臨時教職員の声 

実体調査アンケートなどといっしょに事務局に届けられたナマの声を紹介します。

 


 平成6年度のことです。

 それまでも講師経験はあったのですが、ボーナスの基準日があるということを知らずにいました。

 当時、語学留学をしていた私は、以前勤めていた中学の校長先生からの電話で「帰ってきてくれないか。」と言われ、3月30日にあわてて帰国。ところが、勤務初日に行ってみてビックリ。私を説得した校長は退職。主免許の家庭科(2年6クラス3年3クラス)以外に国語と体育(2年1クラスずつ)を持たされ、特殊学級の英語も・・・という状態だったのです。しかし、それらはさほど気になりませんでした(国語をのぞけば)。

 そして、勤務日をあと少しに控えた11月、私は初めてボーナスが出ないことを聞かされました。私の任用期間は11月28日まで。ボーナスの基準日は12月1日だから、ボーナスは一銭も出ないと。しかし、現実問題として11月29日に期末テスト、12月8日前後に成績交換(記憶に間違いがなければ)があったのです。もちろん、テストの出題は私だし、2学期の授業すべてを見てきた私が成績をつけるほかありません。しかも皮肉なことに、2学期は技術と家庭の入れ替えもあったので、技術の先生との打ち合わせなしに成績をつけることができない状態でした。校長は「強制はしないが(任期が終わっているのだからあたりまえですよね!!)、後の人が困らないようにしてくれ。」と一言。

 結局テストの採点、成績処理、引き継ぎなどで12月10日くらいまで学校に行かざるを得ない状態で、ボーナス支給日に明細が配られるのを指をくわえて見ているしかなかった私です。ひどいと思いませんか?

 また、平成8年度のことです。

 これは私の友人の話ですが、その友人は5月に結婚を控え、家にいましたが、学校から電話があり、「4月から1月15日まで講師をやってくれ。」と頼まれました。「結婚式や新婚旅行もあるし、その前の準備も大変なのでできません。」と断ったものの、「それでもいいから。」という校長の説得でその話を受けました。

 ところが、講師に特休はありません。5月の結婚式の準備、新婚旅行で年休をほぼ使い果たした友人は、風邪をひいても休めない。夏休み中、他の先生方が休みを取っていても出勤しなくてはならない状態でした。しかも生徒指導上の問題や進路関係(3年級外だったので)で毎日10時11時まで働いて、新婚早々だんなさんとけんかが絶えなかったそうです。結局、その後、講師はやっていないということです。

 最後に・・・。

 私はこの仕事が大好きです。子供との触れ合いは楽しくて、どんなに頭にくることがあっても、1つ良いことがあると忘れられてしまうほどです。できれば長い目で子供を見てあげたい・・・そんな気持ちです。講師の待遇が少しでも改善され、その分、子供たちと余裕を持って接することができたらどんなに良いことか。

 できれば 、講師を5年(10年?)以上やると、自然と教員になれる(採用試験なしで)なんて制度があるとうれしいのですが、それは虫の良すぎる話ですね。

( 20歳代 中学校勤務 )


 お手紙ありがとうございました。

 この手紙が職員室の私の机にのっていました。封筒の表に「・・・を求める会」を目にして、もう、うれしさとともに夢中で封を開けました。私はやっとこのような会ができたことを知り、本当にうれしく思い、心の中で涙が出るほどでした。

 私は現在41歳。大学を卒業後、毎年教員採用試験を受けながら、養護教諭、県事務員、級外、担任など、運がいいのか悪いのか、ほとんど切れることなく20年近くも講師をやってきました。20代の頃は、教師になりたいために必死で勤務校で働き、苦労は仕方がないなと思いながら、誰を頼ることなく自力でがんばりました。残念なことに試験は不合格ばかり。30代になってからは、他の会社へ、と何度思ったことでしょう。しかし、やっぱり先生になりたい気持ちが強く、いつかは合格するだろうとがんばり続けましたが、いまだにだめ。

 4年前のこと、願書の中に経歴を書く欄がありますが、このように長いことやっていると書く欄が少なくて困り、事務所の方へ問い合わせたところ、現在学校で書いている経歴の用紙をコピーして出しても良いとのことで、願書の中に一緒に入れて出しました。すると数日後、おしかりの電話がかかってきて、今までにこんなことをした人はいないと、強い口調で言われてしまいました。そして、事情を説明すると、まわりにいた人に聞いたのでしょう。「はい、わかりました。いいようです。」の返事でした。あやまりの言葉もありませんでした。その上、もっとひどいことには「もう年なので、受けても無理でしょう。」と、はっきり言われてしまいました。もうそれからというもの、受けても受かることはないんだとわかり、試験はやめました。本当にくやしさが増し、もう講師はやめようと何度思ったことでしょう。そして、私たちの若い頃は今以上に任用期間が短かったり、何日も奉仕で給料にならない日も出勤したりしました。これは今でもありますが・・・。

 20年以上やっていても退職金はなし。給料が上がらない。年休は少ない。それでいて他の先生たちと同じ仕事をする。本当におかしい、もっと講師のことを考えてほしいと思います。

 まだまだ書きたいことはいっぱいありますが・・・。

 このような会ができたことを本当にうれしく思います。できることは協力し、集会などがあるときには参加させていただきたいと思います。みなさん、がんばりましょう。ありがとうございました。

( 40歳代 小学校勤務 )


 私たちの思っていること、感じていることを知ろうとしてくださっていることを、とてもありがたく思います。  まず、私自身のことを書きます。新卒時に採用試験を受け、幸い合格しましたが、諸事情があり、辞退しました。講師歴10数年、2回の出産をはさみながらもその都度復帰できたことは、今思えば大変恵まれていたと思います。

 今年度、正月明けに校長から来年度も引き続き・・・と依頼があり、そのつもりでいましたが、今日、校長室に呼ばれ、県教委からの通達で来年度は講師なし、と言われました。1年契約の持つ意味の重さを痛感しています。この約束を承知でやらせていただいているのですが、時期的にもこの申し渡しは遅いと思います。

 私の場合、人間関係にとても恵まれ、職員室、事務室でもまわりから親しく声をかけていただき、いろいろ気づかってくださり、疎外感などは感じませんでした。むしろ、すべての方とつきあわなくてよい分、気楽だったと思います。生徒たちとは授業を通してのみの関わりでしたが、その中でできるだけ一人一人と接するよう心がけ、楽しく授業を進めていくことができ、満足しています。毎年1年間の授業の感想を書いてもらい、自分への励みにしていました。

 教員採用試験は受けていないので最近の様子はわかりません。ただ、教え子が中学の産休補助としてクラスを受け持ちながら受験し、3度目の試験では1次合格、2次不合格でした。職員の方々からも「信じられない。」と言われたそうです。特に面接では合格基準が曖昧だと思います。巷では「新卒有利らしい。」など根拠のない(?)うわさも聞きます。不合格理由をはっきり受審者に知らせることは大切なことだと思います。

 そして、行政側の望む教師でなく、あくまで生徒が望んでいる教師という視点で採用審査をしてほしいと思います。厳しいかもしれませんが、合格し、採用された後も、教師としてふさわしいかどうか、また、良い授業をするべく努力しているかどうかのチェックは必要ではないでしょうか。もちろん、上からの圧力ではなく、実際に授業を受けている生徒たちの判断を重要視すべきだということは言うまでもありません。

( 60歳代 高校非常勤 )


  筆記試験を受けて思うこと

 <筆記試験を受験して>

 教職に関しては、法規をおぼえなければならないのは仕方がないとする。しかし、本当に必要なものだけが出題されているのでしょうか?確かにすべてを知っているべきである。しかし、そのすべてが教師をしていくにあたって必要なものばかりでしょうか?  一般に関しては、静岡県史や数学、英語のことわざなどは必要な知識なのでしょうか?

 <面接、健康診断>

 面接官の方はとても大変そうですが、あの短時間に何を見抜くのでしょうか?  二次の時は集団、個人とありますが、あの精神的なきつさは何にもまして大きい。また健康診断も二次には必要ですが、13,000円から20,000円もかかるから、出費もきついです。たとえば講師の場合、健康診断を6月までに1度終わり、その後、2ヶ月してすぐにまた検査なのですが、その必要はあるのでしょうか?たとえは半年以内のものならば、以前に受けた検査結果の写しで良くなればいいのですが・・・。

 <採点基準、比重>

 私は、中学を1回、高校を2回受験しています。今年初めて二次まで行きました。しかし、何が良くて一次に合格し、何が悪くて二次まで行けないのでしょうか?来年度に向かって何をがんばればいいのでしょうか?

 今、講座に通っています。(文教学院教員養成講座;静岡市青少年会館で月2,3回)小、中、高、養と各先生になりたい方30〜40人で、元校長たちについて様々な勉強をしています。

 みんな不安です。筆記の勉強をし、面接、論文、模擬試験とあらゆることをしますが、講師も多く、先のこと(仕事)はわからないし、合格するとも限らないし・・・。採用試験に行くと10年も受験している方もいらっしゃいます。どうしても教師になりたいと、40を越えるような方も受けています。講師のわくが全くなくなるのも大変だけど、1クラスの生徒の人数を減らし、きめの細かい(生徒の心をつかむ余裕のある)授業ができるようになったらな、と願います。

( 20歳代 高校非常勤 )


 本年度のはじめに1年の任用予定で産休代替として就職しました。ところが産休の先生が臨月に入って流産なさってしまいました。そのため、私の任期が7月中旬、後1週間で終業式という時期に終了となってしまいました。1年の予定でしたので、父母にも私が講師であるということも話してなく(校長の考えでもあって)突然の担任交代に大騒ぎになりました。私としては無給でもよいからせめて後1週間やらせてほしいと校長に願い出ましたが、校長の立場でOKが出せるわけがありません。とてもつらい思いで子供たち、父母のみなさんとお別れをしてきました。

 年度の始めと終わりに関しては、担任教諭に限り講師を任用できる制度が整えられてきましたが、学期途中はそうはいかないようです。残りの1学期1週間をやられる先生も、子供たちも、父母も、そしてもちろん私も、みんなつらい思いをしたわけです。できれば、4月から1年の予定での任用であれば、出産が無事できない場合でも1年の保障をしていただきたいです。4月の段階で1年間担任するつもりですべての用意をするのですから。休まれていた先生は級外で復帰という形にすればいいのではないかと思います。それが無理でもせめて学期中は担任として働けるようにならないものでしょうか。  また、期間中の指定休25時間以上を任期終了までに消化するように言われましたが、面接、1週間前までの通知表の提出、引き継ぎ書類の作成に追われ、5時間とるのが精一杯でした。これに関しても納得がいきませんでした。

 それにしても採用の少なくなっている現在、産休、育休で休まれる方がいなくて、1年間の仕事をもらうのは至難の技ですね。採用が厳しくなっている近年ですが、現場で働いていると、「この人があの厳しい試験を合格したのか?」と思う人がいるのも事実です。形式的な試験よりも、経験を積んでいる講師の授業の様子、校長からの推薦状などで採用を決定するほうがよほどすばらしい人材が集まるのでは、と考えるのは私だけでしょうか?

( 20歳代 小学校非常勤 ) 


 私は、臨時教員として養護学校に勤めて4年目になります。昨年は中学部1年生の副担任でした。新しい学校で不安でしたが、自分も新入生のような気持ちでわくわくしていました。数ある仕事に戸惑いつつも、子どもたちはかわいく、充実した日々を過ごすことができました。

 いよいよ採用試験。知ってか知らずか、子どもたちは励ましの手紙を書いてくれました。いつもは重い足を引きずっていく会場も、熱い思いに支えられて行くことができました。ひょっとしたら今年は採用になるかもしれない。1年ごとに学校を変わることなく、同じ学校に勤務できるかもしれない。そうしたらこんなことをしよう、あの子にはこんなことがしたいと、希望は風船のようにどんどん膨らんでいきました。

 しかし結果は不合格。悔しいやら寂しいやら、複雑な気持ちで子どもたちの前に立つことはとてもつらいことでした。大きくなった希望の風船は、突然しぼんでしまい、いったい気力をどこから絞り出してきていいのかわかりません。なぜ毎年こんな思いをしなければいけないのか。私のどこを直したら採用になるのか、どんどんマイナス思考になっていく自分がいやになります。不安な気持ちを抱えたまま子どもたちに笑顔を向けることができず、今年こそは臨時教員をやめて安定した仕事に就きたいと、いくどもいくども思いました。

 講師として勤めていて今まで一番悔しかったことは、特別休暇をもらえないと知ったときでしょうか。職員会議で夏期休業中の勤務の話をしていたとき、全体の場でいきなり教頭が「あっ、講師の先生には特別休暇はないので、リフレッシュ休暇と夏季休暇はありません・・・。」がーんと金槌で殴られたようなショックでした。特別休暇がないということは、両親が死んでも年次休暇をとって行かなくてはならないのでしょうか。あまりのショックでキレてしまった私は、職員会議後に教頭に詰め寄り(気分はなぐり込み)、改めて調べ直してもらいました。結果として、弔休は、父母3日、祖父母と兄弟1日と、正規採用の半分でしたが、すっきりしません。仕事としては一人前のことを要求され、待遇は半人前ということでしょうか。

 私は、臨時教員の弱みは、存在感の薄さにあると思っています。教員に関してはいろいろな法律を調べることで、研修の取り方、勤務上の義務免除など、どんなときにとることができるのか調べることができます。(初任者研修の手引きを見るとよくわかります。)でも、臨時教員については、どこのどんな法律によって雇用されているのかもわかりません。地方公務員法第22条による雇用ならば6ヶ月以上の辞令は出ないはずですが、実際には1年間の辞令が出ているのです。静岡県にはどんな条例があるのでしょうか。そのあたりの何かすっきりしないものがある限り、私はここで働いていていいんだ、と胸を張って言うことができないと思っています。もっと安心して働いていける職場を心から望んでいます。 

( 20歳代 養護学校勤務 ) 


私は今年3年目になる講師です。

 1年目は産休による講師でした。2年目と今年は子どもの人数増による学級増で欠員補充という形での任用でした。

 1年目の時はそれでも4月1日からの任用だったのですが、2年目と今年は「始業式の子どもの人数を確認してから」の任用でした。いくら子どもが41名とわかっていても始業式当日の人数で決定されるため、私は去年も今年も始業式の翌日任用ということで、それまでは学校へ打ち合わせに行くこともできません。幸い、校長先生の計らいで始業式前日に来てもいいということにはなったのですが、公には認められていないことなので「内々に来てほしい」と言われました。道中の事故なども保障されないからです。

 始業式前日の職員会議にも出させていただきましたが、私は学級を担任することになりました。他の先生方は4月1日より学級事務をどんどん進めているのに、始業式翌日任用で打ち合わせもなしという状態ではかなり大変でした。また、分掌などの引き継ぎも十分されていないうちに分掌関係の出張があり、(任用されて4日目)打ち合わせに行く出張でしたが、正直言ってまったく何もわかりませんでした。(任用日についてもう1つ。私ともう1人の講師の方が今年、小学校で働いていますが、彼女は42人の学年の担任でしたので私よりも任用が1日か2日早いです。たった1人の違いでこうも違うのか、と思いました。)

 今までの3校とも小規模校のため、1人あたりの分掌数はとても多いです。主任を3つも持ったこともあります。即、戦力にならなければなりません。1年目は本当に使えない状態でしたが、周囲の先生方に助けていただいたり、指導もいただいたりしました。新採には本来指導教官がつくのですが、講師にはありません。これでいいのかなぁと思います。去年も今年も周囲の先生方はいい方たちばかりで、私はとても恵まれていると思います。しかし話を聞けば「講師」というだけで嫌な顔をする人もいると聞いています。自分もいつそんな所へ行くかもわかりません。

 また、これでも正規教員か、と思える「給料ドロボー」が数多くいる(?)とうかがいました。図工の時間に子どもは放っておいて自分は好きなものを作っている教師。成績付けのころになると学校を長期欠席する教師。どうしてそんな人が正規の職員でいられるのですか?子どものことを真剣に考え、取り組んでいる講師は山ほどいるのに!!「給料ドロボー」は案外、教職員の間では有名です。なのになぜそのままにされているのでしょうか?公務員だからといってクビにできないのは変です。今や社会は実力の世界です。やる気のない人は一般企業だろうが公務員だろうが、切るべきだと思います。

 そういった意味での採用試験の方法を長い目で見て考えるべきだと思います。(ペーパーや短時間での面接では人物は評価できないと思います。)だから、今の教員採用試験は教師としての適性を審査するのにふさわしくありません。現場に入ってからの評価も必要だと思います。

 やや感情的になった面もあるかもしれませんが、今、ぱっと思ったことを述べました。

  ( 20歳代 小学校勤務 )


 もう4年も講師をしています。  校長からは「1次を通れば何とかしてやる。」と言われました。少し複雑でした。1次(勉強)さえできればいいの?と思いました。1次が受かればあとはコネなんてひきょうです。それだったら1次(勉強)を無くして2次(人物)をしっかり見てほしいです。

 臨時講師の研修会に参加したとき、教育事務所の主事は「学校での勤務は教諭と同じ」と言いました。なぜ、待遇がこれほどまでに違うのにやることは同じなのでしょうか?納得いきません。その時参加していた人はみんなそう思ったはずですが、みんな採用をめざしています。下手なことは言えません。試験、採用をおどしにされているようなものです。

     ( 20歳代 小学校勤務 )


 「生命が誕生すること」それは女にとって、家族にとって最高の幸せです。まわりの誰からも祝福されて生まれてくるものだと信じていました。でも私は妊娠していることが分かった時、家族以外には誰にも話すことができませんでした。それは私は臨時教員だったからです。妊娠が分かった時、ちょうど校内では次年度の人事についての話題で持ちきりでした。そして臨時教員には校長からの面接、つまり引き続き同じ学校で講師として勤務できるかどうかの面談が行われていました。もしかしたら、妊娠していることで来年度の採用がなくなってしまうのではないかと不安でしたし、まわりの先生方に迷惑をかけてしまうのではないかという心配もありました。結局、私は講師継続が決まった四月末になって学校に報告しました。最近になって、周囲の先生方からも声をかけていただいたり体を気遣っていただいたり、中にはもっと早く教えてくれればと言ってくれた方もいましたが、私たち臨時教員にとっては任期を切られてしまうか、継続になるかは生活のかかった重要な問題なのです。

 また、私が以前勤務していた学校では、任期途中で妊娠を理由に退職しなければならなかった臨時教員の人がいました。ほとんどの同僚の先生方から祝福してもらっていましたが、中には「代わりの先生を探すなんて聞いたこともない。」と、本人を目の前にして非難していた事務職員の方もいました。もしも妊娠した人が講師じゃなかったら、こんな中傷を受けることもないし、当然隠す必要もありません。同じ臨時教員として本当に憤りを感じました。

 私は他県でも臨時教員として勤務していた経験がありますが、静岡県の良い所は臨時教員でも他の職員と区別なく同じように肩をならべて仕事ができること。しかし、その反面悪い所は、臨時教員という立場の人間に対するちょっとした気遣いが足りないこと。私は声を大にして言いたい。

 夏休・リフレッシュ休暇がなくて毎日出勤している私たちに「夏休みだというのに暇なんだね」なんて言うなー!

 6月途中で採用になった私たちの前でうれしそうに「ボーナス、ボーナス」と言ったあげく「いくらもらった?」なんて聞くなー!

 「私が子どもを産む時、また講師で来てね」なんて笑顔で言うなー!

 あなたのちょっとした言葉で私たちは傷ついてるんだぞー!

( 30歳代 養護学校勤務 )


 私は講師として勤めて2年目になりますが、半年失業期間があっただけであとは小学校で臨時講師として勤めることができました。講師の口をすぐにいただけたのはありがたかったのですが、やはり限られた期間しかできないことがいつも心に引っかかっています。また、試験日が近くなるとそちらにも時間を割り引かなければならず、授業がおろそかになってしまうのではないか、またはそう思われるのではないか・・・と不安になります。

 今まで勤めた学校では一度もそう言われたこともなく、逆に励ましの言葉をたくさんいただきましたが、保護者の中には不信感を持たれた方もいたようで、つらかったことがあります。正教員となればこんな思いをしなくてもいいのだろうな、と思うと、早く合格したいと思います。せっかく出会えた子どもたちともすぐ別れてしまわなければならないことも、臨時講師のつらいところですね。(いろいろな学校に行けるのはとても勉強になるんですけどネ。)

           ( 20歳代 小学校勤務 )


 実際、採用試験に合格しても、毎年何人かやめてしまうという話を耳にします。なぜそのようなことが起こるかが不思議でしょうがない!!

 受かりたいと思って何度も受けている人が合格せず、現役大学生がただなんとなく免許のために受け、合格してしまうというのが現状なのではないか?

 合格しない人は少しでも教員の勉強をしたいと思い、講師を希望し、いろいろな学校に短期間勤めながら勉強を続けていく。しかし、新しい学校に慣れた頃に任期が切れ、また他の学校に勤める。1年(364日)任期をもらえることはとてもラッキーなことだが、そう毎年うまくつながっていくものではない。私は昨年4回(3校)講師を務めた。その中で一番任期が短いのはたったの2週間!!前年度勤めていた学校であったことが幸いだったが、普通なら断る話だと思った。しかし、一度でも自分の所にまた話を断ったら次に話が来なくなってしまうのではないかという不安があるために断ることができない。県にとって、学校にとって、都合よく使われてしまうのが講師なのかと思うこともある。

 今年度から休暇日数が急激に減ったため、夏休みに用もなく学校にいることが何日もあった。2学期に何かあると困るからと、年休を残しておかなければいけないので、長期休暇も十分にとることができなくなった。  もう少し臨時教職員への待遇を考え直してほしいと思う。

            ( 20歳代 小学校勤務 )


 私が勤務している学校は毎年産休・育休があり、必然的に講師が必要とされます。地域も毎年のことでイラだちを感じている。毎年担任が途中で替わるからだ。それを、休む教諭は「仕方ない」で知らん顔。かわりの先生には途中から入り、親、子ども、教師たちの要望に応えなければならない。講師は他の先生と比べ重責である。一般の教諭が体験したらどう思うか?

 その上、本校の教諭は差別・偏見の固まりのような人が多い。平気で職員室で他の教師の悪口を言う。おまけに子どものことも。それにとどまらず、かわりに入る講師に向かって心ない言葉をはく。「講師だから・・・。」言い出したらきりがない。最悪である。さらにすぐに特休をとりたがる、イコール、かわりを求めたがる。教師は甘い。本当に甘い。こんな奴らのかわりに入る講師の先生は本当にかわいそうだ。臨時を無くした教育を一日も早く実現してほしい。

 講師にもいろいろある。採用されることを願っている者。アルバイト感覚で働いている者など。一生働きたくてもそれができず、苦しい日々を送っている教師がいることを教諭たちは知っているのか?

 日常、人権教育、同和教育と騒いでいると思うと聞いてあきれる。笑える。

             ( 20歳代 小学校勤務 )


 仕方ないと言えばしょうがないけど、毎年任用が決まるのは3/31か4/1。いつもギリギリである。3月といえば卒業式とかで胸がいっぱいになるかもしれないけど、私は次に行く学校が決まるかどうかで不安でハラハラしている。今の所は決まっているからいいが、今年はどうかと思うと正直今から不安だ。

 昨年度は退職者として離任式に出た。子どもたちは「新聞に載ってないのにどうして?」とか「今年先生になったばかりなのにどうしてやめちゃうの?」とみんなに聞かれた。3/30に退職したが、4/1また同じ学校に着任できた。正式には4/6、1年生の入学人数次第で首を切られるかもしれない。そんな中で5日間学校に行った。もし人数が少なくて首を切られた場合はただ働きなの?などとも思った。4/6、1年生の人数は大丈夫であり、1年間の任用が決まった。これは私にとって大変幸せなことだった。が、子どもたちには「何で?やめたのに・・・。」といろいろ言われた。やっぱり不安定で先が見えない。親にも心配かけている。 「このまま受からない試験を受け続け、講師としてやっていくのか?」「真剣に他の仕事を見つけていくべきなの か?」正直悩んでいる。けど、子どもたちの明るい笑顔を見てしまうと「来年も講師やりたいな。」と思ってしまう。

               ( 20歳代 小学校勤務 )


 アンケートの選択肢(特に1の(2))に、私が日頃から心より感じていることがいくつもありました。本当にそのとおりです。納得できないことばかりです。不安定な身分、待遇、それなのに、教室にはいればやることは他の先生たちとかわりがないのです。

 生徒にもいろいろ聞かれます。

  「先生は本当の先生じゃないだら?」

  「アルバイトみたいなもんでしょ?」

  「いつも来るの遅いら?」「もう帰るの?」「何で職員室にいないの?」  (職員室には私専用の机がないのです。)

  「月いくらぐらいもらえるの?ボーナスは?」  (非常勤講師にはそんなもの出ないのです。)

  「スキー教室には行くの?」  (つれていってもらえるのでしょうか?)

 講師は「お客さん」なのでしょうか?生徒たちから見れば他の先生たちと変わりないはずなのに、やっぱり  非常勤「授業だけ」というのは違うと思います。教育ってそんなものなのでしょうか?        

          ( 20歳代 高校非常勤 )


 講師としてでも、まだ仕事があるということはありがたいと思っています。しかし、次の話が決まらないととても不安な日々を過ごすことになります。安定していないということはとてもつらいことです。採用試験に受からなければこの状態から抜けることはできないのですが、「あなたのように講師をやってくれる人がいないと困る。」とか「年齢的にもう受かることは無理ではないか。」など、本人にとってはつらい言葉を言われ傷つくこともあります。ですが、悲しくなってしまいます。

 毎年、悩みながらもがんばるしかないと思い、働いています。講師と  努力が足りないと言われればそれまでして何年勤めても試験には関係ないと思うとつらいです。   

         ( 30歳代 高校常勤)  


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