短編集 〜Short Stories〜


雨音の記憶 〜出会い編〜


 ザアアーー。
 雨音が響き、遠くの方で雷が鳴っている。
 窓に打ち付けるバチバチという音が、その雨の激しさを物語っていた。
 あるアパートの一室。
 その部屋の住人である水代 留美が、部屋のドアを勢い良く開け帰ってきた。
「あーもう、ひどい雨。急に降って来るんだもん」
 頭からびしょぬれになったまま一人愚痴る。
 そして、そのまま急いで洗面所に向かった。
「まったく、最近の天気予報って当てにできないんだから」
 再度、愚痴を言いバスタオルで髪を拭きながら窓の方を見る。
 そして、ベランダに掛かっているテルテル坊主に目をやり、忠告するように話し掛ける。
「この雨、ちゃんと止ませてよね。明日は大事なデートの日なんだから」
 テルテル坊主に指を刺して言った後、間をおいて少し恥ずかしそうにしながら、再び髪を拭き始めた。
(そういえば、あの日もこんな雨が降ってたっけ・・・)



――四ヶ月前。


 街全体を黒い雲が覆い、毎日のように雨が振る。
 時期的にあまり好まれない梅雨。
 この日もその雨が滝のように降っていた。
「あーあ、よく振るなーこの雨。勉強する気もなくなっちゃうわ・・・」
 大学の廊下を窓の外を見ながら留美は呟いた。
 そして、不機嫌そうな顔をしてため息を吐く。
「だいたいこっちの身にもなってよね。湿気が多いから寝癖が酷くて大変なんだから・・・」
 ブツブツと愚痴り、次の講義のある教室に向かう。
「後ろの髪の毛、跳ねてるぞ」
「え、え、ちょっ、うそでしょ?」
 突然の声に驚きながら、髪の毛を慌ててチェックする。
「う〜もう、恥ずかしいな〜。今朝ちゃんと直したつもりだったのに〜」
 窓に映る自分の姿を見て、いろんな方向に顔を向け寝癖の場所を探す。
「ぷっ・・・あはははははは」
「・・・?」
 廊下に響く笑い声、その声の方を見て留美は大声を上げる。
「あーー! み、三谷さん?」
 留美の指差した先には、腹を抑えて笑っている三谷 真夜の姿があった。
「いや、悪い、水代。冗談のつもりだったんだが、まさか本気で慌てるとは思わなかった・・・」
 必死で笑いをこらえる。そこへ留美がつかつかと歩み寄ってきた。
「三谷さん! 冗談にしては酷すぎますよ!!」
「ああ、すまん、悪かった。しかし、面白く反応してくれたな・・・」
 留美の一喝にも懲りず、再び笑い出す真夜。
 留美は少しあきれた顔でさらに一喝。
「三谷さん、笑いすぎ・・・」
 笑いをこらえながら左手を顔の前に出し‘すまない’とジェスチャーをする。
 そんな真夜を見て‘まったく’といった感じのため息を吐く。
「もう・・・あ、私もう行きますね。講義に遅れたくないから・・・」
 ふと腕時計を見て、講義の時間が近くなったのだろう。
 少々慌てた様子で教室へ向かおうとした。
「あ、ちょっと待ってくれ」
「まだ何か〜?」
 踵を返すと同時に真夜が呼び止めた。それを聞いて嫌そうに振向く。
「そんな嫌そうな顔をするな。実はちょっと頼みたいことがあってな・・・」
「何です? 頼みたいことって」
「たいした事じゃない。バイトの時間にちょっと遅れるから、その事を店長に伝えてほしいだけだ」
 真夜の言葉に少し間を置き、少し困った顔をして。
「・・・解かりました。で、どれくらい遅れるんですか?」
「そんなに遅れないさ。長くて30分位かな。」
「何か用事でもあるんですか?」
 留美の質問に視線を外し答える。
「うーん、ま、そんなところかな・・・」
 その答えに少々疑問を抱くが、聞いたところで答えてはもらえそうもない、と態度が物語っている。
 そう考えた留美は、聞きたい気持ちを抑えて返答する。
「そうですか。店長にそう言っとけばいいんですね?」
「ああ、頼む・・・」
 外に移した目線を再度、留美の方へ向け少しほっとした様子で答える真夜。
「それじゃ、私はこれで・・・」
「またな・・・」
 手を振るような仕草を見せ留美を見送る。
 そして、姿が見えなくなったところで真夜は携帯を取り出した。
「さて、次は――と」
 携帯を操作し電話をかける。
 三回ほどコール音がした後、相手がでる。
―もしもし・・・
「よお、ちゃんと勉学に励んでるか?」
―あのな、同じ大学にいるんだから、わざわざ電話しなくてもいいだろうが・・・
「そう言うなよ。探すのが面倒なだけだ」
―・・・で、何のようだ?
「ああ、ちょっとな・・・」


 遠くで雷の音が鳴り、雨音も酷くなり始めた。
 店内に流れている音楽よりも雨のほうが気になっていた。
 大学の講義も終わり、すでにバイト先に来てレジカウンターにある椅子に留美は座っていた。
 厚い雲に覆われた真っ黒な空を稲妻が走る。
 女性客が‘きゃ’と悲鳴をあげる。
 そして、数秒後にすさまじいまでの雷の轟音。
「おい、今の絶対落ちたぜ」
――と男性客達が喋っている。
 そんな中、留美はただぼんやりと窓の外を見ていた。
 聞き取りづらい音楽に耳を傾け、今日バイトが終わってから家までの道のりをこの雨の中通らないといけない事に憂鬱を感じていた。
(ほんと、早く明けないかな。梅雨・・・)
 などと考えていると、店内に来客を告げるベルが鳴る。
「いらっしゃいま・・・せ?」
 元気よく来客の挨拶をしながら来客者を見て、びっくりし声のトーンが下がる。
(うわあ、大きな人。・・・何センチくらいあるのかしら)
 留美が思った通り、その男性客は大きく日本人としては規格外の体格だった。
 男性客の大きさに驚いていると、後ろから聞きなれた声がした。
「よお、水代」
「え、ああ、三谷さん。用事はもう終わったんですか?」
 留美の質問に店内を見回しながら答える。
「あ、ああ、バイトに遅れた用事なら終わったんだが・・・」
「なにきょろきょろしてるんですか?」
「ん、いやちょっと人をな・・・お、いたいた」
 真夜の見ている方に目を向ける。
 そこには先ほどの男性客の姿があった。
「おおーい、稔。こっちだ」
 真夜の呼びかけに気づいた男性客が歩いてくる。
「おせーぞ、真夜。さっきといい今度といい、何時まで待たせるつもりだ?」
「すまんな、ちょっと店長に挨拶してたからな・・・」
 二人が会話している間に留美が入ってくる。
「あのー、三谷さん。お友達ですか?」
「ああ、紹介するよ。宇田川 稔、同じ大学の一年だ」
 真夜の紹介を待って「どうも」と軽く一礼をする。
 それに続けて留美も軽く会釈をした。
 顔を上げた途端、稔と目が合う。
(ほんとに大きな人。何かスポーツでもやっているのかしら・・・)
 などと考えていると真夜が声をかける。
「まあ、同じ一年同士仲良くやってくれ」
「は・・・?」
 突然、何を言い出すのかといった感じで聞き返す留美。
 真夜が笑みを浮かべながら二人の肩をポンポンと叩く。
「稔、彼女を家まで送ってやれ」
「・・・お前、まさか・・・」
 真夜の考えに気づいたのか、稔は怪訝そうな顔をする。
 それを見て真夜は再度、笑みを浮かべる。
 留美はさっぱりわからない様子でその場で固まっていた。
 時間にしては、ほんの一瞬して我に帰る。
「ち、ちょっと三谷さん。何を言っているのか解かりませんけど、私まだバイト中・・・」
「ああ、それなら心配ない。ちゃんと店長には言ってある」
 留美の発言にさらっと答える。
 そして二人の背中を押しながら、
「後は俺一人で大丈夫だから、今日は稔に送ってもらえ。解かったな?」
「え、ちょっと三谷さん・・・」
 留美の言葉に耳も貸さず、店の入り口へと押しやる。
 その場で留美の荷物を渡して手を振って見送る。
「じゃーな、稔。ちゃんと送ってやるんだぞ」
 そう言って店のドアが閉まる。稔は手を額に当てて悩んでいる。
「いったい何なの? 何がしたいの三谷さんは・・・」
 留美は呆然と立ち尽くしていた・・・

 空に閃光が走る。
 遠くで雷の音が鳴り、雨脚も弱くなり始めていた。
 留美が稔に出会った日。
 それは余り好きではない梅雨の時期の事であった。


つづく。
 


 

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