良寛さんは、文政9年(1826)初冬、69歳の時に島崎村の能登屋木村元右衛門や弟子の遍澄の勧めで、国上山の乙子神社草庵から現在の和島村の木村家の離れの小屋(庵室)に移り住みました。神様は良寛の精進のごほうびとして貞心尼との出合いを演出されました。
| 9 | 籠田・熊野神社 (椿の森、村田の森) 歌碑 リンク(長岡市観光サイト) |
「籠田より村田の森を見渡せば幾世経ぬらむ神さびにけり」 碑陰 良寛さま遷化(せんげ)の地であり、乞食行脚(こつじきあんぎゃ)の地である当地は、禅師のもっとも愛された風光かと思います。此の自然を詠まれた和歌も幾首か残されています。 このたび全国良寛会の大会が当村で開催されるを機に、縁(ゆか)りの此の地に其の一首を刻し、建立する運びとなりました。 良寛さま晩年の傑作・草堂集より選文いたしました。 昭和六十二年六月吉日 奉賛会代表 加勢 彦四郎 選 文 森 哲四郎 石 工 矢沢 建 一 |
| 8 | 妙徳寺境内 遍澄の墓 |
遍澄は良寛さんの弟子といわれ、良寛さんを国上山から離れ、島崎の木村家邸内居住に尽力され、良寛さんの最期を看取ったといわれている。 |
| 7 | 島崎橋の脇にある 桑原祐雪家 |
桑原祐雪、祐順と2代に渡って交際があったことが書簡から伺える。良寛さんが島崎に移る前からのお付合いで、桑原家には度々通われていたようです。 |
| 6 | 繁慶寺境内 托鉢良寛像と脇碑 |
隆泉寺境内に建つ「托鉢良寛像」と全く同じ像、直江津出身の彫刻家滝川毘堂氏作 脇碑 遠山飛鳥絶 間庭落葉頻 寂寞秋風裡 獨立緇衣人 平成15年6月14日除幕 会報102号 |
| 5 | 和島村「上桐の 桐原石部神社」 歌碑 |
「この宮のみ坂に見れば藤なみの花のさかりになりにけるかも」 (加藤僖一揮毫) |
| 4 | 宇奈具志神社 「出田の宮」 詩歌碑 リンク(長岡市観光サイト) |
漢詩二篇、俳句一句、短歌三首 碑面 窓前芭蕉樹 亭々拂 雲涼 読歌又賦詩 終日坐之傍 七月十六日 何處消烝炎 獨愛出田宮 民々盈耳蝉 冷々出林風 當不留連波 多不流々末々乃 庭乃草 餘美當天々 和起轉所禮東者 奈計 禮東者 東者尓つ幾勢奴 毛乃耳處 安利気留 己所能安幾 宇つ之天有幣之 不知者可末 古能安散つ由耳 左閑利奈利計里 美者也之 美者也之波 以都久波安禮止 己之知奈留 美之末能散東能 以づ 流堂能美也 読み 窓前芭蕉の樹 亭々として雲を払って涼し 歌を読み又詩を賦し 終日之の傍らに坐す 七月十六日 何れの処にか烝炎(じょうえん)を消さむ 独り愛す出田の宮 民々耳に盈(み)つるの蝉 冷々林を出づるの風 倒るれば倒るるままの庭の草 よみたてて 分きてそれとは なけれども 永久に尽きせぬ ものにぞありける 去年の秋 移して植えし 藤袴 この朝露に 盛りなりけり み林 み林は いづくはあれど 越路なる 三島の里の 出田の宮 脇碑:加藤僖一氏 1999.3.30 建碑 (良寛37号 P142・38号 P136) この詩は亡くなられる前の年に作られたもので、この耐えがたい蒸し暑さをどこに行って避けようか、私は出田宮の境内でしみじみと涼しさを味わいたい。木々に留まっている蝉は耳を聾ずるほど鳴いているし、林を吹き抜ける風は清らかで涼しい。良寛さまは涼を求める場所として出田宮を好んだらしく、この詩にもその気持ちがうかがわれる。 |
| 3 | 島崎橋右岸の歌碑 | 島崎橋右岸 与市地蔵の左脇の歌碑 「我が宿を 訪ねて来ませ あしびきに 山の紅葉を たをりがてらに」 この遺墨は、木村家邸内の良寛美術館「維宝堂」(No.6参照)に保管されている。 |
| 2 | 木村家 木村家・良寛禅師遷化之地碑 良寛禅師庵屋跡碑 新潟・梅津昇氏のサイトにリンクしています。 維宝堂 新潟・梅津昇氏のサイトにリンクしています。 |
・良寛禅師遷化之地碑 木村家の門前に立っている。 木村家は幕末、官軍と長岡藩の抗争の時に焼き討ちにあった。しかし、土蔵だけは五十両の大金を出して焼かれるのを免れたという。その土蔵の中に多数の良寛の書が所蔵されており、今も木村家によって守られている。 ・木村邸内良寛庵屋跡碑 良寛さんが、約4年半の間過ごした庵室は、明治元年(1868)の戊辰戦争によって焼失し、庵室跡に碑が建っている。木村家は一般公開されておりません。 維宝堂 良寛さんの遺品や遺墨を納めてある土蔵で、木村家邸内の良寛美術館と称されているが非公開である。 |
| 1 | 和島村上桐 小黒家の歌碑 リンク(長岡市観光サイト) |
・歌碑 「あいびきの黒坂山の木の間より もり来る月のかげのさやけさ」 (参考:転萬理53号) 黒坂山は小黒家の庭から東の空にそびえている。托鉢に来た良寛はいわれるままにあがりこみ、酒をくみかわしているうちに、ふと見ると山の上に月がのぼりかけていた。この月を見ながら、ふと口をついて出たのがこの歌だという。 |
隆泉寺(1〜5)
| 5 | 隆泉寺 | 浄土真宗隆泉寺は木村家の菩提寺で、山本家の墓、良寛の墓、良寛の弟由之の墓が仲良く並んでいます。 隆泉寺参道前の石碑「良寛和尚墳墓之地」は相馬御風の書によるものである。 |
| 4 | 托鉢姿の良寛銅像 | 托鉢姿の良寛銅像 |
| 3 | 大蔵経蔵と碑 | 大蔵経蔵と碑 |
| 2 | 良寛禅師墓 | 右側に漢詩 「落髪為僧伽....」 左側に旋頭歌 「やまたつのむかひのをかにさをしかたてりかみなつきしくれの雨にぬれつつたてり」 (山たづの向かひの丘に小牡鹿立てり神無月 時雨の雨に濡れつつ立てり) |
| 1 | 山本家、良寛、由之の墓 | ・山本家の墓(向って右側) 右側の墓石には良寛書の「南無阿弥陀佛」と彫られている。 ・良寛の墓(中央) ・由之の墓(向って左側) 「由之宗匠墓」と刻まれ、短歌の上の句と下の句が、その右と左に彫られている。 「行水はととまらなくにうらふれて河原の蓬なにまねくらむ」 (行く水は止まらなくにうらぶれて河原の蓬なに招くらむ) |
良寛の里美術館
美術館には和島村の大矢家から寄贈された良寛遺墨と同館が購入した良寛遺墨や遺品を展示している。
| 16 | 館内の対面像から見られる 禅語碑 |
原文:「下有班白人 ■々讀黄老」 釈文:下に班白の人有り ■々(ろうろう)として黄老を読む 意味:松の下にごま塩頭の男が、黄帝、老子の書物を読んでいる ■は口偏に勞 (「大矢家の良寛」より引用) |
| 15 | 良寛の里前庭 「鉢の子」歌碑 |
はちの子は愛しきものかもいくとせか わが持てりしをけふ道におきてし来れば 立つらくのたづきも知らず居るらくの すべとも知らに刈り菰の思ひみだれと 夕星のか往きかく行き尋めゆれば とゝにありとてわがもとに人は持てきぬ うれしくも持て来るものかその鉢の子を 三島かく B324 |
| 14 | 外観 | |
| 13 | 玄関にある良寛像 | |
| 12 | 所蔵品 | ・六曲屏風 2双 ・貼交屏風 2双 ・掛軸 11 |
| 11 | 良寛と貞心尼面会像 | |
| 10 | 歌碑 | 「形見とて 何か残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」 |
| 9 | 唱和歌碑 | 「君にかく 相見ることの 嬉しさも 未ださめやらぬ 夢かとぞ思う」(貞心尼) 「夢の世に かつまどろみて 夢もまた 語るも夢も それがまにまに」(良寛) |
| 8 | 良寛と貞心尼面会場所想定庵 | |
| 7 | 良寛像 | |
| 6 | 詩碑 | 回首七十有余年 人間是非飽看破 往来跡幽深夜雪 一しゅ香古匆下 これまで生きてきた七十数年を降りかえってみると、それぞれが勝手にきめた価値判断に基づいてよい悪いを言い合うという人間の本性を見極めるのに、もう飽きてしまった。夜更けまで降り積もる雪で、行き来する道も見えなくなろうとしている。しかしただ一本の線香だけが、古びた窓のそばで、わたしの命をそれとなく示すように、ゆらめいていることだ。 |
| 5 | 良寛の歌道・遊歩道案内 | 土産物屋 ”てまり”の裏側 |
| 4 | 碑 | 碑面「交友莫争」 読み「友と交わるに、争うこと莫かれ」 B77P64 |
| 3 | 碑 | 碑面「善言懺 悔瞋不 釋菩薩 波羅夷罪」 読み「善言懺悔(ざんげ)するとも瞋(いか)って釋(と)けざれは、菩薩の波羅夷罪(はらいざい)なり」 B77P66 |
| 2 | 俗謡碑 | 碑面「ほむのすき たにちか らのないに まちる十五 夜にあめか ふる」 読み「盆の過ぎたに力の無いに待ちる十五夜に雨が降る」 B77P68 |
| 1 | 句碑 | 碑面「昨夜窓前風雨悪推倒和根海棠花」 読み「昨夜 窓前 風雨悪しく 推倒す 和根 海棠(かいどう)の花」 B77P62 |