● ××新聞 2001年2月 論壇より―軍事評論家・記 「先生の権威の回復を」 わが国では、教育に当たっては児童や生徒の自主制を尊重して、外から何事も強制してはいけない、との思想が蔓延しているように見える。 ・・・・・・・・・・・・・・・・( 一 部 省 略 ) 教育とは、辞典によると、「一定の方法で一定の期間継続して及ぼす影響」であるから、結果が必要である。子供の自由を尊重するばかりで教育効果が挙がらなければ、真の教育とは言えまい。そのためには先生の権威を回復することである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・( 一 部 省 略 ) 躾には心理的強制 =学業にしても、現実に宿題や試験を強制しているのだから、児童の躾につ いて放任してよいはずがない。現在は児童(18歳未満)の延長として高校でも大学でも概して野放図 を見逃しているから、社会に出ても上司に朝の挨拶さえできない、企業の方針として新入社員を自衛 隊に数日入隊させて規律を教えようとする会社があり、結果は、朝の挨拶から仕事のやり方まで変 わったと会社の責任者が喜んで語っている。これも隊内でそのように強制して教えるからである。 強制というと直ぐ体罰に短絡する人がいるが、全く関係が無い。確かに旧軍にしても他国の軍隊に しても、身体で覚えさせる、あるいは敵よりも上官を恐れさせる意図から体罰を課した。 しかし現在そのような軍隊は殆ど無いであろう。身体に直接加える体罰ではなくて、厳粛な雰囲気とか 集団への恥ずかしさとか、あるいは権威を持った先生の叱責等心理的に強制するのである。 外国では、校長室に呼び出されるだけで生徒は深刻に反省する。 学校で運動部に所属した者は、運動部の先輩にしごかれ、能力的にも叶わないから、必然的に 服従心が養われる。料理人の修行もコック長から随分ひどく扱われるうちに、自らその道に導入され るらしい。相撲でも下位の弟子は練習時にこっぴどくやっつける。今でも残る徒弟奉公はすべて強制 手段を行使する。道徳的に西も東もわからぬ児童に対しては、強制して人の道に従わせるのが 教育の目的であろう。 愛国心は教育内容による =各国の世論調査によると、どんな国の若者でも5割以上は自国の ために生命を捧げると答える。ところがわが国では概ね1割に過ぎない。自国を立派な国だと誇りに するところに、その麗しき伝統を守ろうとする情熱が湧く。 これに反して日本の教育は、わが国は間違っている。 戦争もこちらから仕掛けた侵略であり、戦闘の際には暴虐の限りを尽くした憎むべき国家だ、 と教え込むのだから、児童の心に、そんな悪い国に執着する必要はないとの気持ちが育つのは 寧ろ当然の帰結であろう。だからこそ、戦争になったら逃げるとの国民らしからぬ答えが多いのだ。 国民の誇りを生む体制に 戦前教育への回帰は不可だと言うが、命令調でなくとも教育のやり方一つで、祖国愛は生まれる はずである。今の状態では、わが国は外圧からではなくて国の内部から崩壊する虞がある。 少なくとも、日本国民としての誇りを教え込むこと、人間としての躾を覚えさせることが焦眉の急で 現状の放任教育では不可能である。児童の人権云々という美辞はいわゆる先進国でも励行されては いない。それどころか、少なくとも10歳くらいまでは動物と同じだから、躾を強制しなければならぬ、 との暗黙の民意があるようだ。自国の人権を謳い上げるのは、生真面目な国を骨抜きにしようとする 国際的陰謀に類するのではとも邪推される。 人種差別撤廃を叫んでいる国程、現実には差別が大きい。他国の選挙の不公正をなじる米国の ずさんな選挙態勢を見るが良い。外への宣伝と内実とは大きな違いがあることを知らなければ 宣伝謀略の飛び交う世界に伍しては行けない。国内政治でも綺麗事は言葉の上で、現実には邪悪が 渦巻いている。教育基本法は理念の上澄みだけを拾ったもので、一部の進歩的人士んp言うが如く 文面通りを世界共通規範と考えるべきではあるまい。 心理的強制のないところに人間教育は存在しない
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