四国八十八ヶ所霊場めぐり

当初、日記形式の紀行文を作成しようと思っていましたが、遍路旅の中身、
季節、所要期間等、極似の紀行文がすでに存在しておりましたので、作成を
中止しました。私の遍路旅の詳細がどうであったかは、大村正俊氏の
定年万歳四国遍路
で代弁させていただきます。

比較項目 大村氏
定年退職 H9.6 H11.6
一番札所をスタート日 H9.10.3 H11.10.1
そえみみずへんろ道の登り口近くで、同じおばあちゃんからお接待を受けた日 H9.10.20 H11.10.19
結願日 H9.11.13 H11.11.11



四国八十八ヶ所遍路/出会った人々
平成11年10月1日大安吉日から四国八十八ヶ所歩き遍路を開始して、
平成11年11月11日、一が並ぶ特異日に結願いたしました。
ほとんど歩いたことのない私が、毎日平均約30Km、
1,200Km余の距離を歩くことができたなんて、信じられません。
私を表あるいは裏から、支えていただいた皆様に深く感謝いたします。
合掌



寝台特急”サンライズ瀬戸”で高松へ、高松から”うずしお1号”で板野へ、板野からJR高徳線坂東駅へ平成11年10月1日午前9:45に到着する。
坂東駅では、週末を利用して2泊3日の区切り打ちをする、という広島の菊本さんご夫妻と私の3人だけの下車であった。



遍路衣装に着替える。ピカピカの一年生といった感じ。
半年、一年前から定年退職したら遍路に行くと、多くの人に言ってあるので、結願するまでは自宅へは帰れない。
無理しないように慎重に行こう。そのために計画上はお礼参りを含めて56日間にしてある。足ならしの徳島県は、1日の歩行距離は総て20Km以下にした。



2番札所 極楽寺



8番札所 熊谷寺で休憩し、宿の情報交換をする。
徳島県内の宿はほとんど一緒だった、広島の木谷氏(左)、大坂の斎藤氏(右)
斎藤さんへ!戴いた納め札の住所に写真をお送りしましたが、宛名不完全で戻ってきました。連絡をお待ちします。



12番札所 焼山寺
大坂の斎藤氏(左)、広島の木谷氏(中央)、私(右)、カメラマンは姫路の南氏
昨晩はこの四人が柳水庵に宿泊した。南氏からマッサージのお接待を受け足の疲れが和らぎました。
南氏は三回目の遍路であり、この仲間ではただ一人の経験者でありましたので、迷惑であったかと思いますが、巣立ちの自信が出るまで、しがみついて、離れないようにしていました。 南氏からは山登りについてもご教授いただきました。ありがとうございました。



18番恩山寺から19番鶴林寺に向かう
へんろ保存協会の一列縦隊の写真になるように歩いているところをパチリ、前から姫路の南氏、広島の木谷氏、大坂の斎藤氏、カメラマンは私。
「お遍路が一列に行く虹の中」寅さん地蔵の俳句碑



22番札所 平等寺



足摺岬
足摺岬に行く途中でへんろ地図をどこかに置き忘れてしまった。金剛福寺の宿坊で千葉の杉原夫妻とお会いでき、へんろ地図を見せていただいたことが縁となり、その後の旅が楽しくなる。



39番延光寺へ向かう朝
今日でお別れかもしれないので、早朝薄暗い中、民宿安宿の外で記念撮影。縁とは不思議なもので、お別れどころか民宿ひょうたん、きさらぎ旅館、三好旅館、民宿稲荷と同じ宿に宿泊することになりました。テキパキとした奥さんと、おっとりした旦那さんのバランスが絶妙でいい夫婦でした。時々、小喧嘩をはさんでいつまでもお元気で!

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39番延光寺でお接待を受けた三人の元乙女たち
隣の町からお弁当を持って延光寺にピクニックにきて、おしゃべりをして、ストレスを解消しているような感じの仲良し三人の方から、おにぎり、果物、コーヒーゼリー等をお接待していただきました。冷やしたぶどうが特においしかった。

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42番佛木寺と43番明石寺の間のへんろ道。四国電力の送電鉄塔下で、肩を寄せ合って、地図を確認する杉原夫妻

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良寛さんが取り持つ縁でインターネットで知り合った八幡浜・井上氏を訪問する。お忙しい中をお付き合いくだされ、ありがとうございました。

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昨日、大洲市内で歩いているところを見かけた寺田氏に、内子スポーツ公園で、再度お会いした。同じ場所で奈良の鈴木氏(野宿、26歳)および氏名不明の若い女性の一人遍路ともお会いする。寺田氏、鈴木氏とはこの先44番大興寺でもお会いする。

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坂村真民先生宅訪問
47番八坂寺と48番西林寺の間で、砥部町高尾田にお住まいの、「念ずれば花ひらく」で有名な、詩人「坂村真民」先生をアポなしで訪問する。色紙とお守り3組をいただく。感激で握手を求められた時は震えておりました。伊予のお寺には「念ずれば花ひらく」の石碑が多く見られました。

坂村真民先生 2006.12.11 97歳 逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌
坂村真民先生逝く ご縁に感謝!

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60番横峰寺の手前にある栄家旅館で、長浜市の木村さん夫妻と一緒になる。区切り打ちで高松で空海展を見てきて、今回は60番横峰寺から75番善通寺までお参りするとのこと。遍路にはもう慣れていて番外札所も出来るだけ廻っている様子。栄家旅館、香園寺と宿も同じで、もうお会いできないかなと思っていたが、66番雲辺寺で偶然にお会いし、記念撮影。

16

遍路でお世話になった多くの皆様のおかげで、結願寺88番大窪寺にたどり着くことができました。 ありがとうございました。

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結願証
この結願証を見て今まで見たものとの違いがわかりますか。?そうです、結願日が平成11年11月11日です。1が6個並ぶ特異日でした。

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1番霊山寺にお礼参り

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御廟の橋から見た弘法大師御廟。(ここから先は撮影禁止) 四国八十八ヶ所遍路が無事結願したことを報告し、遍路中のご加護を感謝する。

20

高野山の紅葉

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奥の院・弘法大師御廟の橋の手前10mに立っている良寛高野紀行の石碑。
<原文>
高野道中買衣無直銭
一瓶一鉢辞遠、裙子褊衫破如春、又知嚢中無一物、總為風光誤此身
さみづ坂というと古ろに里能童能青竹能杖をきり天賣りゐ多り介連八
古がね毛ていざ杖可王んさ三づざ可
<口語訳>
高野山に登る道中、衣を買おうと思ったが、それだけのお金がない、という題で
一つの水瓶と一つの鉢の子がすべての雲水だから、遠い道を歩くのは苦にならない。長旅のため、はかまも僧衣もボロボロに破れて春の霞のようだ。新しい衣を買おうと思っても、袋の中には何もないことはわかっている。それというのも、風光の美しさを訪ねようと思い立ったために、この身を誤ってしまったのだ。作水坂という所を通りかかったら、里の子供が青竹を切って作った杖を売っていたので、「小銭をもってさあ杖を買おうかなあ、この作水坂を登るのに」

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高松・田伏さんからの結願お祝い状。
遍路の途中、高松市内で久しぶりにお会いした友達が、私をイメージして作られた歌
「秋の野に、草食獣の、ごとく在る、歩き遍路は、はればれとして」

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大分・泉久米雄さんからの結願お祝い状。
遍路旅に駆り立てた最大の要因は、泉氏の遍路紀行文の一部を引用した吉田泰造氏のエッセイを読んで、感動したことでした。遍路にたいするアドバイス、遍路中の手紙・電話による激励、へんろ地図を紛失した時の早急な送付等、泉大師のご加護により、結願ができたと言っても過言ではありませんでした。ありがとうございました。ありがとうございました。


四国八十八ヶ所遍路/旅の一コマ

・7〜8m先で手を合わせている人がいる。私も合掌して通る。(内子にて)

・焼き芋を買うと草もちのお接待、草もちを買うと焼き芋のお接待(法綸寺境内にて)

・風呂の真中でじっとしていないと、お灸をすえられる五右衛門風呂(柳水庵にて)

・大なるひとに導かれて、この果てしない道を、一筋に歩いてゆこう、捨てて、捨てて、軽くなり・・・・・(坂村真民氏の詩より)

・調子の良い時の歩きは、自分の足を誰かが動かしているように、勝手に動いている。

・へんろ道の短冊に「金と暇がなければ遍路はできない」というのがあった。「発心があれば遍路はできる」のほうがいいと思うが・・

・40番観自在寺の先の、内海村の柏に歩行者専用の新しい長いトンネルがあり、安心して歩ける。

・夕食後、おかみさんのお大師教養講座を聞く。翌朝、お弁当のお接待と、外へ出て道順の説明あり。(民宿伊予路にて)

・遍路宿の夕食は、出会いの場であり、情報交換の場である。各自別々に食べる宿もありましたが、一緒に食べる宿の方が望ましい。

・みかんを入れたコンテナに ”お遍路さん、ご自由にお食べ下さい。”の張り紙、ありがたくいただき、食べながら歩く。(八坂寺→西林寺間)

・毎朝、筋肉痛、関節痛で足が痛い、しかし30分から1時間歩いていると、不思議と痛さが消えている。

・おはようございます。おはようございます。かわいい小学生の挨拶が一日の活力となる。

・多くの人たちに ”今年は歩き遍路さんが多いですね”と言われる。

・バスの中のお遍路さんは、歩きお遍路さんに手を合わせ、歩きお遍路さんは、野宿のお遍路さんに手を合わせ、野宿のお遍路さんは、荷物の重さにこうべを垂れる。

・落ち葉のじゅうたんを敷きつめたへんろ道、気分爽快、時間を停めたい。(そえみみずへんろ道、横峰寺の下り、雲辺寺の下り他)

・おばあちゃんで印象深いのは ”柳水庵のおばあちゃん”と ”三好旅館のおばあちゃん”とそえみみず遍路路の登り口の近くで、お遍路さんを見ると必ずお接待をされている
 "奥代おばあちゃん" 観音さんの感じがする、おばあちゃん達です。どうぞ、いつまでもお元気で!

・「秋の野に、草食獣の、ごとく在る、歩き遍路は、はればれとして」(高松で久しぶりにお会いした友達の、私をイメージしたという歌)

・へんろ道で迷ったのは、道しるべを見落としたためであり、道しるべが不備で迷ったことはなかった。

・へんろ道で迷ってから、道しるべ一つ一つに、”ありがとう”が習慣になった。

・注文したおにぎり弁当よりも、お接待のおにぎり弁当の方が質が好く、量が多く、愛情がある。

・遍路で苦労すればするほど、人のいたみがわかり、人にやさしくなる。荒行の意味が少し理解できるようになる。

・道が登りから平坦になると非常に楽に感じる。逆に下りから平坦になると登っているように感じる。

・結願寺大窪寺でのリュックの重さは、1番霊山寺をスタートした時の2/3。体重は6Kg減。遍路で少欲の修行をさせていただきました。

・遍路宿の評価は建物の新・旧、設備の充実、食事の豪華さではない。宿の雰囲気すなわちおかみさんの人柄に関わっていると言える。

・一人遍路でも全日数の3/4は、どなたかと一緒でした。

・この遍路旅ではじめての精進料理をいただく。(高野山、清浄心院)

・軽くなろう、軽くなろう、重いものは、みんな捨てて、軽くなろう、何一つ身につけずに、念仏となえて、歩きまわった、一遍さんのように、軽くなろう・・・・・(坂村真民氏の詩より)

・自宅から荷物を送ってもらうために、3〜4日前に予約した宿に当日11時ころに到着してしまった。この先のお寺をお参りして戻ってきますからと言ってリュックを預かってもらおうとしたら、おかみさん曰く”歩いているんですから予定どうりにはいかないでしょう、行けるところまで行って、そこでお泊まりなさい”と言ってくださった。美人で品のあるおかみさんだった。こんど来た時は必ず「長珍屋」に泊まろう。

・38番金剛福寺の宿坊の会計をしている女性事務員の話。@一人遍路は少なくなっている、女性二人、ご夫婦が多い、男性複数は皆無とのこと。A通し打ちの計画で始めた人が、体の都合で途中で止める人は、次回その続きからではなく最初から廻る方がよい。B二人づれの通し打ちは個々にペースが異なるので難しい。その点、一人遍路の結願率は高い。あなたは今日で何日目ですかと尋ねられたので22日目です。と答えたらあなたは結願できます。と暗示をかけられる。理由を聞いたらペースがゆっくりだからとのこと。

・静寂なへんろ道を一人で歩いていると、さんや袋の中のローソクが箱に当たる音、リュックの中の荷物の音等の合成音により、私の後を誰かが歩いているように聞こえ、時々、振り返ることがある。これを同行二人と言うのか?

・三角寺で寺から出るへんろ道を聞こうと納経所へ行ったら、納経所の人と話をしていた方が県道まで乗っていきなされと言って車のお接待を受ける。今日は犬をもらいに来たと言って軽トラの荷台の檻には白い犬がいた。別れる時にわかったことは、この人、実は175回も巡拝した大先達さんで、今度来るときは私の家に泊まりなさいに添えて錦の納め札をいただく。

・大窪寺で結願したときには、そんなに感激は感じなかったが、門前の八十八庵でそばを食べている時に、お年寄りに1番から歩いてきたんですか、大変だったでしょう、・・・・・と労いの言葉をかけられ、目頭が熱くなってきてしまいました。

・遍路とはただ、ただ歩き、結願することである。遍路とは人との出会いと、別れのくり返しである。 遍路とは人生そのものである。


四国八十八ヶ所遍路で宿泊した宿情報
評価は独断と偏見による。×△は他にあれば泊まりたくない宿。
建物の新旧、設備の充実、食事の豪華さは重要視してはおりません。
それよりも宿の雰囲気、すなわち、おかみさんの人柄に依るところが大きい。
食事は個性あるもので、もっと質素にしてその分、料金を安くしてほしいと感じました。

NO 宿名 場所 評価 乾燥機 コメント
1 森本本旅館 5番地蔵寺の近く
2 坂本屋 10番切幡寺の近く
3 柳水庵 11番と12番の間 お弁当のお接待、品のあるおばあちゃん
4 植村屋 12番と13番の間 個性ある、おいしい食事
5 鱗楼 16番観音寺の近く
6 ちば 18番恩山寺の近く
7 金子や 20番鶴林寺への登り口
8 坂口屋 21番太龍寺を下ったところ
9 薬師会館 23番薬王寺の近く ホテル並
10 鯖大師 23番と24番の間
11 谷口 23番と24番の間 ×
12 とくます 23番と24番の間
13 金剛頂寺 26番金剛頂寺宿坊 ホテル並
14 浜吉屋 27番神峰寺への登り口
15 かとり 28番大日寺の手前 朝の見送り
16 BHときわ 高知市内 大浴場有り
17 喜久屋旅館 35番清滝寺の近く おかみさんの人柄、朝の見送り
18 司旅館 36番と37番の間> 洗濯のお接待、朝の見送り
19 岩本寺 37番岩本寺宿坊
20 みやこ 37番と38番の間 若い美人のおかみさん
21 安宿 37番と38番の間
22 安宿 38番と39番の間
24 ひょうたん 39番延光寺の近く × 洗濯のお接待
25 きさらぎ旅館 40番観自在寺の近く おかみさんの人柄、おいしい料理
26 三好旅館 40番と41番の間 品のあるおばあちゃん81歳
27 稲荷 41番龍光寺の近く × 食事のボリュームがすごい
28 BHオータ 43番と44番の間
29 ふじや旅館 43番と44番の間
30 でんこ旅館 44番大宝寺の近く
31 伊予路 53番円明寺の近く おかみさんの人柄、昼食のお接待
32 BH来島 54番延命寺の近く ×
33 栄家旅館 59番と60番の間
34 香園寺 61番香園寺の近く 夜の護摩焚き
34 大成荘 65番三角寺の近く
36 岡田 66番雲辺寺の近く
37 一富士 70番本山寺の近く
38 BHさくま 77番と78番の間
39 あずさ 80番国分寺の近く ×
40 旅館三鈴 高松市内 洗濯のお接待、朝の見送り
41 ながお路 87番長尾寺の近く
42 阿波 1番霊山寺の近く 愚痴の多い夫婦
43 高野山清浄心院 高野山奥の院

遍路途中で出会った人の宿情報
NO 宿名 場所 評価 乾燥機 コメント
1 民宿龍山荘 21番太龍寺を下ったところ
2 ロッジ尾崎 23番と24番の間
3 高知屋 33番雪蹊寺前 洗濯のお接待、食事がおいしい
4 民宿あわ 36番と37番の間 ×
5 足摺八扇 38番金剛福寺の近く
6 竜串荘 38番と39番の間 大月町経由
7 花屋 38番と39番の間 大月町経由
8 民宿ピーチ 40番観自在寺の先
9 内子スポーツイン 内子町
10 富士旅館 44番大宝寺手前
11> 国民宿舎古岩屋荘 45番岩屋寺の近く
12 長珍屋 46番浄瑠璃寺の近く 美人で品のあるおかみさん
13 旅館たかのこ荘 49番浄土寺の近く
14 湯の谷温泉 64番前神寺の近く
15 蔦廼家旅館 64番と65番の間>
16 民宿おおひら 67番大興寺の近く
17 若松屋旅館 68神恵院の近く 千葉・杉原ご夫妻提供
18 本大温泉BH 70番本山寺の近く
19 門先屋旅館 72曼荼羅寺の近く 千葉・杉原ご夫妻提供
20 えびすや旅館 80番国分寺の近く
21 せと国民旅館 80番国分寺の近く ×
22 民宿みゆき 82番と83番の間 洗濯のお接待、おいしい家庭料理
23 BHわかさ 84番屋島寺の登り口 ×
24 富士屋旅館 85番と86番の間
25 やなぎや旅館 87番長尾寺の近く> ×
26 あずまや旅館 87番長尾寺の近く
27 民宿八十窪 88番大窪寺の近く
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四国八十八ヶ所遍路/用語の解釈
金剛杖
遍路にとって金剛杖は弘法大師の化身であり、常にお大師さんと一緒に旅をしていることになっている。従って、宿のおかみさんは遍路が宿に着くと、杖の先を洗って床の間に立てて安置するということを、初日の宿で知りました。ある宿で、玄関で靴の紐をほどいているとき、杖を寝かしておいたら、おかみさんに立てておきなさいと叱られてしまいました。
お大師さんは結願までに約10cmも自身をすり減らして、私の身を守ってくれました。
杖には五輪塔と同じように、宇宙を構成する五つの要素(地水火風空)を表す梵字が書かれています。
江戸の昔には巡礼専用の「往来手形」を携え、それには「万一、万病つかまつり候わば、この方に御沙汰申すに及ばず候、所の御作法をもって取置(埋葬)くださるべく候」とあり、遍路が途中で行き倒れた場合は、死体をそのまま土中に葬り、遍路が携えていた菅笠を蓋がわりに、金剛杖を卒塔婆として使用した。

菅笠
菅笠には、
「迷故三界城、悟故十方空、本来無東西、何処有南北」
(迷うが故に三界は城なり、悟るが故に十方は空なり、本来東西はなく、何処んぞ南北あらんや)
という経文が書かれている。
真言宗や禅宗においては、死者を収める棺の蓋に、この経文が書かれている。
解釈1 迷っているが故にわたしたちを取り巻く環境は、まるで堅固な城郭に閉じ込められているかのように圧迫感がある。
その迷いを突き抜けて悟ってみれば、もう十方世界は大空と同じように自由でのびのびしている。
さらに、本来東西や南北といった狭い概念など存在しないのだから、自分を縛っているもの、自分の精神を区切っているもの、それら自縛の迷いはもともとあるはずがないのだ。そこを脱却して、本来の自由無碍の精神を取り戻そうという教えである。
解釈2 人生にこだわるゆえに行方に迷うのだろうが、所詮人生は雲のごとく行方しれずである。人生そのものが空しいとわかれば、どちらが東西か南北かなんて関係ないだろう。人生の行方を気にしなければ、十方は空なのであるという意味。
同行二人
菅笠、白衣の背、さんや袋、金剛杖に書かれた「同行二人」とは、狭義的には、弘法大師さんと一緒に、弘法大師さんに導かれて遍路していることを意味している。広義的には、常に心の中に仏を置く生き方の意味である。一日の生活のなかでの瞬間、瞬間に、このとき仏様だったらどうするだろう、と考える習慣、姿勢を持ち続けることが「同行二人」の実践となる。怒りをかられたとき、悲しみにくれたとき、あるいは喜びにふるえるとき、いつでも”仏様だったらどうするだろう”と考えたら最善の道が開けるでしょう。
お接待
接待という言葉からは、企業間の商取引上の接待を連想する人も多いと思いますが、これとは全く異質なもので、現実的な見返りを一切期待せずに、お遍路で歩いている人たちに、金品や食事または無料で宿などを提供することを「お接待」と言っている。
「お接待」の心は、同行二人であるお大師さまへの信仰心、旅人に対する親切心、お遍路さんに対する尊敬心、いろいろ考えられる。
実際、歩いてみると毎日さまざまなお接待を受けた。現金を差し出す人、食事代を支払ってくれる人、うどんの無料接待、宿からの昼用のおにぎりのお接待、衣類の洗濯のお接待、家に泊まっていけのお接待、車に乗りませんかのお接待、お菓子のお接待、果物のお接待、柿・みかんをご自由におたべ下さいのお接待、ジュース・ドリンク剤のお接待、アイスクリーンのお接待、お茶・コーヒーのお接待、草もち・焼き芋のお接待、手芸品のお接待、道案内のお接待、じつに多種多様なお接待を「お接待させてください」と言って差し出される。
四国では歩いている遍路のことを「お遍路さん」ではなく、「お四国さん」と呼んでいる人が多いように思ったが、歩きお遍路が必ず患うといわれる「お四国病」の原因の一つは、見知らぬ人々との触れ合いに関わる、このお接待文化ではなかろうかと思う。
仏教用語に「布施」という言葉があるが、「接待」と同意語ではないでしょうか。今日では「お布施」と称し僧侶への法礼の意味に用いられているが、布施は大事な仏道修行で、他人に金銭や品物を施すことです。布施とは「身軽になるために、執着心を取り除くために、捨てること」です。布施する人は自分が持っている物を捨てさせていただければいいのです。そして大切なことは、捨てた物にこだわりを持たないで、忘れてしまうことです。「布施してやったのだから、お礼くらい言ったらどうか」といったようなこだわりを持っていたのでは、それは布施にはなりません。
施して喜び、施した自分と、施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しである(「大般涅槃経」)

十善戒
お遍路の心得として次の十善戒がある。
 @不殺生(ふせっしょう)殺生をしない
 A不偸盗(ふちゅうとう)盗まない
 B不邪淫(ふじゃいん)道にはずれた情事
 C不盲語(ふもうご)嘘をつかない
 D不悪口(ふあっく)悪口を言わない
 E不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌を使わない
 F不綺語(ふきご)お世辞を言わない
 G不慳貧(ふけんどん)欲張らない
 H不瞋恚(ふしんい)怒らない
 I不邪見(ふじゃけん)誤った考えを起こさない
一見、常識的なことが並んでいるようであるが、忠実に守ろうとすると大変なことであり、生きていくことが難しくなってくる。
大切なことは、十善戒を絶対に破らないというかたくなな態度をとることではなく、人はいずれも破らざるを得ない弱い存在だと知るところにある。そこから反省が生まれ、懺悔をすることができる。自分が弱いことを知れば、他の人もまた弱いものであることがわかる。つまり人間とは、自分を含めていずれも弱い存在だと気づかせるものが十善戒なのだ。
良寛さんは、あるとき日向ぼっこをしていて、襟元をゴソゴソするシラミをつまみ、「おまえも日向ぼっこしたいか」といって縁側に放ったという。やがて夕方になり、あたりが冷えてくると、そのシラミを再びつまみ、「そろそろ寒くなってきた。お戻り」といって襟元に戻したという逸話がある。
シラミも仏様の化身と考えた良寛さんならではの逸話であるが、わたしたちの日常生活の中で、「ゴキブリも仏様の化身だ」と餌を与え、大きくなれよと励ませるだろうか・・・そんなことは無理である。やむをえずゴキブリを殺す。不殺生戒を破るわけである。そこで忘れてはならないことは、「ゴキブリさんごめんなさい」と謝る心なのだ。こうした「戒」との付き合い方、これが十善戒の精神であり、人間が人間として生きていくうえで、もっとも大切な思いやりの心に通じることである。
仏教では、動物も植物も生きものであり、仏性をもっていると考える。人間は生きるために、他の生きものの命が必要である。自分が生きていくためには、他の多くの命の犠牲の上に成り立っている。自分の力で生きているのではなく、生かされているのである。他の生きものを頂いているのだから、必要以上に、他の生命を奪ってはならない。自分の命だといっても、他の命を頂戴しているのだから、”すいません・ありがとうございます”とお詫びと感謝の心で、他の生命を合掌して、有難く頂くことが大切である。食事の前に「頂きます」というのは、この意味である。

先達
先達(せんだつ・せんたち)とは、遍路の案内人のことである。昔、遍路道がまだ整備されていなかった時代、巡拝するお遍路さんにとって、必要、不可欠の存在と思われます。現在は、主としてバス等で巡拝するお遍路さんの道案内、巡拝のマナー、しきたり、お経、生き方等、の指導をされている人を言います。
四国霊場会では先達の公認性をとり、資格などについて厳しく定めている。
先達の称号は、@先達、A権中先達、B中先達、C権大先達、D大先達、E特任先達、F元老大先達、まで七階級ある。
もっとも低い階級の「先達」でも、八十八霊場巡拝四回以上、しかも多くの遍路を先導し霊場の振興に尽くした人という条件がつく。こうした条件を備えた人の中から、霊場寺院の推薦を受け、研修会に出席して学習し、さらに公認先達審議会の承認を受けた人だけが「先達」になれる。
権中先達、中先達は「先達」の資格を得てから二年以上経過し、その間に八十八霊場巡拝を二回以上すませ、かつ大師信仰が堅固な人に与えられる資格称号である。さらに上級の権大先達、大先達は信仰心、人格ともにすばらしく、他の遍路の模範となり中先達の資格を受けてから三年以上、巡拝三回以上の人。
特任大先達は在家の最高位で、大先達の中から選ばれ、定員は十名である。
元老大先達は寺院の住職の中から選ばれれる定めとなっており定員は五名である。

参考文献
1.「四国お遍路こころの旅」 ひろさちや著
2.「ひろさちやの般若心経八十八講」 ひろさちや著
3.「密教と暮らす365日」 寺林 峻著
4.「四国お遍路 謎とき散歩」 ひろたみを著
5.「いのちの言葉」 松原泰道著