電光掲示板に今日のニュースが流れ出す
じっと見ているともどかしいのに
ふと目をそらすと大事な部分が欠けてしまう
何時? 何歳? 何回?
たぶん自分とはほとんど無縁なニュースの
どうでもいいようなディテールなのに
もう一度テロップがもどってくるまで
一信号やりすごしてもいいという誘惑が肩に手をかける
じっと合わせているともどかしいのに
自分のペースでやろうとすると
どこかが欠けて取り残されるようでこわい
自分はこんな生き方をしているのだと
毎日通っているはずの交差点で気がつく
他の人はどうなのだろう
と、それを気にすることも
自分の生き方の象徴なのだと思い知る
「現金強奪」の後、「降水確率」が流れる
明日の殺人確率が流れないだけ
まだ、この国は救われている
人生について悩むことのできる私も
この国に生まれて
まだ、救われている