たんぽぽ母親クラブ総会での体験発表原稿

体験発表原稿(2005/5/10)

私の息子、富士夫は頭蓋骨縫合早期癒合症による知的運動発達遅滞です。
左側の頭蓋骨が早く閉じてしまった為に、脳が大きくなる過程で支障があり、
また左の顔面骨などにも発達不全が及んでいます。
現在、小学校4年生、あかしや学園から藤枝養護学校に進み、今年は一年間
の期限で駿遠学園に入所して、日常生活訓練をしながら藤枝養護学校の
駿遠分教室に通っています。

今日は体験発表という事で、まず富士夫の生い立ちから述べたいと思います。

1995/11/15出生、陣痛の前に破水がきたり、予定日より3週間ほど早かったものの、
これといった問題はなく、産まれてきました。出生後5日目から一週間ほど黄疸の為
にNICUに入りましたが、その後は普通に育っていました。しいて言えば、抱っこが
あまり好きでなかった事に多少の違和感を感じましたが、どちらかというとおとな
しくて手のかからない子でした。
1歳を過ぎた頃から、少しずつ遅れが目立ちはじめ、2歳になっても言葉もほとんど
出なかったので、市の保健センターのつばめっ子教室という療育グループに通い始め
ました。この頃はしばしば喘息などで体調を崩したりして、入院や通院なども多く、
また発達の事や斜視などでの通院も始まってきて、なかなか継続して通えませんでした。
が、やはりつばめっ子教室でも、他の子達よりかなり遅れているなぁと実感しました。
何回目かのつばめっ子の時にあかしや学園の先生がいらしてて、週1回の母子通園
から始め、3歳になってすぐに、空きができたという事で入園しました。

あかしやに通いだしてから少し経った頃、斜視で行ったこども病院の眼科で「頭が
斜め」という指摘をうけ、脳外科に紹介して頂き、頭蓋骨の先天異常がわかりました。
脳外科の先生に頭蓋骨を組み直して、脳が成長できる空間を作る手術を勧められ、
「年齢が高いので、手術をして知的な遅れがなくなるとは言えない。でも、今以下に
なる事はないよ。」と言う事で、悩みましたが、可能性に期待して手術をお願いしました。
頭蓋骨縫合早期癒合症という病気自体は、出生後早く手術をすれば、問題なく成長
する可能性が高いらしく、「一側性であった為に変形がわかりにくく発見が遅れた
のもしょうがないよ。」と主治医の先生に言って頂きましたが、親がもう少し気を
遣っていれば、と悔やまれてしょうがありませんでした。

頭の手術という事で大変な手術だとは、覚悟していましたが、術後の富士夫の姿を見た
ときには、頭や、鼻や、口からチューブ、体中に点滴をして、抑制も体ごと固定されて
いる感じで、さすがに胸が痛くなりました。しばらくは顔もどんどん腫れて目もあけら
れず、ストレスの為、胃に入れた管からごぼごぼと血を吐いている様子を見たときには、
「本当に手術して富士夫の為によかったのだろうか?」と思ってしまいました。

しかしその後は順調に回復し、1ヶ月半ほどで無事退院できました。退院からヘルメット
をつけての生活になったものの、この頃は何をするにも頭をぶつけないように、おっかな
びっくりだった事を思い出します。ヘルメットは小学校入学直前までつけていました。

ちなみに、富士夫が入院している間に頭蓋骨縫合早期癒合症について、インターネット
などで調べましたが、その頃は殆ど情報がなく、自分で富士夫の入院日記などをのせた
ホームページを作りました。このホームページは最近ではあまり更新していませんが、
ありがたい事に、未だに、子供が頭蓋骨縫合早期癒合症診断を受けた親御さんなどに、
掲示板を含め利用してもらっています。

それはさておき、幸いな事に、その後の富士夫の発達は、手術のおかげか、あかしや
での集団生活のおかげか、目覚しいものがありました。今では、しゃべれなかった事が
嘘の様に、一日中しゃべりたおしています。とはいえ、5歳の時に斜視の手術をしたり、
8歳の時に睡眠時の呼吸改善の為に口蓋扁桃摘出したり、などこれからも病院とは当分
縁が切れそうにはありません。が、富士夫なりに一歩一歩成長しており、母としても、
心配し過ぎず、期待しすぎず、でも可能性を信じてこれからも過ごしていきたいと思って
います。

富士夫も将来成人したら、普通の子供の様に家を出て、昼間は自分ができる事をして
ほしい。夜はグループホームなどで自己決定ができる生活をして欲しい。身の回りの
事等もできる事はがんばり、また余暇も楽しめる様な、そんな普通の生活がして欲しい、
と思います。そんな訳で、私も、富士夫と家族以外の人との触れ合いを求めて、障害児の
学童保育設置のお願いをお手伝いしたり、余暇活動のサークルで活動したりしています。
幸い、障害児学童保育は「ルピナス」という形で実現しました。実際「ルピナス」での
子供たちの成長は目をみはるものがありましたし、本当にありがたく思っています。
が、今のところ小学校を卒業するまでという事で、またその先の事も考え始めなければ
いけません。

とりあえず今年は、親元を離れ、駿遠学園で日常生活訓練という新たな試みに、親子で
挑戦しています。

今、福祉の流れも施設生活から在宅生活へと大きく変換しているようです。とても歓迎
できる事、というより、当然そうなるべきだとは思いますが、富士夫の為にも、自分の
豊かな老後の為にも、私達母はずっと勉強しつづけ、活動し続けなければいけない事を
思うと、ちょっとくらくらする事もあります。幸い私は良い仲間に巡り合えて、今まで
自分なりに頑張ってこれたと思います。これからも、友達の母たちや、たんぽぽなどで
巡り合う先輩のお母さん達と手を取り合って、富士夫と共に成長していけたらと思います。

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