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「今川状」は、江戸時代の寺小屋で10万冊近くの空前のロング・ベスト セラーになった人生訓の教科書、習字の手本であった。
この「今川状」は、今川了俊(1325〜1420)が弟の今川仲秋に与えたものである。
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今川了俊の墓(袋井市堀越) |
今川了俊は、遠江今川氏の祖といわれ、今川家始祖範国の2男、2代範氏の弟で、遠江守護、歌人でもあった。
了俊の著作で「難太平記」がある。
「太平記」が南朝の立場で書かれたのに対し足利尊氏挙兵以来の今川氏の功績を述べたもの。
しかし、了俊の名を有名にしたのは、「今川大双紙」と「今川状」である。
「今川大双紙」は、弓馬の作法をはじめ、武人の礼式・作法を述べた故実書である。
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今川状 |
「今川状」の方は、いわゆる教訓・往来物であるが、応永十九年に了俊が弟の今川仲秋に与えたものである。 内容は、一読して明らかなように教訓的内容である。従って、習字の手本として、また内容から道徳の教材ともなった。
のちには、「今川」とさえいえば、この「今川状」をさすようになり、「今川」は教訓書の代名詞になったのである。
また「女今川」、「万民今川」などの類書も出版された。
武門としての今川家の家名は、いつしか忘れ去られていった。しかし今川の名は書物の中に残り、人々を導く「糧て」となった。
<引用文献:>
*「静岡市史(昭和56年12月発行)」
*静岡大百科辞典(静岡新聞社発行)
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