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努力、努力の先に「自由」がある

「強く」なるほど「自由」になる

「自由」と「わがまま」は違う
                    
 ある新聞のコラムよりの一文)



文部科学省が2002年に導入した学習内容の大幅削減ゆとり教育。

この学習内容削減は明らかに学力低下を加速させることとなった。

実際教育現場に携わっているものなら学力低下に学級崩壊を改善すべく

今まさに必要なのは学力をつけさせ、自分勝手なわがままは許されないのだという

我慢を身につけさせる。忍耐力を要請するなど・・・そういった教育ではないのだろうか・・・。

と誰しも感じていることではないだろうか。

アメリカでは自由教育がもたらしている弊害に気づきかなり以前より、学力低下を取り戻すため

卒業テストを行う、多発する少年犯罪を抑えるべく手段として、制服導入、校則導入など

まさに以前の日本の管理教育を取り入れて、実際に成果があるとのことである。

にもかかわらず、日本はアメリカの失敗を見ているにもかかわらず、さらに現状を悪化さ

せる教育方針へと今なお、つき進んでいる。

現状に危惧する教育現場に携わっている人、大学教授などの声はさまざまな新聞、雑誌に

掲載されている。文部大臣、文部省の方々も当然目にしたり、読んだり、直接聞かされて

いるわけだが、未だマスコミへの迎合なのか、一度掲げた方針を早々に取り下げるわけ

にはいかないから、とりあえずごまかしながら突き進もうとしているのか。

とにかく将来ある子どもたちのことを真剣

に考えているとは思えないのである。

 

■ 努力するということを身に付けさせる ■

とかくゆとり教育といわれ、小学生ぐらいはのびのびと。という考えの親は

けっこう多いと思う。確かに "のびのび" という子供の姿を想像すれば

なにより!とも思うが、昔から言われている『よく学び、よく遊べ』の意味を

ふまえた上での "のびのび" でなくてはならない。が、最近の傾向を見ると

都会の一部では塾通いが加熱してるなど、遊ぶ時間もないなど、あるようだが

全国的に見てもそれはほんの一握りで、後は『よく遊べ、よく遊べ』

案外と小学生くらいの勉強は自然に身につくと思っている親は多いのでは

と感じるが、学力とは自然に身につくものではなく、練習を重ねないと身につかない。

『鉄は熱いうちに打て』と同様で、小学校低学年のまだ内容もやさしい段階から

基礎力というものは繰り返しの練習をさせ、少なくとも習熟の段階まで練習が必要。

繰り返し練習をするということは、一定時間机に向かい集中力が必要。遊びたいけど

今は勉強、TVを見たいけど我慢をする。これには忍耐力が必要。

では、これらのことを低学年の子供が自らその自覚を持ってやるか?

ごくまれにいるかもしれないが、多くの場合それをさせる、仕向けていく、指導していく

人が必要である。そしてきっちり基礎力を身に付けさせてこそ、その上の段階へと

本人もスムーズに進むことができ、理解できるから授業も面白い。そして

また勉強への意欲がでる。という好循環になる。

盲導犬、警察犬だって訓練しなければ、ただの犬です。

何事においても努力の積重ねが子供でも、大人でも必要なのです。

勉強をさせることは決して子供にとってかわいそうなことではありません。

むしろ、やりたいほうだいさせて、勉強はおろか、いつでもやりたいことを

思う存分やっていて、ふたを開けたら、中身は空っぽ。

それからあわてて、やらせても、勉強するという習慣も身についていなければ

勉強するということが苦痛で、しかたありません。本人にとってはただただ苦痛

となり、忍耐力もついていなければ、当然勉強などほうりだしてしまうでしょう。

そうならないためにも、やはり親は子供時代に、させるべきことをさせる。

勉強に限らず躾、常識、など子供時代からきちっと教え込む必要があると考えます。


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