新潟/岡山県外 良寛関連遺跡
東北地方
3 福島県西会津町
松尾明神
「松尾大明神」の刻字扁額
詳細は新潟良寛研究会の機関紙「転萬理」
2 福島県柳津町
つきみが丘公園
・詩碑
良寛托鉢像
「秋夜、香聚閣に宿り、早に檻に倚りて眺む」と題する詩碑。
「やないづ」詩碑 碑面:
宿也奈伊津香聚閣早興眺望
向夕投香閣 漱口禮青蓮
一燈照幽室 萬像云倶禅
中略
人間有栄枯 再来恐難攀
欲去且未去 卓錫思悠然
B77P156 (良寛会会報99号9l)
1 福島市松川町本町西裡・盛林寺 良寛が米沢へ行く途中、当寺に二泊し、帰路体調不良で一ヶ月滞在したという言い伝えがある。
・良寛像を設置  (平成11年2月)
・良寛・貞心尼の位牌を祀って供養している。
詳細は良寛会会報102号参照
関東地方
5 群馬県高崎市倉賀野・倉賀野神社 倉賀野神社には、漂白の文人飯塚久敏と良寛の碑と庚申塔群がある。平成7年建立
参照サイト:1.倉賀野ひとり歩る記 2.倉賀野
4 群馬県みどり市東町沢入968-8
陶器と良寛書の館
良寛関係収蔵品
屏風 6点、掛軸 4点、扇画 1点
3 群馬県利根郡新治村
良寛の通行手形
(財)三国路 与謝野晶子紀行文学館に所蔵されている。
2 東京都文京区
東大正門前
東京大学戦没同窓生之碑
「天上大風」
解説:会報90号参照
東大赤門前ではなく、東大正門前の道路の反対側ですので、ご注意下さい。
1 群馬県千代田町
愛宕祠
亀田鵬斎生誕の地碑及び鵬斎筆神社扁額
解説:会報90号参照
中部地方
12 長野県上高井郡小布施町雁田
曹洞宗・岩松院
良寛坐像
(高さ65cm)
葛飾北斎(八方睨みの鳳凰図)・福島正則(豊臣秀吉の重臣の菩提寺)・小林一茶(同寺に蛙合戦の池がある)ゆかりの古寺
寺瀬黙山作・「良寛坐像」  境内撮影禁止
2005.9.30
良寛坐像写真・新潟良寛研究会会報・轉萬理67号 2009.5.15
11 三重県津市
東雲寺
山門に良寛和尚御旧跡と書いた板
同寺に立ち寄った時に詠んだ歌:「伊勢の海 波しづかなる 春にきて 昔のことを 聞かましものを」
10 静岡県修善寺町
新井旅館
「大江茫々・・・」屏風
大江茫々春己尽
楊花飄飄点衲衣
一声漁歌香靄裡
無限愁腸為誰移
新井旅館にて2003.8.3-8.10展示
9 愛知県・渥美町・医王寺境内
「一二三いろは」碑
「一二三いろは」碑
平成4年4月吉日 医王寺七世宏之晋山記念

B77P164
8 愛知県・渥美町・医王寺門前
「騰々任天真」詩碑
生涯懶立身   生涯 身を立つるに懶(ものう)く
騰々任天真   騰々(とうとう)として 天真に任(まか)す
嚢中三升米   嚢中(のうちゅう) 三升の米
炉辺一束薪   炉辺 一束の薪
誰問迷悟跡   誰か問わん 迷悟の跡
何知名利塵   何ぞ知らん 名利の塵
夜雨草庵裡   夜雨 草庵の裡(うら)
雙脚等間伸   雙脚(そうきゃく)等間に伸ばす

「騰々任天真」の詩碑は、国上山の乙子神社の境内にあるが、草書のため読みにくい。この碑は良寛自筆の「草堂集」を原本とし、楷書で清新にして読みやすい。
昭和61年9月24日建立   B77P162
7 長野県・南木曾町・古典庵
「さむしろに」詩碑
きそち耳て                 木曽路にて
さむしろ耳ころ毛可多志きぬ者多   さむしろに衣かたしきぬばた
まのさよふけ可多能月をみる可毛   まのさ夜ふけ方の月を見るかも

この碑は、古典庵の旧跡が観月の名所(木曾八景のひとつ)であることから、良寛さんが詠んだこの地に建立された。
B77P160  (参照:谷川先生の良寛詩歌講座
6 長野県・長野市
善光寺・仁王門脇
「再游善光寺」詩碑
再游善光寺      再び善光寺に遊ぶ
曽従先師游此地   曽って先師に従って此地に遊ぶ
回首悠々二十年   首を回らせば悠々二十年
門前流水屋後嶺   門前の流水 屋後の嶺
風光猶似昔日妍   風光猶似たり 昔日の妍
B77P158  (参照:谷川先生の良寛詩歌講座
5 山梨県西八代郡大門町
大門碑林公園
般若心経 ・天上大風 ・交友莫争の碑の拓本
4 長野県佐久市立近代美術館
「良寛とざくろ」像
平櫛田中作
「良寛とざくろ」像
3 長野県
木曾郡南木曾町
歌碑
木曽路にて
「この暮れの もの悲しさに 若草の 妻呼びたてて 小牡鹿鳴くも」

この歌は、てまり上人といわれる良寛が木曽路を通った折、詠まれた二首のうちのひとつで、その時期は次の三つの場合のいずれかと思われる。
1.師の国仙和尚に随って、善光寺方面と巡錫した時で、天明四年(1784)27歳頃。
2.備中玉島にある円通寺での修行を終えて、越後へ帰る時で、寛政七年(1795)38歳頃。
3.飛騨高山の大隆寺の僧宗龍禅を参訪した時で、良寛二十代後半。      (歌碑横の説明板より)
(参照:谷川先生の良寛詩歌講座
2 静岡県沼津市
松陰寺
詩碑
臨済宗の中興といわれる、白隠禅師ゆかりの松陰寺の富士山を仰ぐ場所に、21世紀元年の初夏に、静岡県内ではじめての良寛碑が建立される。JR東海・原駅下車徒歩15分、地元では白隠さんと言えば誰でも知っています。
「君看双眼色 不語似無憂」 (白隠の語で良寛の書)
読み方:君看ずや双眼の色 語らざるは憂ひ無きに似たり
現代訳:あなたよ、この二つの目の深く澄んだ色を、よく見てください。言葉にならないのは、かなしみがないわけではなく、かえって言い知れないかなしみがあるからである。(良寛だより91号 谷川敏朗著「白隠と良寛」より抜粋)

この詩を演題にした松原泰道氏の記念講演の内容については「良寛」32号をご覧下さい。

この詩の柳田聖山氏の口語訳は「妾(わたし)の二つの眼の色をよく看て下さい。何も言ってくれないと、憂い(その気)がないように見えますよ。」
1 静岡県沼津市松長
渡辺初枝氏蔵
「良寛来像」と「貞心尼像」
前島秀章氏作
良寛来 座高:55cm,像巾:30cm,材質:樟(木彫り)
解説:会報78号参照
近畿地方
12 神戸市北区有馬町
御所坊の中庭、偲豊庵の傍に
良寛歌碑
参考:文人が愛でた有馬
 有馬の何てふ村に宿りて
「笹の葉に ふるや霰の ふる里の 宿にも今宵を見るらむ」

笹の葉に音をたてて霰が降る、古里の家でも、今夜の美しい月を、自分と同じようにながめていることだろう。
建碑者:川口霄亭氏
除幕:2006.12.5
出典:全国良寛会会報116号                            2007.4.13
11 兵庫県丹波市
市島町上田
民俗資料館内
瑞桂・今井茂治作
良寛像「灯火万葉」
10 兵庫県赤穂市
赤穂城址
歌碑
・赤穂城址
JR赤穂線播州赤穂駅で下車し、駅前通りを15分くらい歩くと大手門に着く。時計回りに半周すると塩屋門(裏門)の跡があり、石垣上に良寛歌碑がぽつんと建っている。
・歌碑(昭和29年12月建立)
あこうてふところにて天神の森にやとりぬ
さよふけかた あらしのいとさむふふきたりけれは
やまおろしよいたくなふきそしろたへの
ころもかたしきたひねせしよは
「山颪よいたくな吹きそ白妙の 衣片敷き旅寝せし夜は」
9 兵庫県
神戸市須磨区
須磨寺
須磨紀行の碑と童と遊ぶ良寛像
・須磨寺
JR山陽本線 須磨駅下車 徒歩15分。
 源平の合戦で有名な古刹で、境内には源平ゆかりの品々を展示する宝物館、史蹟の多く残されている。
 良寛さんもこの須磨寺に足を運んだであろう。
・須磨紀行の碑と童と遊ぶ良寛像(昭和63年3月3日建立)
須磨寺の写真の赤い太鼓橋の手前、正覚院前の参道の反対側に碑と像が一体化されている。

須磨紀行の碑
 「すまてらの むかしを問えば 山桜」 沙門良寛書
 あなたこなたとするうちに、日暮れければ、宿を求むれども、独者にたやすく貸すべきにしもあらねば、をとしつけて
 「よしや寝む須磨の浦わの波枕」
 とすさみて、綱敷天神の森を尋ねて宿る。里を去ること一丁ばかり、松の林の中にあり。
 「春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えぬ」
 おりおりは、夜の嵐にさそわれて、墨の衣にうつるまで匂う。石灯篭の火はほのよりきらめき、うち寄する波の声も常よりは静かに聞こゆ。
 以下略


 正覚院の方の説明に依ると、右側の黒いよく磨かれた石が良寛さまで、隣にある円い石が手毬で、太鼓型の石が童を表しており、童と遊ぶ良寛となっている。
 良寛の石の前に立つと、自分の姿が映り、良寛さんの姿に自分の心を映して見るように出来ている。とのことです。
8 兵庫県
神戸市須磨区
綱敷神社
JR山陽本線 須磨駅下車 徒歩10分。
 先の須磨紀行に出てきた綱敷天満宮、地元の人は「須磨の天神さん」と親しまれている。
7 兵庫県
氷上郡市島町
今井茂治氏蔵
「灯火万葉」尊像
今井瑞珪師作
座高:39cm,像巾:35cm,材質:欅(木彫り)
解説:会報89号参照
6
神戸市
兵庫区吉田町
光明院所蔵
「月と良寛像」
今井茂治(仏師名:瑞珪師)作
座高:37cm,像巾:13cm,材質:欅(木彫り)
解説:会報85号参照
6 京都市東山区祇園町北側271

何必館・京都現代美術館
何必館蔵の良寛遺墨(「良寛」46号より抜粋)
1.「君看双眼色  不語似無憂」  (君看よ双眼の色 語らざるは憂ひ無きに似たり)
2.「土波後作」
3.「南無天満大自在天神」
4.堂号「閑々堂」
5.解良示威問宛書状「先日は」
6.漢詩「四時雖有月」
7.和歌九首「うめのはな他」
8.短歌「ながきよに」
9.二文字「道好」
10.漢詩「余家有竹林」
11.六曲一双屏風「裙子短褊杉長」・「自参曹渓道」・「袖裏毬子直千金」・「庵雖在孤峯」・「大江茫々春巳尽」
12.六曲一双屏風「今日乞食逢驟雨」・「庵雖在孤峯」・「十字街頭乞食了」・「宅辺有苦竹」
13.巻物「こころによからぬものは」
5 奈良県吉野山
良寛・吉野紀行の碑
近鉄吉野線・吉野駅下車 蔵王堂に近い後醍醐天皇行在所跡に碑が建てられている。
「里へくだれバ日は西の山にいりぬ あやしの軒に立て一夜の宿をこふ そのよハ板敷の上に ぬまてふものをしきて臥す 夜るのものさへなければいとやすくねず よひのまハ翁の松をともして その火影にいとちゐさきかたくむ なにぞと問へば これなんよしののさとの花筐(はながたみ)といふ 蔵王権現の桜のちるをおしみて ひろひて盛りたまふ (以下略) つとにせむよしのの里の花がたみ」
夕暮れ近く千本から下ってきて、見かけもみすぼらしい一軒の家に宿を借りて、春寒のひと夜を過ごしたのでしょう。しかし暮らしは貧しくとも、とぼしい明かりの下で、老人の荒れた手で編まれてゆく小さな花篭は、なんとも可憐で、旅に疲れた良寛の心をなごませました。 平成6年10月13日建立
4 奈良県・吉野町・蔵王堂南西
後醍醐天皇行在所跡
「吉野紀行」碑
里へくだれば 日は西の山にいりぬ。あやしの軒に立て一夜の宿をこふ。そのよは板敷の上にぬまてふものをしきて臥す。夜るのものさへなければ、いとやすくねず。よひのまは翁の松をともして、その火影にいとちゐさきかたみくむ。なにぞと問へば、これなんよしのゝさとの花筐といふ。蔵王権現の桜のちるをおしみて、ひろひて盛たまふ。そのいわれにはいまもよしのゝ里にてはいやしきものゝ家の業となす。あるはわらはのもてあそびとなし。また物種いれてまきそむれば、秋よくみのる。これもてるものは万のわざわひをまぬがるとかたる。あはれにもやさしくもおぼひければ
つとにせむよしのゝ里の花がたみ
B77P166
3 大阪府豊能郡能勢町
高代寺
歌碑
  堂可能々美天良耳也東里天
都能久尓乃堂閑能々於久能不留転羅耳
数起乃志都久遠幾々安閑之都々    沙門良寛書
  たかののみてらにやどりて
つのくにの たかののおくの ふるでらに
すぎのしづくを ききあかしつつ
1976.9.15 建立 岡元勝美氏(「良寛争香」の著者)の由来を記した脇碑が置かれている。(良寛だより91号より抜粋)
2 和歌山県
高野町高野山奥の院
山本家墓石
空海の御廟へ行く道の傍らに良寛生家の墓石がある。その墓石から設立者の出雲崎・山本甚三郎の名が読み取れる。(良寛を歩く・小林新一著より引用)
1 和歌山県
高野町高野山奥の院
高野紀行
<原文>
高野道中買衣無直銭
一瓶一鉢辞遠、裙子褊衫破如春、又知嚢中無一物、總為風光誤此身
さみづ坂というと古ろに里能童能青竹能杖をきり天賣りゐ多り介連八
古がね毛ていざ杖可王んさ三づざ可
<釈文>
高野道中、衣を買うに直銭無し
一瓶一鉢遠きを辞せず、裙子褊衫破れて春の如し、また知る嚢中一物無きを、総て風光の為に此の身を誤る。
さみづ坂といふ所に、里の童の青竹の杖をきりて売りゐたりければ、こがねもていざ杖買わんさみづ坂
<口語訳>
高野山に登る道中、衣を買おうと思ったが、それだけのお金がない、という題で
一つの水瓶と一つの鉢の子がすべての雲水だから、遠い道を歩くのは苦にならない。長旅のため、はかまも僧衣もボロボロに破れて春の霞のようだ。新しい衣を買おうと思っても、袋の中には何もないことはわかっている。それというのも、風光の美しさを訪ねようと思い立ったために、この身を誤ってしまったのだ。作水坂という所を通りかかったら、里の子供が青竹を切って作った杖を売っていたので、「小銭をもってさう杖を買おうかなあ、この作水坂を登るのに」
中国地方(岡山県を除く)
3
2
1
四国地方
2 高知県窪川町
阿部定珍墓碑
説明文

窪川民話の里めぐり
呼坂峠物語
阿部定珍は良寛と入魂の間柄で、五合庵に良寛をしばしば訪ねる。酒を酌み交わしながら、優雅な歌の唱和を楽しんだ定珍は、良寛より二十年も若かった。定珍は、良寛没後七年の天保九年(1838)六月、亡児追悼のため四国八十八ヶ所の霊場巡拝の旅に出て、悲運にも土佐の窪川村(現、高知県高岡郡窪川町)の宿屋で、瘧(熱病の一種、マラリヤの類)を患って享年60歳で客死しております。B19P133

阿部定珍の墓は高知県高岡郡窪川町にある。JR土讃線窪川駅の北600mのところに呼坂トンネルがあり、北側から来てトンネルを抜けてすぐの信号を左折したところに墓がある。この墓の存在場所は、私が四国八十八ヶ所霊場を巡拝した直後に、土佐良寛会の会長の長谷部 伸作さんからメールをいただいて知りました。土佐良寛会の皆様のご努力により、手入れも行き届いておりました。

墓碑表面
 現光院即成了心居士
墓碑裏面
 越後国蒲原郡渡部邑
 阿部造酒右衛門藤原
 定珍行年六十才卒
墓碑右側面
 先人常向大師前欲慕遺
 風入定禅禪小子尼如今為禮
 去心魂日夕在碑邊
墓碑左側面
 天保九歳次戊戌
 六月ニ十日午時

1 高知県窪川町
四国88ヶ所霊場
37番札所岩本寺
の境内にある
阿部定珍墓碑
阿部定珍の子・定経の歌碑
阿部定珍の墓碑は上記の他に、岩本寺の門から10mのところにある梵鐘の右側前面の非常に解りやすいところにあります。

墓碑表面
  天保九歳次戊戌
 現光院即成了心居士
  六月廿日六十才
墓碑裏面
 仲春發郷季夏至窪川町
 宿大坂屋金蔵宅定珍病
 没因殯千藤井山丑方七
 丁許大股山梺建碑焉
墓碑右側面
 八十やつの
 仏の場を
 めぐり来て
 けふこそ建つる
 これのいしぶみ
 維時天保甲辰四月男定経謹誌
 (定経の歌は読めなかったので、谷川敏朗先生に教えて戴きました。
 定経は定珍のご子息とのことです。)
墓碑左側面

 

国外
3 ロサンゼルス郊外ランチョ・パロスバーデス市にある公園にある句碑 I lost myself to wildflowers,
forgetting to return home.
             -Ryokan
(会報126号より)
2 峨眉山良寛詩碑
四川省峨眉山清音閣
峨眉山良寛詩碑建立記録
除幕式 1990.8.25
1 中国四川省峨眉山市
良寛小学校
良寛の銅像
2002.9.24 建立
(会報101号より)