ホテルセンチュリー静岡 エッセーコンテスト 優秀賞
突然で驚くかもしれないけれど、いや、驚くに違いないけど、今、ホテルセンチュリー静岡を一週間予約してきた。
もうすぐ、君と出会って、ちょうど三十年目の三月三十日がやってくる。今まで大変な思いをさせるばかりで、何もしてやれなかったから、思い切ってこんな計画を立ててみた。
初めて会ったのは、三十年前の三月三十日。静岡市役所だったね。
二人とも大学を出て、初めて就職をし、静岡市の同じ小学校に採用された。
あの日大勢の新規採用教員がいたのに、この小学校に赴任するのは僕と君だけ。
それがそのまま一生のパートナーになった。
「運命だよ」なんて、友達に言われると照れる。
最初の五年間は、仕事に慣れるのに必死だった。
今思うと、君も僕も、毎日わけもわからず右往左往してたね。
それが三十年経った今も、この仕事を続けられていられるのは、いろいろな人がやさしく根気よく指導してくれたおかげだと思う。
この一週間の宿泊の最初の夜は、就職一年目の時の君の主任Fさんと、僕の主任Mさんを食事に招待しようと思う。
お二人とも、いくつになられたかなあ。
「日本料理 花凜」でゆっくりお話を聞かせてもらおう。
お二人とも意外にお酒は強そうだよ。
あの頃の僕たちの失敗ばかりの仕事話がたくさん出てきそうなのは、ちょっと恥ずかしいけどね。
三十年のうちの次の五年間は、本当に幸せなことばかり続いた。
君と結婚し、娘と息子が産まれた。
君には、子育てと仕事の両立を押し付け、僕はのんきに、幸せだなあと思いながら生きていたような気がする。
今さら、だけど、結婚してくれてありがとう。
二人を産んでくれてありがとう。
子どもたち二人が順調に育ってくれたのは、もちろん、君ががんばってくれたからだけど、僕の両親、君のお母さん、そして、隣りの家のまあちゃんが支えてくれたのは、忘れてはいけないね。
二日目の夜は、みんなと「鉄板焼 けやき」で食事しよう。お年寄りに肉は合わないって思ってたけど、年をとるほど、適量の良質な肉を食べるのは大事なことだと聞いたよ。
このお店なら、父たちの胃にもやさしい良質なものをいただけるだろう。
僕たちの親孝行は、まだまだ足りないから、みんなに長生きしてほしいね。
次の五年、僕たち家族にとって、最大の出来事が始まった。
治す方法がない病気だなんて、どうして僕たちの娘だけがこんなひどい目に会うのだと、神様をうらんだよ。
君は悲しみに必死に耐えてがんばっていてくれたけど、僕は心の中で、こんなに悲しくて苦しい日々が続くなら、みんなで死んでしまってもいい、とさえ思っていた。
静岡県患者家族の会のみなさんが、僕たちを支えてくれなかったら、今頃どうなっていただろうと、つくづく思う。
娘と同じ病気と闘い続けている「先輩」のみなさんは、本当にやさしかった。
娘もみなさんにかわいがられて、とても幸せそうだった。
娘の病気は悲しくて、大変で、果てしがなく、本人は一生抱えて生きていくのだけれど、僕は娘と患者の会のみなさんのおかげで、人生の大事なことをたくさん教わったよ。
数年後、柄にもなく会の事務局のお手伝いをしたのは、発症したばかりの頃みなさんからいただいたやさしい心を、あとから発症して会に入ってくる人たちに伝えたかったからなんだ。
三日目の夜は、「中国料理 翡翠宮」に、みなさんに来てもらおう。医療キャンプの時のように、みんなでわいわい食事ができたらいいなあ。
できるだけたくさんの人に連絡するから、この日は貸切になるかも。
本当のことを言うと、僕は教員になるつもりは全然なかった。
やりたいのは歌をつくることで、教員は食べていくためにしかたなく就いた仕事だった。
でも、二十年経って、やっと気づいたんだ。
こうして歌を作り続けていられるのは、毎日素敵な子供たちといっしょに生きてきたからだって。
僕の歌を喜んで歌ってくれる人、応援してくれる人がいるのは、教員という仕事をきちんとしてきたからだって。
僕が作った歌を彼らが一所懸命歌ってくれて、それをインターネットを通して何万人もの人が聴いてくれている。
君の教え子も、いつも年賀状や暑中見舞いをたくさんくれる。お互い、がんばってきてよかったね。
四日目の夜は、僕の教え子と君の教え子に声をかけてみようよ。何人くらい来てくれるかなあ。
会場は「レストランブッフェ・ダイニング ラ フルール」で、いいよね。
いちばん大きい「子」は、もう四十歳近いね。
二十代もたくさんいるから、ばりばり食べさせよう。
シェフが忙しすぎて困ってしまうくらいに。
五日目は、友達とゆっくり語り合おう。
君を遠くからずっと支えてくれているSさんとTさんには、もう連絡してあるよ。
静岡に来てくれるそうだ。
昼間はみんなで海を見に行こう。
富士山が見えたら、二人とも喜んでくれるね。
夕方から、僕のバンドのメンバー、H君とT君が来てくれる。
大学を卒業すると同時に音楽をやめて、教員の仕事を始めたけれど、H君とT君のおかげで、僕は歌を作り続け、ライブもできるようになった。
SさんもTさんもH君もT君も、僕たちの人生にはかけがえのない友達なのに、思い返してみると、ゆっくりと語り合う時間がこの三十年なかったね。
それぞれの親友が、この夜初めて会って、これを機会に仲良くなってくれるのは、とってもうれしい。
場所は、「バー&ラウンジ エマイユ」がいいね。
こんなに夜景のきれいな所で、語り始めたら、朝まで眠れないかも。
親友たちの部屋もとっておかなくちゃ。
六日目は、僕もどきどきしてる。
子どもたちが、それぞれ、ボーイフレンドとガールフレンドを連れてくることになっているんだ。
もう二人とも成人しているんだから、こんなことにびっくりしてはいけないけど、こうして正式に顔を見せてもらうのは、初めてだね。
せっかくホテルに集まるから、二人ともホテルのブライダルの説明を聞きたいと言ってた。
まあ、どんな彼や彼女でも、かまわないけど、二人にはほんとうに幸せになってほしい。
三十年間、ありがとう。
これから先の三十年も、僕といっしょに歩いてほしい。
七日目、最後の夜は、ちょっと贅沢をして、ルームサービスを頼んで、部屋で二人だけの食事をしよう。
窓からは、この街が、ずっと遠くまで見渡せる。
この街で出会って、ほんとうによかったね。
出会った人が君で、僕は、すごく幸せだよ。
じゃあ、これからの三十年に、乾杯。
待ち合わせに遅れた時間 ゆるやかにとりもどせそうなホテルのロビー
厳かな二人の誓いに贈られる ホテルクルーのやさしき笑顔
晴れの日に はしゃぎ走りて転ぶ子を救う ホテルの厚き絨毯
巣立つ子を祝うホテルのレストラン 家族の時代に名残惜しんで
夕景を映すホテルの高き窓 過ぎし日重ね 二人見上げる
人気なきエントランスに 明け染めし朝のホテルの息吹き感じて
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