教育、本気で考えると


 小学校に勤めて20年をすぎました。

 今回は、実現不可能な提案をいたします。この話をすると「君は本気で教育について考えているのか」などと言われますが、私は本気で以下の提案を考えています。この国を存続させるには必要なことだと思っています。ただし、私の生きているうちに実現は無理だとも感じています。

提案は以下の3点です。

a  小学生は、授業を午前中だけにする。

b  学校の近くにできるだけ多くの、国有の「原っぱ」「海岸」「森」を設ける。

c  落第制度を常識として浸透させる。

aが必要な理由は二つあります。

 一つ目は、子供の脳の特性です。大人と違い、二次性徴前の子供の脳の回復力は非常に高いものです。半日くたくたになるまで使っても、もう半日思いきり遊べば、完全にリフレッシュしてしまいます。体全体も同じです。大人ではこうはいきません。

 そんな子供も、一日中学校で勉強をしつづけることが5日も続けば、いくらそのあと、2日間休みをとっても、疲労は蓄積していくのです。大人に必要なのは週休2日ですが、小学生に必要なのは、毎日の半日休みなのです。二次性徴完成前の人間と完成後の人間は明らかに違います。

 二つ目の理由は教員がわにあります。東京の小学校がどうなっているか知りませんが、こちらでは、8時から子供は活動を開始し、下校時刻は、午後4時半です。中学校は、さらにそのあと部活動をします。

 教員の勤務時間は、8時から午後4時45分まで。ですから、勤務時間のほとんどは子供と一緒に活動しています。中学校はそれ以上です。授業の準備をする時間が、勤務時間内に物理的に存在しないのです。もちろん、一般の会社員、公務員のような完全な休憩などほとんどありません。

 そこで多くの教員は、勤務時間が終わっても、学校に居残りつづけ、それでも授業の準備ができず、子供のノートを家に持って帰り、命を削って授業の準備をし、睡眠不足の頭で子供の前に立つのです。

 昔、現場を知らない評論家か何かが、「子供はお客さん、授業はステージ。プロの役者や音楽家は1時間の本番のために何十日もの準備をする。教員もそれを見習うべきだ。」などとわけのわからないことを言っているのを聞いたことがありますが、授業の何倍もの準備時間を生み出す余地はこの世の中のどこにも存在しないのです。

 子供が昼食をとってから帰宅すれば、教員の午後は、次の日の準備に十分当てられます。今よりさらに充実した準備をして授業ができるでしょう。授業が充実すればするほど、どんな子でも勉強は好きになります。

 前述の評論家の言う通り、私達には授業がもっとも大切な真剣勝負の場です。役者さんのように準備の時間を1分でも多くほしいのです。

 教員は大人ですから、他の公務員と同じように5日働いて2日休みをもらうのが、リフレッシュに最適です。しかし、そこは、子供のために変則の休みをもらうことで解決していただけばいいと思います。日曜日1日と平日の午後を2回、とか、日曜は全職員、平日は交代で休むなどという方法が考えられます。

 午後学校から帰った子供が、塾で学校と同じことをしていたのでは意味がありません。思いきりリフレッシュする必要があります。そこで必要なのは「原っぱ」です。それが提案bです。

 原っぱには、不思議がたくさんあります。原っぱには自由の風が吹いています。距離やゴールなどを気にすることなく走りまわり,虫と遊び、基地をつくり、大声で騒ぐ。今の大人はみんな、こんな時間を過ごして大きくなったでしょう。今の子供には,子供の特権であるこんなささやかな幸せさえ与えられていないのです。

 必要なのは整備された公園ではありません。整備された公園は,人間の限界というデザインでできています。人間にとって,人間の限界がおもしろいわけありません。自然の中には、まだまだわけのわからないことがいっぱいあります。子供時代にそんな自然のわけのわからない姿に出会えば,誰だって科学が好きになります。

 子供達の理科離れを心配して,生活科や総合学習でなんとかしようと考えている人は,自分が子供だった頃を忘れているとしか思えません。かつて、大人に守られた囲いの中で自然の不思議に出会った子供がこの国にいたと思いますか。いくら新しい教科を作っても、それは大人の柵の中のものでしかありません。大人から解き放たれた自由と危険の中で出会う自然の不思議にこそ魅力があるのです。子供達には整備された公園や教科はいりません。原っぱや海岸や森が必要なのです。

 cはさらに実現不可能でしょう。しかし、これが最も大切な改革ではないかと子供達を20年間見てきて,思うのは私だけではないと思います。

 学習における子供達の差は,ほとんどの場合、脳の発達時間の差です。生まれてから10年経った子供の脳が、すべて10年分の発達をきっちりしているかというとそうではありません。発達スピードが少し速くて11年目の脳になっている子もいれば、少し遅くてまだ、8年目の坂を登っている最中の子もいます。 できる,できないというのは,脳の質の差ではなく,時間の差だと私は感じています。

 しかし、今の制度と常識では、この世に生きた年数だけで子供を計るので、10年生きた子は,誰もみんな10年目の学習をしなければなりません。8年目の坂道を登っている子には、これは酷な話なのです。

 たとえば、小さな頃からずっと算数ができないといわれてきた5年生に3年生の問題をやらせると、すらすら解けることが多いのをご存知でしょうか。そして、すらすら解ける自分を見て、「算数ってこんなに面白いんだね。」という子の顔をご覧になったことがあるでしょうか。

 もし,この子が,3年生の教科書からやりなおすことを許されるならば、この子の学習観は180度変わるでしょう。勉強が面白くなると,今までゆったりとした傾斜の坂しか登れないと誰もが(本人さえ)思っていた子が,突然急な傾斜の坂を登り始めることも可能です。芸能人の片岡鶴太郎さんの中学校時代のエピソードはマスコミにも取り上げられました。私のクラスでも,「自分はできない」と宣言して、友達に素直に教えてもらいに行けるようになった子が,どんどん力を伸ばしています。
 落第してもできるところからやり直せばいい、という常識ができあがれば、日本人一人一人の能力は確実に向上します。

 日本には石油のような資源がありません。日本にある資源は,優秀な脳とやさしい心です。でもそれに気づいている人が少なすぎます。その資源を磨いて地球のために役立て,日本という国を本当の意味で守ろうという人はいったい何人いるのでしょう。さらにその中で,本当の育て方に気づいている人が何人いるのでしょう。

 もちろん私より真剣に教育を考えている人は、この国に何百万人もいるでしょう。私の考えが最高だとうぬぼれるつもりもありません。ただ不安なのは,手遅れになってしまわないかということです。

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