MIKHAIL
   KARASIK





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ミハイル・カラシク

リトグラフ

МИХАИЛ КАРАСИК
ЛИТОГРАФИИ


1980年代中期の5年間、私は毎年夏になると中央アジアへ旅に出か
けていました。既に20世紀の初頭から多くのロシアの芸術家たち
(パーヴェル・クズネツォフ、アレクサンドル・ヴォルコフ、アレクサンド
ル・ドレヴィン、クジマ・ペトロフ・ヴォドキンなど)にとって、アジアは憧れ
の土地でした。東洋、エキゾチズム、古代アジアの都市、サマルカン
ド、コーカンド、ヒヴァ...、そこでの生活はモスクワやレニングラードでの
ものとは全く異なるものでした。

この中央アジアへの旅が、私の創作に強い影響を与えただけでなく、
私にとって最も幸福に満ちていた時間であったと、今では断言すること
ができます。山々や集落の数々を巡り、多くの人々と出会った後に、
灰色で寒いレニングラードに戻ってくると、次の夏までのまる1年間、
暖かなアジアのことばかりに思いを巡らせ、思い出の中のアジアを
水彩で描いたり、リトグラフを製作していました。

この時期のものの一つに”動物の解体”という題のシリーズ作品が
あります。これらは何枚かの白黒や色彩のリトグラフからなるもので、
後の1988年には同名のリトグラフ・アルバムを作り、そこには自分の
文章も添えました。


  注:ここでの版画、文章ともある意味、かなり刺激の強いものです。
  次のページからは全く大丈夫ですので、宜しければにお進み下さい。


”動物の解体”


大きなプラタナスの木の下に、ドストルハン(ごちそうや食べ物を置くた
めのじゅうたん。)が敷かれ、枕や毛布がまわりに置かれていた。我々
はお茶に招かれていた。中庭からは恐ろしく騒々しい音が聞こえてい
た。若い男が2袋の小麦を持ってきた。女たちは小枝や枯れ枝を持って
くる。お客をもてなす準備が進んでいる。近くの庭では男の1人が穴を
掘っている。ドゥルマン・オカは防水外套、大きな短剣、そして砥石を
持ってきていた。

若い子牛が連れて来られた。全く抵抗する様子は無かった。4人の男
たちが子牛の脚を縄で縛り 、力まかせに地面に倒すと、四方から一斉
に子牛に襲いかかった。ドゥルマン・オカは短剣で子牛の首をなぞっ
た。そして次に、もう一度、子牛の首に線を引いた。軽い子牛の鳴き声
が上がると、傷口から血しぶきが湧き起こった。血しぶきの音は全くも
って恐ろしいものだった。掘られた穴はすぐに血で一杯となった。傷口
が広げられ、そして最後には子牛の頭は完全に切り取られた。8歳位
の少年が子牛の頭を少し持ち上げて縄を掛けると、それを引きずって
行った。

首を失った胴体はまだ数秒間痙攣に震えていた。男たちは子牛の足
首から上の皮を大きなナイフで剥いでいった。皮は足から骨盤まです
べて剥ぎ取られた。皮を剥ぐ音はどこか金属的で冷ややかな感じだっ
た。目で見るよりもずっと恐ろしく思われた。皮は次第に全身剥ぎ取ら
れていった。すぐそばに集まった3才から5才位の小さな子供たちが興
味深そうな眼差しでこれをずっと見つめていた。子供たちは何度も追い
払われたが、しつこいハエやハチのようにその場から離れようとはしな
かった。30分程で子牛の皮は完全に剥ぎ取られた。硬直して恐ろしげ
な両足が上を向いて突き出ていた。

それからドゥルマン・オカは内臓を取り出しにかかった。白い大きな布
で何度も手を拭っていたが、すぐに真っ赤になってしまった。大きな黄
色のハチたちがたかってじゃまをした。ハチたちは子牛の体にくらいつ
き、血を吸い、肉を食い裂いた。心臓や肺がつながった内臓気管が細
いポプラの木の枝に吊るされた。心臓の中央部分を切り裂くと血がどっ
と流れ出た。内臓は大きな防水布に落とされ、2人の男が布の端を持
ち、重そうに庭から運び出していった。穴に溜まっていた血は既にすべ
て地面に染込んで無くなっていた。

その後、約2時間ほどドゥルマン・オカは肉の裁断に時間を費やした。
ひざまずきながらゆっくりと、古く大きな丸太の切り株の上で肉を斧で
切り分けていった。庭に数羽のオンドリが持ち込まれると猫たちがこれ
に襲いかかりトリの内臓を食い荒らした。

次第に人々はいなくなった。我々2人だけがその場に取り残された。
私はお茶を飲みながらドゥルマン・オカの仕事ぶりを見つめていた。
時が止まったかのように感じられた。心地よいそよ風が吹いていた。
暑さは鎮まっていた。ベンチやテーブルには、やわらかな影が落ちて
いた。台所からは女性たちの声が聞こえていた。軒の上にはかまどか
らの暖かい空気が揺らめいて立ちのぼっていた。炒めたタマネギや
肉、出来たてのレピョーシカの匂いが風に運ばれてきた。シュルパ
(米、野菜、肉をまぜた東洋風の濃厚スープ)がお客たちのために煮ら
れていた。

ここ中央アジアのとある集落で、この小さな中庭で、大きな古木の
下で、このような静穏が支配していた。籠の中の鳥の泣き声だけが、
これに抵抗していた。そして、ドゥルマン・オカは肉を切り分け続け
ていた...

 

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