盤がソノシートに取って代わった。
そして、洋楽に目覚めた中学生の私は、LPを初めて買った。
ターンテーブルに乗る盤が変わるたびに自分が大人になっていくようでうれしかった。
就職してお金をため、とうとう、自分が本当に欲しかったステレオセットを手に入れた。
給料の数か月分にもあたる値段のステレオセット。
何日もオーディオ店に通い、1日中試聴して、選び抜いたコンポーネント。ローンの契約書に印を押すのを何度かためらうほど高額だった。
プレーヤーは、ボタン一つで、針をスムースに盤に落とす。
盤の埃をしっかり落としておきさえすれば、何の心配もなく、LPは、最高の音を奏でてくれた。
それでも、針を落とす瞬間は、そのたびに心をわくわくさせ、今からA面を聴くのだと居住まいを正してしまうような緊張感を私に与えてくれた。
数年すると、CDが普及し始め、あっという間にLPを駆逐した。
CDよりもLPの方がずっと音が良い、というオーディオ雑誌の評論家の意見をものともせず、CDは、昔からそこにいましたという風情で、レコード店の棚に並んでいった。
最初は高額だったCDやCDプレーヤーも普及と共に買いやすい値段になり、私にも買えるものになった。
私の家の棚も、CDが主役の座につくまでにさほどの時間はかからなかった。
何といっても、CDは楽だった。
トレイに入れてボタンを押すだけ。途中でひっくり返さなくても、アルバムの全曲が聞ける。
聴くたびに針の摩擦で盤が痛むなどという心配もない。
最初の頃は、聴くたびにLPレコードのようにていねいに埃を落としていたが、それさえ必要ないと次第にわかってきた。
オーディオ評論家の話も、嘘だった。
CDの方が音の分離が良くて、華やかだ。(これについては、20年経った今、当時の評論家の話がわかるような気もしてきた。)
CDはなんと素晴らしい発明なのだろう。
ふと気づくと、「わくわく」が消えていた。
針がうまく着地するように、針の位置を1ミリの誤差なく決める。
外してしまうかもしれないという少しのスリルと、うまく針が下りたときの喜び。
1回聴くごとに、盤は確実に痛んでいくのだから、この1回も、出てくる音の隅々まで聴いてやろう。
耳を傾けるというのは、きっとこういう状態を言うのだろう。
今まで気づかなかった音が聞こえた時、胸が躍った。
レコードの音を最大限に引き出すために、0.1g単位で、アームの錘をずらしていく。
アームはS字がいいのか、ストレートがいいのか、何度もつけかえて同じ曲を聴き返す。
針のカートリッジをどんどん付け替えていくお金はなかったが、それでもいくつかのカートリッジや針を買い、何度も試し聴きをする。
カートリッジ交換はちょっとしたこつが必要だ。
繰り返すうちにカートリッジ交換が上手になっていく自分がうれしかった。
気に入った針は、虫眼鏡で確かめながら、洗浄液を含ませた葉書でそっとこすって汚れを取る。
今思えば、気が遠くなるような細かくて時間のかかる作業だ。
でも夢中で、楽しかった。
このわくわくは、どこへ消えたのだろう。
便利と引き換えに、どこかに消えてしまった。
紙芝居がテレビに変わった。
紙芝居なんて比べ物にならないほど、面白い番組のオンパレードだ。
うちわが扇風機からクーラーに進化し、火鉢は電気コタツやカーペットに形を変えた。
洗濯板とたらいを使わなくても洗濯が自動的に終わり、毎日買いに行かなくても、電気冷蔵庫が食べ物を何日も保存するようになった。
でも、紙芝居が今日来るのかどうかを心配しながら、それでも続きを見たくてわくわくして待っていた午後は、もう味わえない。
うちわの風は、母の匂いがした。
火鉢から離れると寒いから、家族はうんと近い場所にいた。
汚してしまった私の下着を洗濯板で一所懸命洗う母の後姿を見て、二度と失敗はしないと誓った。
毎日卵を買いに行くのは、私の仕事だった。
便利はいいことだ。
楽になれば、その分違うことに時間が使える。
人間は、それを繰り返して、今の文明を築いてきた。それを否定して昔に戻ろうという主張は、先人の歩みをすべて否定することにもなりかねない。
大事なことは、その便利さが、先人の知恵で生み出されたことを忘れないことだ。
小さな頃、コンピュータゲームはなかった。
それどころか充分なおもちゃもなかったから、遊ぶためにはどの子もたくさんの工夫が必要だった。
相手をしてくれるコンピュータがないから、遊ぶ友達を募らなければならない。
少しくらい嫌なやつだって、飲み込んでしまう力がなければ、遊ぶことそのものができない。
道具にも技にも磨きをかけなければ、遊びは途端につまらなくなる。
どうすれば強いこまやぺったん(めんこ)になるのか。こまの芯を変えたり、ぺったんに油を塗ったりする。
もちろん強くなるための練習も、友達に内緒でこつこつと続ける。
工夫をすること、技を身につけること。
全部子どもの頃、私たちは体で覚えた。
残念ながら、今の小学生は、「オートマチック」の暮らしに囲まれ、工夫したり、手指に細かい技を身につける必要がない。
男の子に必要なのは、せいぜい、カードの強さを暗記するくらいだろう。
子どもの頃、すべてのことに飢えていた私たちは、それによっていろいろなことを身につけることができた。
しかし、忘れてはならないのは、その頃の大人が、未来に希望を持って、がんばればもっとよい暮らしができると、体で教えてくれたことだ。
思えば、私は、本当によいタイミングでこの国に生まれてきた。
私たちの親の世代が命がけで自由を勝ち取り、たゆまぬ努力で、日本を世界に冠たる先進国に押し上げた。
私たちは、その一部始終を目の当たりにしてきた。
今の子どもは変わった。
そういう時代だから仕方がない。そう嘆く大人は多い
。しかし、私たち今の大人は、私たちの親の世代の大人のように、未来が自分の力で明るくできることを、体を使って子どもたちに見せているだろうか。
100枚を越えたところで、私のLP集めは終わった。
CDは1000枚に届こうとしている。もうLPに針を落とそうとは思わない。
知らぬうちにぞんざいに扱ってきたCDを、LPの頃傷一つでも見つけようと目を凝らしたようにゆっくり眺め、CDの音がさらによくなる工夫はないかを探すところから始めようと思う。
掲載『文芸やいづ 第16号(平成18年3月)』
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