● ××新聞 2000年2月 論壇より―軍事評論家・記 「我慢」のしつけ 最近の少年犯罪事件に関して、テレビ局が取り上げてその動機を議論しているが、 筆者は子供(今の大人も同じ)に我慢強さがないことが 根底にあるのではないかと考える。 子供に対する姿勢=子供の教育について、家庭、学校、宗教、社会教育等の別が あるにせよ、要は子供をどう見るかに懸かっている。この点で、戦後のわが国の教育 は日教組ではないが、子供は天性をもっているのだから束縛せずそれを伸ばしてやる ことが真の教育だと考えてきたように思う。ところが欧米の真の教育は違う。子供、おお むね10歳くらいまでは、社会生活のルールについては動物と同様何もわからないのだ から、大人が躾ていかなければならぬとする。教えるだけでなく罰も与えるのである。 公園の芝生に入る子供を通行人がしかりそれでも聴かなければ耳を引っ張って連れ 出す。電車で子供が座っていると年寄りが、立ちなさいと言って矯正する。 ・・・・・・・・・( 他 ・一 部 省 略 ) 要するに道理を教えるのだが、聞き分けのない年頃なのだから、罰を与えることによって 事の善悪を認識させるのである。ちょうど犬を躾けるのと同様である。良くできれば褒め できなければ罰することによって、初めて犬は我慢することを覚える。 人間の集団生活においては自分の好きなように事が運ぶわけではない。社会の習慣 友人や上司の意見によって気に入らない内容にも適合していかなければならない。それを 我慢することによって円滑な社会活動が営まれ、そこから新しい活力も生まれるのである。 親や先生の義務 児童を矯正する義務=わが国では親も先生も児童の人権尊重を理由に、子供の非常識 に対して何の罰も与えないことが多い。民法722条には「親権を行う者は必要な範囲内 で自らその子を懲戒することができる」と明記し、また学校教育法第11条は「校長及び 教員は教育上必要があるときは(体罰を除いて)懲戒を加えることができる」としている。 しかも子供の権利主張の根拠とされる「児童の権利に関する条約」には、その第5条で 「父母等の責任、権利、義務の尊重」として、「児童の発達しつつある能力に適合する 方法で、適当な指示及び指導を与える責任、権利及び義務を尊重する」と書き、さらに 第18条では「父母の共同責任」として「児童の養育及び発達について第一義的な責任 を有する」と明記している。この条約に言う児童とは、18歳未満であって高校生まで 含むのであるから、子供の段階に応じて対応が異なるのは当然である。 ・・・・・・・・・・・・( 一 部 省 略 ) 躾の中で、極めて大事なのが我慢、自制心であろう。しかられてすぐ「キレル」という 今時の子供、上司の小言にすぐ反発する青年たちは、世の中は互いに我慢し合って こそ成り立つことに気付かない。この事が多くの事件を起こす原因ではないか。 自制心の養成と言えば難しく聞こえるが、要は我慢のしどころを教え、ある意味で 強制することである。幼児から家庭でわがままを躾け、学校に行けば集団生活の中 で自分の好み通りにならないことを覚えさせることにより、我慢する気持ちが子供の 身につくように指導することが親や先生の義務であることを銘記すべきであろう。
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