家族ファン化20年計画


 この3月で、結婚20年になります。

とうとう今年、家族全員を小田さんのファンにすることに成功しました。



 18才の時にアルバム『ワインの匂い』を聴いて以来、小田さんのメロディ(特に『愛の唄』を聴いて「世の中にこんな美しいメロディがあるのか」と感動しました)に心を奪われてからは、一日一回はオフコースの曲を聴かなければ気が済まなかった私ですが、出会った当初、妻は全くオフコースには関心がありませんでした。



 デートの車の中では、当然、オフコースの曲ばかり。

『ジャンクション』をセットしては、横浜や葉山に出かけました。

結婚式の披露宴のBGMはもちろん、全部オフコース。・・・いい曲がたくさんあるね。

そうは言うものの、妻にとってオフコースは、多くのアーティストのうちの一人でしかありませんでした。

コンサートも私一人で行っていました。



 やがて、娘、息子と子宝に恵まれました。

胎教の音楽はもちろんオフコース。

クラシックを聴かせるとおなかの中で暴れていた二人も、小田さんの歌を聴かせるとおとなしくなります。

生まれてからも、小田さんの歌をシャワーのように浴びせました。

しかし、「お父さんは、小田さんが好きだねえ」という家族の雰囲気はなかなか変わりませんでした。



 そして2000年。『個人主義』の「忘れてた思い出のように」にとても感動した私は、無理に妻をコンサートに連れて行くことにしました。

この日を境に、妻の態度が変わりました。

・・・小田さんに関するものなら何でも買っていいよ。昔のアルバム、全部聴かせて。私もカフェに行きたい。・・・

もっと早く連れて行けばよかった。

小田さんが、ライブでもレコードと同じように歌がうまかったこと、おしゃべりが予想以上におもしろかったことが決め手となったようです。

とにかく小田さんはかっこいい、ということになったようです。



 さらに2002年。

今年のコンサートは高校3年の娘と中学2年の息子も一緒です。

ステージ上の席の抽選に間に合わせるために、二人とも学校を早退させました。

夢中になっているサッカーの練習ができず、息子は不満顔です。

気になって1曲目の「マイホームタウン」が終わった時、「どう?」と聴くと、息子の目は、もうステージに釘付けで「すごい」と一言。



 後日、偶然、車の中に流れた鈴木雅之さんの「別れの街」を初めて聴いた息子が、「この曲、小田さんの作る曲みたい。」と言った時には、「20年間の努力の成果だ」と思わず言ってしまいました。



 この記念すべき年に、初めて同じツアーを2回観る、しかも1本は、ツアー最終日という幸運にも恵まれました。

「小田さん、まだ調子が悪そうだから、アンコールの拍手をするのはやめようね」と妻と話しながら、それでも会場を去りがたく、ほとんど人のいなくなった客席で、スタッフのみなさんが片づけをするのを見ていました。

プレスで、この日、小田さんが、もう一回ステージに出てもいいかなと思いながら袖の所にいたということを知り、アンコールの拍手をすればよかったと悔やんでいます。



 クリスマスの約束を家族で見ながら、「来年は、全部男性客にして、男臭いクリスマスの約束をやってくれないかなあ。」と言ったら、独り占めにしようとしてる、と妻に怒られました。



 4月から、娘が進学のために家を離れ、これまでの家族の暮らしはなくなりますが、小田さんのコンサートには、また、4人そろって行きたいと思います。





                         掲載 『FAR EAST CAFE PRESS(小田和正ファンクラブ会報) Vol.149 2003.3』



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