第4回・快進撃 |
今でこそ私の周りには上手なエスプレイヤーさんがいたりするのだが、当時はまわりにやってる人がいなくて、たまに自分より出来る人がいると「すごい!」とか心底思ったものだった。 今にしてみれば、このゲームをノーミスクリアできる人間がいるということなど、この頃は思いもよらなかった。 ・・・さて、そんなわけでそこに現れた人物のPLAYをじっくり見物させてもらう。 自分とはまるで違う戦法に目からウロコ気分だった。 ・・・これだ! うまく言葉にはできないが、そのとき確かに何かが見えた。 その次の日から、私の猛攻が始まった。 手始めに、なんとか5面進出を果たし、この頃から「16倍」というものを意識し始める。途中、16倍にこだわりすぎて全くPLAY出来ない時期もあったが、なんとか克服、やり始めてから1ヶ月近くたった1999年の3月には、最終面まで行くのが当たり前、くらいにはなっていた。 ・・・当時のスコアをつけたメモ帳がある。 3月15日:J-B/6422050 3月16日:祐介/5762690 3月19日:祐介/6577500 3月21日:祐介/7856700 4月1日:祐介/8196920 こんな感じで少しづつだが伸びてきているのがわかる。 このあたりからは、4面ボスをノーミスクリアしただのノーバリアだの、ラスボスのゲージがあとどれくらいだったとか、攻略面に目を向けつつあるのがうかがえた。 どうでもいい話だが、そのスコアの間に友人の電話番号や、誰某がさくらんぼの茎(?)を7秒で結んだとか、まるで関係のないことも記入されていたが、とにかくあくまで生活の1部的な流れでやっていたらしい。 そして、5月9日。 「相模祐介」で10146890点というのを最後に、このメモ帳にスコアが記入されることはなくなった。もっとも、これ以上の点を出したりしたことはもちろん何度かある。 だが、私の中では何か完結したのだろう。クリアに専念しようと思ったのかも知れないし、面倒くさくなってしまったのかも知れない。 実際に私がこのゲームをクリアしたのは、これから約3週間後、5月の最後の日だった。 |
第3回・戦いは始まった |
そんなこんなで私のゲーセン通いがスタートしたわけだが、いかんせん、これまでシューティングゲームはたくさんやりこんできたつもりだったがその考えはてんで甘かったことを知る。 主に好んでやってきたシューティングの系統とそれがだいぶ違う、というのもあったかもしれない。もちろん、数年のブランクも。 ・・・だが、そんなものが障害となるのははじめのうちだけで、しばらくやりこめばそれなりに出来るようになってくるのが常であったし、今回もそうであるかとはじめは思った。 だが、これはどういうことか。 毎日仕事帰りによって2〜3クレジットくらいつぎ込んでいたが、相も変わらず3面ボス止まりであった。 はじめはやはりというか「J−B 5th」を使っていたのだが、こうして必死にやりこむうち、そのゲーセンの彼女と一緒に(つまり2人PLAY)やることもあって、「相模祐介」・・・そう、後に運命の(オーバー)自キャラとなる17歳のバレー部員を使うことが増えていった。 さてそんなこんなで「相模祐介」と私のシンクロ率UP大作戦はスタートして、やがてボチボチ4面へと突入する確率がぐんと上がってきた。 当時私はその2人PLAYの影響で、2P側でないとなんとなく調子が悪いことが多かったように思えるのだが、それより重大だったのが、「2・3面にどの面が出てくるか」であった。 ESPプレイヤーの間では常識であったのかも知れないが、キャラ選択時にどのボタンを押すのかによってルートが決まる、という法則があるわけだが、当然ゲーメストも読んでいない私がそれを知るわけもなく、「何故なんだ〜!!」と絶叫する日々が続いていた・・・。 しかしそんな矢先、私にとって救世主、とも呼べる人物(当時は・・・)が現れる。 その彼は私が死ぬ気でPLAYしているそれを、いともたやすく潜り抜けていくのである! 「何者!?」 そのときの私は、まさに“目からウロコ”状態であった。 私のESP RA.DE.ライフはここから大きく変化していくことになるのだった・・・。 |
第2回・再会! そして・・・ |
かくして「エスプレイド」というゲームと邂逅した私でしたが、再びこのゲームとあいまみえることはずっとなかった。 しかし、奇跡は起こった。それは、出会ってから半年が過ぎ去った1999年の冬のことでした。もう2度と見かけることはないのかもしれないな・・・とあきらめていたころのこと。 「ねえ、M(仮名・SIGのこと)ちゃん。去年の夏にMちゃんが大はしゃぎしてやってたゲーム、覚えてる?」 ちょうどゲームセンターで働き出したばかりのその彼女こそ、私が「エスプレイド」と出会うきっかけを作った人物なのであった。 「ああ、あの少年型ロボ(くどいようですが私の思い込みです)が空飛んでるシューティング・・・」 懐かしい、もはや、ゲーム画面がおぼろげに浮かぶだけになっていたそれは、私にとってそのときとても意外なものに思えたのです。なぜなら、そのゲームのことを自分はもちろん、他人が口にするなど思いもよらなかったから。 「あのゲームねえ、私の勤め先にあったよ」 「はいぃ!?」 私はとっさに彼女のむなぐらをつかんで、締め上げました(ヒドイ)。 話を聞いてみると、私がロボだと思ったものは、なんと洗脳ロシア美少年(14才)であったこと、「ヤツは人間だったのか!(ガビーン)」そして名前がなんとかフィフスということ、「え! なんとかファイブじゃないの!?」ヘソ出し半ズボン(笑)という格好ということ、などなど。 ゲーメストにも設定が載っていたとのことで(私が見たときはもう遅かった、ということです)私はそのゲームセンターに足を運ぶことを決意したのでした。 そのゲームセンターは、以前CDショップだったところで、大変品揃えが良く私も気に入ってよく行っていました。しかし店が移転するとのことで閉店、その後このゲームセンターになったのですが、そうなったとき、私は「もうこの場所に来ることもあるまい・・・」と思いました。よりにもよってゲームセンター(この時点で私がアーケードゲームから離れてかなりの月日が経っていました)、しかもちらと中を見たところ、女性やパンピーな方がとても入れる雰囲気ではありませんでした。 そういった理由から、このゲームセンターに赴くのにはかなりの抵抗がありました。しかし、「昔はひとりでゲーセン通いしてたじゃないか!」と勇気を奮って店内へ! ・・・うっわ! なんすかこの昔風のゲーセンは!!(失礼) よもや今時こんな本当にコアなゲーマーしか来なさそうなゲーセンが存在していたとは!(最近のゲーセンは皆“あみゅ〜ずめんと・ほ〜る”みたいなカンジなのかと思っていたのです、だってけっこう一般的になってきてたみたいだし・・・)一瞬足が回れ右しそうになって、自分を叱咤。「がんばれ自分! 耐えるのよ!?」やっとの思いでカウンターへ。・・・なんか、周りのお客さんたちがこっち見てる〜!(ような気がする)そんなに珍しいん?(汗) とりあえず店員の彼女にあいさつして、50円玉を握って筐体の前へ。 ついに再会を果たすことが出来た! 私のココロは今にも踊りだしそうにはずんでいました。・・・この先の苦難の道のりも知らずに・・・・・・。 そう、この時の私は、このゲームで人生の軌道が大きく変わろうとしているなど、思いもよらなかったのです。 世間は、もうじきバレンタイン・・・そんな冬のウィークエンドの朝でした。 |
第1回・出会い変 |
あれは・・・そう、1998年の夏だった。 とある人に連れられ、私はアミューズメントホール(?)に来ていた。 もう何年もゲーセンなどというところへ行っていなかった私にとってそこにあるアーケードゲームは皆新鮮な驚きを私にくれた。 ふと、そのとき1台の筐体が目にとまった。・・・なんだこりゃ!? 人が空飛んでるよ〜!! ・・・と、とにかく驚いた。 そもそも私がゲーセンに行かなくなったのは、「良質のシューティングゲームがない」からである。東亜プランは倒産してしまったし、私がゲーム好きになるきっかけを作ってくれたアイレムもアーケードゲームから手を引き(いったいいつの話をしているんだ)・・・以下略。そんなわけで長らく(R−TYPE LEO以降)シューティングゲームなんぞやっていなかったので、とつぜん目の前に現れたこのゲームは強烈だった。 ・・・さて、そんなわけで100円玉をにぎりしめた私は、イスに座りインストカードをじっと見てみる。 プレイヤーキャラは3人。・・・さいきんのシューティングはみんなこうなのか? せいぜい1P・2Pの色違いじゃないのか(だからいつの話だ)。とりあえず・・・うん、真ん中のアンドロイドくさい奴(J−Bのことらしい・・・)にしよう。上の男と下のおなごは却下ね(ヒドイ)。 チャリン、ポチっとな。・・・うわっ、なんか人瞬殺してるよコイツ! そしてビーム。コイツ人間じゃねえ!! ロボだ、ロボ! 操作方法全然わかんない・・・地上弾ってどれ!?(注:このゲームにそんなものはありません。縦シューには地上弾がある、という私の思い込みです)(くどいようだが以下略)ボスと思しきやたらデカいメカに敗退・・・うわ〜、ムズ! でもこのゲームなんかスゲエ!! 今思えば最初にゲーム画面が目に入ったときすでに私はこの恐るべきESPマジック(笑)のとりこになっていたのでしょう。 しかし、出不精な私はこの施設がどこにあるのかわかっていなかったのでこの先約半年間心の片隅でこのゲームのことを気にしつつ、「人が空飛んでるなんかスゴいシューティング」、「なんとかファイブ(J−Bのことらしい。超マチガイ)とかいう少年型ロボ(これもマチガイ)がいる」という妙な覚え方をしていたのでした。 |