MIKHAIL
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  大平陽一先生
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カラシク探訪記

大平陽一



 人見知りがきつく、外国語での会話も覚束ない私がミハイル・
カラシク氏に会うためにわざわざサンクト・ペテルブルグまで出かけよう
としたのは、我ながら不思議で無謀な決心であった。

無謀も無謀、氏とは一面識もなく、知人がカラシクのサイトを教えてくれ
たことに始まる、今日的な(不適切ながら、あえて「ヴァーチャルな」と
いう形容さえ可能な)付き合いでしかなかった。

漠然とした興味から、「ものは試し」と彼のアーティスト・ブックの展覧会
のカタログを注文し、その支払方法の打ち合わせのために始めた
メイルの交換から、メイルのやり取りが半年ほど続いていた。

互いの文面が錯覚させた面もあるのだろう、インターネットの危険に
疎い私は、このメイルでの文通を旧来の文通のように感じてしいた。
そもそも、この出会いは、私がインターネット音痴でなければ成り立た
なかったのかも知れない。


 *写真をクリック。


 半年近いメイルのやり取りの後、思い切ってペテルブルグ旅行を
決心し、ホテルの手配もようやく終わった頃になって、ロシアに詳しい
知人から、最近、ペテルブルグ在住の日本人に、ウェブ上で知り合った
ロシア人とのトラブルが頻発していると警告された。言われてみれば
確かにそうだ。出会い系サイトで知り合った男性と会いに行って、若い
女性がトラブルに巻き込まれるという、日本でよく聞く話と同じことを
いま私はやろうとしていた。

 しかし、その時にはもう飛行機代もホテル代も旅行社に前払いした
後だった。しかも、カラシクは、日本では(いや、ロシアでも)特別な
展覧会でもなければ見られないようなロシア・アヴァンギャルドの
稀覯書のかなり収集していて、それを見せてくれるという。いや、
それだけではない。ロシアの古書収集家なら誰もが知っている
レスマン・コレクションまで見られるかも知れないのだ。

音楽家であったレスマンが生涯をかけた収集は、ロシア詩が
かつてない隆盛をきわめた19世紀と20世紀の変わり目 --- いわゆる
「銀の時代」 --- に発刊された詩集の、それも署名本を中心とした、
質量ともに希有のコレクションらしい。たまたまレスマンの名を知ってい
た私は、カラシク宛のメイルの中で知ったかぶりをしたところ、レスマン
のコレクションが寄贈されたアンナ・アフマートワ博物館(20世紀最大
の女流新人であるアフマートワが暮らした建物が今は小さな博物館と
なっている)でキュレーターとして何度も展覧会を企画したことがあるの
で、資料部門の責任者とも懇意だから、頼んでくれるのだという。

ここまで言われれば、ままよとばかりに行きたくなるあたり、大して
本を集めているわけでもない私にまでコレクターの狂気が伝染したの
かも知れない。とはいえ、及び腰もいいところ。こわごわペテルブルグ
の空港に降り立った。


 ともかくも《ソヴィエツカヤ》という名は体を表すようなソ連的ホテルに
落ち着き、二度ほど深呼吸してカラシク家に電話を入れた。

電話口に出たマリーナ夫人の話では、ミハイル氏は熱を出してふせっ
ているとのこと。心臓に持病がある氏は子供の頃から病気がちで、
それが本に親しむきっかけになったらしい。後で聞いた所では、小学生
時代にもう古本屋巡りをしていたというのだから、都会の子供は凄いも
のだと、私のような田舎者は感心してしまう。

病気では無理かなと失望半分、安堵半分といった所だった。アトリエ訪
問は翌日に、アフマートワ博物館訪問はさらに2日後という風に頼んで
あったので、次の日もう一度打合わせることにして電話を切った。


 あくる朝電話をしてみると、幸か不幸か、すっかり熱も下がったとの
ことで、待ち合わせの場所と時間を決めた。アトリエはヴァシーリィ島に
あり、地下鉄の終点から外国人には利用しにくい《マルシュルートカ》
(決まった路線を走る乗り合いタクシーのようなワゴン車)を利用しない
と行けないので、地下鉄の駅まで奥さんが迎えに来てくださることに
なった。

マリーナさんは目印に、ミハイル・カラシクの展覧会のプログラム
《AUTO-PORTRAIT》を持ってくるという。



 まず、迎えに来てくれた夫人の若さに驚いた。「もしかしたら若手アー
ティストなの?」「なのに古書のコレクションなど持ってるわけ?」
どんどん不安になってくる一方で、ミニバスの隣に座っているマリーナ
さんはとても元気で親切で、彼女を見た瞬間に心底ホッとした。


 フィンランド湾に面したアパートにあるアトリエは天井が高く、その
片側には中二階がある広い部屋だった。アトリエのソファに座っていた
カラシクは、実に物静かな人だった。静かにゆっくりと、まるでソクーロフ
の映画の登場人物のように話す。誠実に迎え入れてくれるご夫妻に、
桜の絵の扇子を渡すのは、いかにもおざなりな感じがして、ほんとうに
恥ずかしくてあたふたしてしまった。それでも、挨拶を終え、きょろきょろ
と物珍しげにアトリエを見回す私の好奇心が満足した頃合いを見計らっ
たように、「本を見ますか?」と中二階の書架に誘ってくれた。


  


 カラシクのコレクションについて論評するだけの専門的知識は私には
ない。しかし、通り一遍の知識しかない私でさえ、画集のたぐいで
見たことのある本ばかり、その実物が次々とりだされてくるのには、
やはり驚いた。一冊一冊についての彼なりの評価や好き嫌い、あるい
は個人的なエピソードなどを話してくれる声に耳を傾けながら、本の頁
を大切にそっと繰るというのは曰く言い難い喜びだ。
ソクーロフに《囁くページたち》という作品があったことが思い出された。





 その後、奥さんの手料理をご馳走になった。ロシア人のもてなしと
いうことで(実はカラシクはユダヤ人なのだが)、朝ごはんを抜いて
準備してきたが、それでもお腹がパンクするのを覚悟していた。しかし、
案に相違し、実に上品な魚料理で有り難かった。白ワインまで用意
してくださったのだが、前日発熱したばかりのカラシクは、半分くらいの
年齢にしか見えない奥さんから「駄目」と言われて、苦笑いしていた。


 食後のコーヒーをご馳走になった後、「時差ボケで眠いし、外国語で
話すのは苦手だから疲れました」と正直に告白して辞去することに
した。その時になって、奥さんが「あなたの作品も見てもらったら」と
言う。考えてみれば、ロシアにあって artist book というジャンルを
一人で背負って立っているような人物のアトリエを訪問して、彼自身の
作品を見もしないというのだから、私もなかなかいい性格をしている。

大いに反省し、「ぜひ」と答えたら、カラシク氏はちょっと照れたような顔
をした。相手が何の力も権威もない私だということもあるのだろうが、
あまり自分から売り込もうという気がなさそうなのだ。プレミア・リーグの
トップクラブを買収し、大物選手を買いまくるという、ハロッズのオーナー
さえ出来ない真似をやってのけた大富豪が現れたとはいえ、ロシアと
日本の経済格差は大きい。金満日本人と知り合うことをビジネスチャン
スと考える人も少なくないだろう。事実、私の知人の美術史家も、
すぐれた画家と知り合い、しかも自宅に招かれたので大喜びで出かけ
てみると、日本で自分の絵が売れないかという話に終始したことに
幻滅を覚えたという。それは断るしかないと、最初から覚悟していたの
だが、カラシクときたらユダヤ人なのにちっとも商売気がないので拍子
抜けするくらいだ。

しかし、そんなことより、彼の artist book が実に面白いのだ。とても私
には手が出ないだろうと値段は聞かなかったが、オノヨーコもメンバー
だったアメリカの美術集団FLUXUSの作ったオブジェを思わせる作品は
(FLUXUSもまたロシア・アヴァンギャルドの影響が強いというから当然
か?)、非常に魅力的でしばらく見入ってしまった。


 アトリエを訪問した翌々日、体調が戻ったというカラシクとアフマートワ
博物館の中庭のベンチで再会した。レスマン・コレクションを閲覧できる
よう取り計らってくれただけでなく、自ら出向いてくれたのだ。


 資料部門の責任者は、いかにもロシアの先生といった感じの
エネルギッシュな女性。こちらとしては、手書き(手描き)の味わいが
ある(だからManual book と呼ばれたりする)未来派の石版刷りの本を
見せてもらいたい旨、あらかじめ伝えてあったのだが、アフマートワの
署名入りの詩集ばかり持ちだしてくる。本の中身は分かりかねるくせ
に、デザインだの挿し絵にやたらと興味があるというのは変則だろう
という引け目があるから、お説ごもっともと説明を拝聴するしかない。

ところが見るに見かねたのだろう、カラシクが巧みに間に入ってくれ、
私の希望を念押ししてくれた。しかし、その後も「じゃあ何が見たいん
だ?具体的に言ってくれ!」などと言われても、こちらにはごく一般的
な知識しかないし、そもそもレスマン・コレクションに何があるいのか
知っているわけではない(その分厚な目録は、それ自体が今では
稀覯書となっているらしい)。言葉が不自由なせいもあって、私がまた
黙り込んでしまったら、すかさずカラシクが「あれなんか見たくない?」
といった調子で助け船を出してくれた。お陰で、写真版でしか見たこと
のない本に触れることができ、とても幸せだった。


 しかし、僕にとってもっと楽しかったのは、博物館を出た後の散歩
だった。まず、少し歩いて、詩人のブロツキィが住まっていたという
アパートに案内してもらった。そしてリチェイヌィイ通り沿いの古本屋に
案内してもらったのだが、やっぱり私などとは知識が圧倒的にちがう。
彼が手に取った本を覗き込むようにしながら、説明を聞くのが楽しい。



アカデミア出版の『カレワラ』のロシア語訳について、「この本がコレクタ
ーズアイテムだと知っていながら、ほんとうは好きじゃないので、とうと
う買わずじまいに終わって持っていない」「収集家として馬鹿だとは思う
んだけどね」という話など、実に共感できるではないか。


 本屋から地下鉄の駅に向かう道すがら、「こっちへおいでよ」と誘われ
て、アパートの中庭に入った。カラシクによれば「レニングラードの典型
的な中庭なんだ」という。ソ連時代の小説に出てくる、集合住宅に囲ま
れた谷間のような中庭は、彼にとっても懐かしいものらしい。





リチェイヌィイというのは、目抜き通りであるネフスキイと交わる都心の
通りでありながら、まだ安いカフェが一軒ぽつんと残っているという話も
してくれた。「まずいコーヒー、ひどいウォッカしかないのに、近所の
連中が集まってきて賑やかで、とっても好きなんだ」という彼の言葉に
頷いているうちに、ネフスキー通りに辿り着き、まだ体調のすぐれぬ
カラシクをこれ以上引き回すことも出来ないので、交差点で握手して
別れた。


 ペテルブルグという素敵な名前が僕の中に喚起するイメージは、
これまでのようにエルミタージュでも、ネヴァ河でもなく、
カラシクと中庭に立って見上げた空になった。





今は、インターネットへの不安を、書物という古色蒼然たるメディアが
払拭してくれたことに感謝したい。


大平陽一

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