●精神科医/和田秀樹 著 「受験勉強は子供を救う」の第1部、第1章一部抜粋 ◆受験勉強は「こころ」に悪いのだろうか◆ 子供に過酷な受験勉強をさせたくない、または、させるべきではないという意見が日本で 根強いのは、受験勉強によって、性格が悪くなる、ノイローゼや登校拒否、家庭内、校内 暴力の原因になるといった、子供のパーソナリティーや精神病理に対する悪影響を懸念 してのもののようである。 私は精神科医の1人として、こういった「思い込み」は精神医学的にも、統計学的にも何ら 根拠のないものだということを本書の前半で検証したいと思っている。「子供の頃から、勉強 ばかりしていると、人間的におかしくなる」と言われると、感情論としては、なんとなく正しい気 がするが、少なくとも、理論的にそう断言できるような根拠はない。だから、受験勉強をさせる あるいは子どもが自発的に受験勉強することが(少なくとも思春期の子どもを自由放任にし ておくのに比べて)、人間のパーソナリティーの発達にどのような影響を与えるのかを、もう 少し科学的、実証的に検討してみる必要はあるだろう。 まず第一に言いたいのは、受験勉強が、精神医学的に見て、精神的な障害(ノイローゼや パーソナリティーの障害を含む)の「原因」になるということは根拠がないということである。 プロローグでも述べたように、アメリカではダニエル・オファーという精神科医が大規模な 調査を行って、思春期に混乱を起こした子より、優等生型のこの方が、精神科的な予後 がいいという結論を出している。受験勉強の厳しい日本の方が、それをはるかに自由に しているアメリカと比べて、思春期の子どもの何らかの精神科的な障害が多いわけでは ない。受験勉強悪玉説では、日本の高校生の過半数が受験勉強をやっているのに、 明らかに受験勉強によって障害を起こしたという子どもの事例が、そうでない子どもの じれいより、あまりにも少ないという事実を説明できないのだ。 確かに、現代は、登校拒否やいじめその他、昔と比べて子どもの精神病理は確実に悪く なっている。これは受験勉強が昔以上に厳しくなったからだという主張も多い。しかしながら この仮定は前提に問題がないだろうか。受験戦争が最も激しく、厳しかったのは1960年代 から70年代の前半までで、それ以降はむしろ競走回避の方向に向かってきているのでは ないかということも、現状から帰納的に検証しなければならない。 さらに、この競走回避志向を生んだパーソナリティーの変化―シゾレフ(分裂病型)人間化 について、少し考えてみることにしよう。 以上 「受験勉強は子どもを救う」 和田秀樹 著 河出書房新社(P.16)に続く ◆受験勉強=悪玉論を検証する◆ 現代日本の社会の中で、大きな問題、特に少年層がからんだ問題が起こるたびに、 必ずと言っていいほど、その「病因」としての受験勉強が社会病理学的に語られる。 オウム事件で高学歴の信者が多いとみるや、偏差値教育の弊害が語られ、薬害エイズ 問題では、東大生卒の厚生省の官僚と無責任な大学教授が槍玉にあげられ、 エリート体質の問題がたたかれる。住専にからむ大蔵省の問題、いじめ問題もしかり で、こうしたことをすべて受験勉強、学歴社会の問題にすりかえることで、すべてが 解決されそうな勢いで論じられる場合すらある。 しかし、目を外国に移すと、どうもそのような受験勉強悪玉論だけで、ことの解決につな がるように思えない。受験勉強がすっかり緩和された、日本の見本というべきアメリカが 経済の停滞のにあえぐばかりでなく、思春期の子供達のメンタルヘルスの悪さは目を おおわんばかりのものだ。一方、日本に見習ったのか受験勉強がどんどん厳しいもの となっている東アジアの国々は、経済的には世界の成長せんた-となっているだけでなく 思春期の子供達のメンタルヘルスは、少なくともアメリカどころか日本と比べても大きな 問題となっていない。 ここで全ての責任を受験勉強に負わせるのでなく、もう一度、受験勉強=悪玉論 の背景になる論拠がどういう意味を持つのかを検討すべきではないだろうか。 よく考えてみると、いろいろな社会問題が起こる昨今において、本当に受験戦争が 年々熾烈なものになっているかというのは大変疑問の残るところである。 以上 「受験勉強は子どもを救う」 和田秀樹 著 河出書房新社(P.19)に続く
|
目次のページへ
表紙へ戻る
読み物の目次へ
ぺージのTOPへ