本文へジャンプ
静岡市は、今川時代と徳川期と二つの時代の貴重な文化遺産をもつ町です。


しかし、この遺産を保存し公開する本格的な博物館施設はありません。




そこで、声を大きくして歴史資料館の開設を訴えるために、関連する論文や新聞記事を紹介し実現の一助とします。



「県立歴史資料館を考える会」が発足
実現へ第一歩、「県立の総合博物館を考える県民の会」が発足

平成11年11月6日(土)静岡市内で「県立の総合博物館を考える県民の会」の設立総会が開かれ規約・役員などが決まった。

会長 向坂鋼ニ氏
副会長 本多隆成氏
副会長 山本義彦氏
副会長 日比野秀男氏

その他、県民の会では、運営委員30名を決め、会員の募集をはじめ「県立総合博物館」実現に向け具体的な活動と運動をすることになった。 

「県民の会」では、県立総合博物館構想に関心を持つ人々の参加を呼びかけている。年会費は当面、年千円でスタートすることになった。

問い合わせ先:静岡市大谷836 静岡大学人文学部 橋本研究室
 TEL:054(238)4544

人文系・自然系の県立博物館が無いのは静岡県だけ
県立の総合博物館を考える会の設立へ


静岡県考古学会、静岡県地域史研究会、静岡県近代史研究会、静岡県民俗学会は、13年間におよぶ静岡県史編さん事業で収集した資料の保存で「歴史文化情報センター」の設置を要望し小規模ながら、センターは実現した。

しかし会で調査したところ「人文系・自然系の県立博物館が無いのは静岡県だけと分かる」など課題は多いとして、1999年5月23日、4学会の会合を開き「静岡県歴史文化情報センターを発展させ、更に多様な機能を有する県立の総合博物館の設立が必要」とし、「県立の総合博物館を考える県民の会」を、今秋までに設立し多方面の意見を聞いて実現に向け運動することになった。

中川羊一郎氏、山本義彦氏、向坂鋼ニ氏、本多隆成氏

設立総会は、平成11年11月6日(土)、静岡市内を予定している。

静岡県ではすでに、自然系の博物館構想があり、今回の4学会は人文歴史系が中心であるところから双方の兼ね合い、それに、静岡市の総合歴史博物館建設構想との整合性など関係者が重なるだけに、県民レベルの十分な論議がのぞまれる。

総合歴史博物館建設の検討委が発足

静岡市教育委員会は、平成11年3月末、総合歴史博物館建設に向け学識経験者らによる「基本構想検討委員会」を発足させた。この検討委員会では、2年間をかけ「歴史資料、学校・社会教育とのかかわり、博物館の役割、機能など」基本的方向づけを検討する。

静岡市の総合歴史博物館づくりは、昭和50年代からあったが実現されなかった。11年度からスタートした「第八次静岡市総合計画」に、平成15年度までに構想策定が明記され、基本構想検討委員会の発足となった。基本構想は、12年度中にまとめられる。


歴史博物館の建設は重要課題

「静岡市議会平成10年度11月定例会の市議会だより」より転載

【質問】静岡市は、登呂遺跡こ代表さ れる弥生時代から、今川氏・徳川氏 の時代を経て現在に至るまで、全国 に誇れる輝かしい歴史を有している。
この歴史を一堂に集約し、後世に伝 えるための総合歴史博物館について、 その必要性をどう考えるか。

【回答】静岡市の現在に至るまでの歴 史を体系化し、生涯学習など様々な 立場から活用を図る歴史情報センタ ーとしての「静岡市総合歴史博物館」 の建設は、重要課題の一つであると 認識している。
現在、基礎資料の調 査や資料収集を進めており、今年度 中に有識者からなる検討委員会を発 足する予定である。

総合歴史博物館設置を市長に要望

静岡市文化財協会(松永伍市会長)は、平成10年6月16日、静岡市の小嶋市長に対し静岡市に総合歴史博物館を設置してほしいとかねてからの構想を要望書にして提出した。
松永会長によれば
静岡市は、徳川時代の駿府城、弥生時代の登呂遺跡などの目玉商品を持っている。NHKの大河ドラマ「徳川慶喜」で市民レベルの見直し機運が盛り上がっている。また2年後には、徳川三代の大河ドラマが構想されていると聞いている。
この機会に、総合歴史博物館を実現させねばと思い、静岡市文化財協会として要望書をだしたという。

これに対して小嶋市長の回答は松永会長によれば次の通りである。

「問題は設置場所だ。決まれば専門家で構想委員会をつくればいい。NHKのことは、本決まりになれば東静岡駅付近に「パピリオン」を検討したい。」

また、松永会長は

「設置場所は、駿府城が望ましい。ここは単なる都市公園でなく史跡文化財として位置付けたい。天守の問題はいろいろあるが一個人、一団体の仕事でなく、じっくりと全市民レベルでやりたい」という。
(静岡市文化財協会:静岡市宮ヶ崎町102、静岡市文化財資料館内、松永伍市会長)

いずれにしても、総合的な歴史資料館の設置は、「先送り」せず、優柔ふだんな行政姿勢でなく本格的に取り組んでほしいものだ。
天守問題は、政治がらみでくすぶりつづけている。
しかし、5年間かけて調査した「駿府城関連資料調査」は前向きな姿勢の発表が望まれる。

静岡県史編纂事業を継承、情報センター開設へ

(静岡新聞、平成10年2月8日掲載より引用)

 県史編纂事業が本年度で完了するのを受けて新年度以降の関係事業や推進体制について検討してきた県と県教育委員会は、現在の県史編纂室を引き継ぎ「収集資料の保存・整理・公開に当たる「県歴史文化情報センター」を開設することを決めた。

当面はスタッフも数人規模の見通しで、研究機能の確保などの面でも課題は残るが、研究者らの強い設置要望の声が実ることになる。

 県史編纂事業は昭和六十年度にスター卜し、本年度末までには予定した通史編、資料編、別編など「県史」三十五巻すべての刊行が完了する。
この間に調査した古文書類などの資料は十六万点に上り、写真やコピー、ビデオなどで収集されている。
 「県歴史文化情報センター」は、こうした収集資料を保存・活用する機関とし構想され県教委の「新世紀教育計画」にも盛り込まれている。
だが、計画の詳細や時期はまったく決まっておらず、県や県教委の中には開設についての検討は将来にゆだね、当初の目的である「県史」の完了をもってひとまず県史関係の組織は解消すべきとの意見もあった。
これに対し、県近代史研究会(会長・山本義彦静岡大教授)や県民俗学会(代表理事・石川純一郎常葉短大教授)など県内の研究団体や学者らは、「県史編纂事業の成果を生かすためには不可欠の機関」と新年度からのスタートを要望していた。
県教委の基本構想策定委員会も「生涯学習の拠点とし整備を」などと早期設置を提言していた。


貧弱な静岡市歴史資料館

貧弱な歴史資料館、先人の遺産の保存と公開を
                   石久保義幸 発信・平成10年1月10日
静岡市は、中核市である。
1997年10月、中核市17市が静岡市に集まり「中核市サミット’97 in静岡」を開催し「地方分権の推進をうたった静岡宣言」を発した。

同じ10月、静岡浅間神社境内にある静岡市文化財資料館で、今川家菩提寺の「増善寺展」が開かれた。

改めて、同文化財資料館を訪れたところ、常設展示物の貧弱さと建物の狭さなどに驚いた。まるで「予算の少ない一寒村が、ある資料を適当に並べた資料室」といった現状だった。
これが、「中核市の大静岡市」の文化財資料館とは、とてもおもえない代物である。(市民として恥ずかしいので、写真は割愛する。)

静岡市は、先人の残した遺産が豊富にある町だ。・・・先史時代の登呂遺跡、今川時代の小京都といわれた駿府、大御所が隠居した駿府城など・・・・・・・(登呂遺跡は、再発掘が開始されたが・・・)
それらを、一堂に会した「新文化財資料館」が欲しいものだ。それは観光資源にもなる。

静岡県、静岡市が競い合って、同じような「箱物・文化施設」を林立させる現状の愚かさは恥ずかしい。

・・・・・「戦後デモクラシー」は、主として地方の利益、しかも公共事業に偏した経済的利益をを配分し文化、歴史という非物質的価値に、必ずしも目を向けていない。・・・・・我々が直面しているグローバリゼーションは、反面ローカリゼーションの再構築がベースになければならない。・・・・・・

次に静岡大学の山本義彦教授の論文(掲載、静岡新聞)とインタビュー(掲載、中日新聞)を引用して紹介する。

収集資料の保存と活用へ拠点施設を!!!散逸防止、研究継続は不可欠
〜県史編纂事業、本年度終了 〜

山本義彦氏(静岡大学教授・静岡県近代史研究会会長)
静岡新聞夕刊、平成9年11月20日の掲載より

 十三年間にわたる静岡県史編さん事業も、いよいよ本年度をもって終了する運びとなった。

この間、県史編さんの大事業は順調に進み、収集された緒資料は膨大なものとなっている。この事業を通じて、収集資料等の分析が進められる一万、静岡県史の刊行や県史講演会等の普及・広報活動によって、県内外に静岡県の歴史が紹介されるにつれ、各万面で県の歴史に対する興味・関心が高まりつつおる。

また、この事業を契機にして、県内各市町村においても自治体史の編さんが旺盛(おうせい)に進められてきている。いわば「県史効果」と言ってもよかろう。

4学会が県に要望

私たち県内四学会、静岡県考古学会、静岡県地域史研究会、静岡県近代史研究会、静岡県民俗学会の会員の多くは、この編さん事業に積極的にかかわって来た。

その立場から、私たちは県史編さんを直接の目的とする事業は終了しても、その過程で収集さ杓たぼう大な諸資料を引き継ぎ、保存と公開を行うとともに、静岡県関係資料の調査・研究をいっそう進めるために、総合的・多角的な歴史・文化施設(機関)を設置し、それを担いうる専門職を配置する」とが必要であると主張してきた。

しかもこれは全国的にあまりに当然の要望でもある。その点で、静岡県の『静岡県新世紀創造計画』であげられている新しい図書館や公文書館の機能や、県教育委員会の『新世紀教育計画』で提起された「歴史文化情報センタ−」設置への取り組みに重大な関心を払ってきた。

私たち四学会は、昨年五月に県知事、県議会議長、教育長に対して、この「歴史文化情報センター」の設置に強く期待をして要望書を提出した。
また、同年六月には、四学会共催で公開シンポジウム「富士の国の歴史と文化−1静岡県歴史文化情報センターをめざして」を開催し、静岡県史編さん収集資料の保存と公開、および調査・研究の継続の必要性を広く県民にも訴えた。

 このシンポジウムにおいては、阪神・淡路大震災を経験した神戸市立博物館学芸員から、東海大地震が予想される本県にとり、たいへん示唆的な講演があった。
 何のための研究かこうした取り組みを背景として、私たちは、県史編さん事業の終了とともに、ただちに「歴史文化情報センター」が設置されることあらためて要望してきた。

 そもそもこのような課題は公文書館や人文系博物館が果たすべきではあるが、これらは一切県では整備されていないのが現状である。したがって県史編さん収集資料の保存と公開、調査研究の継続が緊急の課題であると考え、次のように同機関設置に向けて具体的に提案をしたい。

 県史や市町村史といった地域住民の貴重な資源を活用して行われる事業の場合、何よりも歴史資料の散逸を防ぎ、将来の地域住民や行政の側が正しい歴史認識に基づいて行動していく上で、収集された資料の公開に便宜が供されることが必要不可欠であり、また日常的な行政資料を系統的に収集分析する任務を持つ情報センターや公文書館設置が構想されるべきであるう。

そうでなければ、県史のような多数の研究家と日時、経費を活用した事業を行う意義は半減するであろう。 
そればかりか、こうした事業はもしもその後の継承を停止することになると、今後数十年にわたって、再び県民の歴史文化を背景とした行動の基準を失いかねない。

私も県内各地の調査に加わった経験からして、せっかく地域住民の真重な資金を利用した地域史の調査研究活動が、その終了とともに集められていたはずの資料は散逸し、収集資料を活用してまとめられたであろう内容の継承と点検さえおぼつかなくなっている事例に枚挙のいとまもない。
これでは何のために行政が膨大な資源を活用した県や市町村の歴史を編さんしているのかさえ疑われよう。 

全国唯−施設なし

全国的にも静岡県は裕福な大県である。

しかし県が責任を持った文書保管組織や歴史資料館、博物舘のたぐいを一切持っていないと言う点では全国唯一になってしまっている。

特に県政では生涯学習や地域文化の時代と呼称されて久しいが、現状は歴史文化に関しては静岡県は著しく後進県と言うほかない。

 この汚名を早期に脱却する上で、私には、この十余年間に収集してきた歴史資料の活用を図り、また県内市町村、学校教育機関、公民館等とも連携しようという県教育委員会の資料センターの構想は最低で最少の経費による実現性の高い施策ではないかと確信している。

何よりも日々散逸し続ける歴史資料の保存と活用の県レベルでのセンターの設置が急がれるゆえんである。



新春インタビュー「静岡の文化」

新春インタビュー「開放的だが進取的でない静岡、「文化」貯えるとき」

山本義彦氏(静岡大学人文学部教授・静岡県史編さん専門委員)
中日新聞静岡版、平成10年1月7日の掲載より

<聞き手>浅川健次編集局長
「静岡県史」の編さん、いよいよ完成ですね。

<山本義彦氏>
 十三年前から始め、原始・古代から近現代と、これまでに三十三巻。残る「通史年表」と写真中心の「図説静岡県史」が三月中に出ます。
県費約二十億円。専門委員と臨時調査員、各市町村の調査協力員の計約四百人が、担当しました。
 でも、全国で「県史」がないのは奈良、山梨だけで静岡は、びりから三番目という後発ぶり。
それに集めた膨大な資料も、ひと所に収集し、見たい人が見られるように公開し、専門職員がいて相談するセンター、大きくいえば歴史民俗博物館のようなものがない。
全国ほとんどの都道府県に何らかの歴史資料館があるのに。工業生産額で全国五位、人口でも十位の大県である静岡に、そういう歴史に学ぶ”文化”がない。

<聞き手>
なぜでしょう?
各地の地誌や個人史は盛んだが、それらを掘り起こし、静岡固有の文化として総合していく思想風土が薄い?

<山本氏>
 はい。歴史を見ると静岡は、今川義元、徳川家康、賀茂真淵ら幕末の国学者たち。そして第一銀行をつくった渋沢栄一(埼玉県出身)もここで活躍。士族による牧の原茶畑の開墾を進めた関口隆吉(幕臣)も、茶、材木、ミカン産業と「温暖で貯蓄率の高い」静岡県の「非常な発展ぶり」を報告している。
”鉄道王国”といわれ、たとえば、昔は岡部−−>藤枝−−>相良へ線路が延びていた。これが新袋井−−>新三保の線とつながって当時、日本最長七十`を誇ったり。
林業家や製茶の資産家が投資して、路線をどんどん延ばしていったんです。
”金融王国”とも言われた。静岡銀行、スルガ銀行、清水銀行と一県に地方銀行が三つもというのはめったにない。 
全国的には貴族みたいな地位ですよ。これだけ(経済的な力が)そろったら、あとは文化に投資するはずなのに。
衣食足りて忘れちゃう?(笑い)。
<聞き手>
県民も「暮らしやすい」が「文化的」とは思っていないのでは?
歴史的にどんな背景が?
<山本氏>
 私も静岡が好きでもう二十四年、まだナゾです(笑い)。
あえて言うと、一つには、城下町が育たなかったこと。駿府は徳川幕府の隠居所で、目を江戸へ、お上へ、向けておればそれでよかった。
時にはお上に反抗してでもこの地の独自性を守る力が育たなかった。
浜松も元は家康の出世域、後は幕府直通の”新幹線大名”で、いずれも短い任期。文化治世を施す名君が出なかった。
掛川の山内一豊もむしろ土佐の高知へ行ってから有名になった人物。
二つ目は、ここに根付いた二宮金次郎の勤倹貯蓄の報徳運動。明治の農村に新しい殖産を興したが、経済的に豊かであることが文化的な豊かさを要求しなかった。
ため込まれた金は東京、大阪へ流れる。県内の預貯金額は貸し出し額よりいつも多い。
お金がよそへ回っている。それだけ豊かということか。農作物はよく育つし。
 三つ目は、東京−大阪間の通り道という回廊性ですね。高度成長期に全国で工場誘致に血道を上げたが、苫小牧(北海道)とかむつ(青森県)、熊本とかはあまり成功していない。
静岡は地の利がよくて工場が来る。
で、農家にも現金収入(兼業)の道がある。つまりいつも小銭には困らない。

<聞き手>
恵まれた地勢が、独自の文化にしがみつく必要を奪ってきたと?  

<山本氏>
でも、その農業も山林もどんどん破壊されてきているし、今までのような”海図なき航海”で二十一世紀の大海を渡って行けるか? 
近代日本の特許王が二人います。
豊田佐吉(湖西市出身)は日本を代表する産業革命期の技術者でしょう。彼は名古屋で活躍した。
森町出身の鈴木藤三郎も明治−大正期に東京で活躍。砂糖から糖蜜(みつ)を抽出する、乾燥してエキスまたは結晶化する、それに必要な機械を発明する−今の食品科学の基碇を築いた。カレールーや固形エキスは、藤三郎が原点ですね。でもほとんど知られていない。

他に山葉寅楠、本田宗一郎、高柳健次郎などと人物を輩出しています。

確かに、企業家精神を育てる風土が遠州にはある。
だが、文化には行かないんです。
これと非常に対照的なのが信州です。
穂高には国会開設嘆願書を日本で初めて出した自由民権家の松沢求策がいて、それが井口喜源治を経て大正期の自由主義的な信仰教育に受け継がれ、新宿の「中村屋」を始めた相馬愛蔵・黒光夫妻へ、次はロダンに学んだ彫刻家の荻原禄山(ロダン美術舘)へ、また戦時下の自由主義者清沢例へと−養蚕とソバの栽培くらいしかない地域に、文化が連綿と受け継がれている。
 信州は貧しくて労働移民が国外へ出たほど。また、生糸輸出のためにはニューヨーク市場の動向を知らないと生きていけなかった。
そういう学びへの関心というか、外への回路−これが進取の精神=文化をはぐくんだのでしょうか。一年の三分の一は雪でイロリを囲んで天下国家を論ずる風土もね。

 そこへいくと、静岡は米作、機織り、養蚕、縄ない、わら製品、切り干しイモと、一年中穫(と)れた。
忙しくて文化など語っている暇もなかった?(笑い)。
それに黙っていても東海道だ、新幹線だが通ってくれる回廊(廊下)だから、受け身でいい。開放的だが、ポジティブ(進取的)でなくていい。
「先生、何いっているんだ。そんなことないだに」と言われそうですがね(笑い)。
大企業だけでなく、中小企業の海外進出度は非常に高く、経済的には積極的、効率的です。
でも、いつも流れていて、そこに踏みとどまり、蓄えられるものがない。フロー(流れ)の文化というんですかね。
でも、世紀の大転換期のいま、ひとつ踏みとどまって、先人の築いた歴史をかみしめ、静岡型の息の長い文化のあり方を考えてみる時です。
そのポテンシャルは静岡に必ずあると思います。

(聞き手・浅川健次編集局長)


・・・・・・・・・
残念なことですが、歴史資料館構想は、現時点の平成24年8月でも、目鼻は立っていない。また大学の先生方による検討の会合も、解散が決まってから、歳月がたってしまった。・・・・・・・・・・・・・・・・


関連リンク: 歴史とロマンを探る夢出あい旅 サイバー五十三次しずおか創造ネット
copyright©あむるん企画