(ある新聞の一こまより)
「自由」だから学校へも行ける。勉強ができる。 それを反対に「不自由」ととらえるところに、大きな錯覚がある。 今も世界には「勉強がしたい!」と血をはく思いで叫んでいる子供たちがいる。 「自由」と「わがまま」は違う 「わがまま」になる自由があるという人もいるかもしれない。 しかし、自分の「自由」を「わがまま」とは正反対の厳しい訓練や 人々への奉仕に使う人も、いっぱいいる スポーツ選手なども毎日すごい訓練をしているわけです わがままでは強くなれないですから・・・・。 「強くなる」「できるようにする」ということが「自由」の条件なのです。 サッカーでもボールを自由自在に操られるようになるには、練習、 練習、練習です。英語など外国語も練習を重ねて、はじめて 「自由」にしゃべれるようになる。つまり「能力」が人間を「自由」にするのです。 その「力」を勝ちとって自分のものにした人が現実に「自由」になれるのです。 訓練し、努力して身に付ける「自由」。 これは権利としての「人間は生まれながらにして自由」とは別です。 “能力としての自由”と呼んでもいいかもしれません。 要するに、努力して、知識や技術を身に付けるほど、人間は 「自由」になっていくということです。
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