初期型デジカメは、銀塩(フィルム)カメラには遠く及ばないしろものだっ
たんだ。当時のパソコンも、今のもの(ギガマシン)と比べようったって、 はっきり言って別もの。こと画像に関しては次元が違っていて今の現状 を、当時のパソコンファンにでさえ話したって、おさるさんに話しているよ うなものだろうなあ。
当時のアマチュアカメラマンは、バブルの余波で、高級ブランド志向。
中高生が50万円以上のレンズでアイドルの追っかけ生写真が主流とい
う、金と力、銀塩カメラ花盛りの時代で、猫も杓子もマニュアルだあオー トフォーカスだあ。そんなファンにささえられて、地方カメラ店も潤ったん だね。一部の店員の横柄さもこの先どれだけ我慢しつづけなければな らないのかなと思うほどだったなあ。夜明けは遠いってもんだね・・・しか し、後にデジカメを発展させるベースとなるパソコン革命がおきたんだね ー。誰でも知ってるWindows95フィーバー。それから数年と いうごく短 い期間に”あっ”という間にパソコンが普及してしまったったんだよ ー。 みながWin'95パソコンを知る事になっちゃう。私を含めフィーバーにの ってパソコンを買ったかたも多いんじゃないかなあ?。
さて話は変わって、デジゴンは以前からモノクロプリントは自家処理をし
ていました(1972か1973年フィルム現像、1974プリント)。モノクロの自 家処理をしている人が考えている事に、「カラ ーでもイメージどおりどう りの仕上がりが得られないかなー」ということ。 そんなわけで、カラーに も手を出し始めたんだ。1978年に本格的カ ラープリントは経験済みだっ たから、いつかは、それとほぼおんなじ位 にしたいと考えたんだ。実現 するには部屋ひとつ使うこと、2階に水道を引かなくてはなんない、部屋 が汚れる。何より苦労して機械を導入し て、本当に自家処理で自分の 思いどうりの仕上がりになるのか。などな ど。いつかは本格的なカラー 暗室をつくるぞう!との思いは、もんもん と、めぐらせつづけていたんだ よ。90年代も半ば、いつもの書店でMAC にてカラー自家処理(コンピュ ーターによる画像処理)する記事を立ち読みした。ケミカル処理にこだ わった20年来の考えをすて、もいちど 画像処理を仕事としていたときに 思いきって頭のスイッチを切り替える ことにしてみたらどーかなと思っ たんだ。再びパソコンの本をかたっぱしから読む事から始めた。画像処 理に使 えるパソコンは、たかーい。少しでも安くしたいと自作を考えるこ とにな るんだよね。でもMACはWinマシンに比べ自作しにくいこと(手 引書が 少ない)、また今のMACと違って、デザイン的にださいから、パ ソコンア レルギーの不安が・・・さらにさらに出力は、出たばかりのPM 700Cでは ピクトログラフィーなどの(デジタル銀塩プリント出力機)もの とは、まだ 比較になんない、まだ手を出さずおもいとどまってしまったん だ。
話をデジカメに戻そう。知ってのとおり、その後もWidowsパソコンのど
とーの勢いはとどまる事を知らないんだ。印刷業界のデザイン部門の テ クノロジーの革命的発展となった画像処理装置(1980年頃のイスラ エル 製レスポンス:デジタル画像処理で画像合成した当時新横綱千代 の富士のサーフィンがNHKニュースで紹介されたりした)その機能さえ、 あっさりと中型コンピューターからディスクトップ・パソコンに引き継がせ てしまったあの無敵MACを、消滅の危機に追い込んでしまったのだか ら(その中型コンピュータ ーの入力を過去経験してたんどえす。今はM ACはデザイン一新。消滅の危機を脱した感あり…)Windowsパソコン に気持ちが動いてしまってもいいかなと思った(MACからWinに浮気す ることはひきょうものという記事もあったのよ、MACはもってなかったけ ど)。良くも悪くも、Windowsパソコンは、いまだに超高性能化と低価 格化をくり返しつつ時代をリードしているしさ、それにインフラというの か、インターネットがモバイル、ネットワーク関連などを包含しつつ、パソ コン周辺環境は今も発展しつづけ爆走中だし…それに比べて、けっこう とんがってたと思ってた写真業界って意外と保守的なんだね。
あらためて写真ギョーカイも本格的にデジタ ル化せざるを得なくなって
きて、遅ればせながらやっと普及機にもまとも に使えそうなものが登場 してきた。というのがデジゴンの感想どえす。
「画像は情報である」が持論ですが、(芸術家がカメラを持てば写真は
芸術作品ですが、広い意味で情報だと思う。) 情報網と転送システム な ども含めIT革命の土壌は着実に進歩しているのに比べ、待ち焦が れた”使える”デジカメは、フィルム・カメラメーカーとの調整のためか、 おくればせながらも、やっとパソコン周辺機器並に、年々新商品 が開 発されるようになった(’01年時点)。一面ではいいことにはちがいない し、いい時代にめぐり合わせてうれしくもあります。しかしそれは、1960 年代後半頃の日本の産業時代を牽引した革新さとは対照的な、斜陽性 をも含んでいるようにも思われるのです。なにせ子供だったので、「日本 の技術はすごい」との親の言葉の記憶しかなく、臨場感に欠けるもの の・・・。また今ではあたりまえでもある日本の機械産業ですが、高度成 長期の産業を代表する、自動車や銀塩一眼レフカメラなどの高級商品 が、(それまでは海外商品の超高価なものしかなく手が出なかった)Ma de in JAPANというトップブランドとして、一気にともいえるぐらいの 勢いで民間に普及し始めた。(写真界では、日本人初のアメリカ・ライフ 社のカメラマン三木 淳氏なくしてありえないが)今のパソコンをとりまく 産業は、その頃の、開発改良によるモデルチェンジの繰り返しを彷彿さ せるもので、当時と同じ事がパソコンで起きていると言ってもいいので はないかと思います。はっきりした違いは、保守的であり、今の景気は デフレなのだが・・・。ともあれ1999年5月にとうとうデジカメを買った。割 安感のあるパソコン周辺機器のなかでは、まだまだ助走段階であり、普 及型機とは言うものの高価である。しかしフラットヘッド・スキャナーで読 み取りできないサイズの原稿用に使える。移動が簡単なスキャナーの 代わりになる。メモがわりにもなる。何よりデジカメのホームページが作 れる。デジカメ雑誌の記事などで検討した結果、現時点(’99)で普及型 デジカメでも十分である。ということが購入理由です。出たばかりのエプ ソンCP-800が、かつての名機ミノルタCLEとだぶって見え、コンパクト フラッシュ32M込みで10万円程でした。今となっては少々割高だが、使 いこなすにはパソコンやソフトなどのノウハウもあることなので、デジカ メ入出力および修正加工の経験時間的経過を考えるとよっかたと思う。 2年たった今も充分使えるし、後悔はない。パソコン関連は進歩し続け ているので、当然といえるのかもしれないが・・・思えば初めてカメラを 手にしたのは1970年。「大阪の万国博覧会開催年」小学6年生の万博 修学旅行に簡単なカメラを買って持たせてくれたことに始まる。わが班 名「ゴンタ班」の文字と犬の漫画をあしらった手作りの旗をなびかせ、ぴ かぴかのカメラをもう一方の手に颯爽と大阪に乗り込んだ思いを胸に、 また新たな旅行がはじまっている。 |